承・3

 朝の空気は透き通っていたが、昨日とはどこか冷たさの質が違っていた。


 七草は小さく首をすくめながら、地図アプリを頼りに町を歩く。


 昭和の香りを残した商店街。


 シャッターの閉まった店舗がいくつも並び、アスファルトには薄いひびが走っている。


 開いているのは、小さな雑貨屋やクリーニング店、地元の人しか利用しなさそうな喫茶店。


 どの家も似たような形で、どの道も似たように静かだ。


 歩いているうちに、この町全体が“止まっている”ような感覚が湧いてきた。


(⋯⋯今日こそ、誰か話してくれるといいんだけど。)


 七草は昨日に引き続き、聞き込みを始めた。


 だが──


「さあねぇ、そんな事件あったかしら。」

「忘れたよ、昔の話だろう。」

「うちは関係ないから。」


 声を掛けても、返ってくるのは曖昧な笑顔か、露骨に迷惑そうな表情ばかり。


 警戒している、というより“触れたくない”と町全体が訴えているようだった。


(⋯⋯変だな。知らないようで、知ってる反応。)

 


 昼過ぎ。


 役場近くのベンチで一息ついていたとき──


「あなた、記者さんなんでしょ?」


 左から声がした。


 振り向くと、中年の女性が立っていた。


 丸い目が印象的で、口元に貼りついたような笑み。


 妙に小綺麗な格好をしているが、どこか“造り物めいた整い方”をしている。


「みぃーんな噂してるわよ。若いお姉さんが昔の事件

を調べ回ってるって。小さい町だからねぇ。」


 七草は驚きつつも、立ち上がって会釈した。


「あ、えっと⋯⋯立花です。少しお話、聞いても?」


「もちろんよぉ。こう見えて、昔からこの町にいるの。何でも知ってるんだから。」


 おばさんは妙に近い距離まで歩み寄る。


 その笑顔は優しいが、まぶたが動かない“張り付いた笑み”だった。


「あなたが探してる事件って、あの、ほら⋯⋯、恋人同士の。」


 七草の心臓がひとつ跳ねた。


「ご存じなんですか?」


「そりゃあねぇ。“あの事件のこと”は、この町じゃ有名よ。みんな忘れたふりしてるだけ。」


 そう言って、おばさんはひそひそ声に変える。

 


「被害にあったのは、都築さんとこの娘さんよ。」

 


(⋯⋯名前が出た!)


 七草の指先に汗が滲む。


 ネットのまとめ記事には載っていなかった、初めて耳にする名前だ。


「でもねぇ⋯⋯加害者の織田って子は、悪い子じゃなかったらしいのよ。本当に真面目で、優しくて。

ただ⋯⋯だんだん、おかしくなっていってねぇ。」


「おかしく⋯⋯?」


「うふふ。なんていうかね⋯⋯“誰を見ても同じ顔に見える”って言い出したらしいのよ。」


 七草はぞくりと背筋を震わせた。


「これ以上の事はここじゃ言えないわぁ。あの事件の話は、外で聞かれると面倒な人達がいるの。」


「面倒⋯⋯」


「そう。だからね──」


 おばさんは、笑顔のまま七草の手首を軽く掴んだ。


 少し冷たい指。


「また明日、駅前の喫茶店で会いましょう?あなたになら⋯⋯もっと教えてあげてもいいわよ。」


 そう言い残し、ひらひらと手を振りながらおばさんは去っていった。


 七草はその場に立ち尽くした。


「⋯⋯あ。名前、聞き忘れた⋯⋯。」


 冷たい風が頬を打つ。


 だが、七草の胸の奥だけが妙に熱かった。


(顔が同じに見える⋯⋯。)


 電車の中で見た夢の気配を、ふと思い出す。


(⋯⋯やっぱり、この事件、絶対に何かある。)


 夕陽が照らす街の空が、どこか冷たく見えた。

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