起・2

 昼下がりの各駅停車。


 七草は、がらんとした車内のロングシートに腰を下ろし、膝の上でスマホを開いた。


(⋯⋯ここまで調べれば、何か別の資料でも出てくるかと思ったのだけど。)


 検索しても、検索しても、やはり事件の情報は現れない。


 まとめ記事以外には、まるで存在しないかのように、痕跡すらなかった。


 指先でスクロールするほど、心の奥のざらつきが強くなる。


(おかしい⋯⋯こんなに“跡”がないなんて。)


 画面を暗転させ、七草はひとつ息を吐いた。


 窓の外は色を失ったような冬空で、流れる景色が単調に続く。


 ──ふと、瞼が重くなる。


(⋯⋯少しだけ⋯⋯)


 七草はスマホを鞄にしまい、揺れる電車に身を預けるように目を閉じた。



──────



 次の瞬間、夢に落ちていた。


 

「これは夢だ。」と気づく前に、すでに夢の中にいた。



 視界は真白に霞み、


 

 上下も、地面も、遠近も分からない。


 

 そこに、私はただ立っていた。



 遠くで、"何か"が囁く。



──⋯⋯⋯⋯。



 声ではない。


 

 言葉でもない。



 ただ、“意味だけ”が脳の奥へ直接流し込まれるような感覚。



 私は、声を出そうとしたが、喉がぴくりとも動かない。



──⋯⋯⋯⋯ょ。



(⋯⋯誰?)



 口が動かない。意識だけが問う。



──⋯⋯。



 その言葉だけは、はっきり聞こえた。



(⋯⋯私は⋯⋯?)



 囁きは、私の背骨を這い上がるように、ぞわりと響いた。


 

 その瞬間、耳元で、形のない“何か”が笑った気がした。



 私は息を吸おうとした。


 

 だが空気が入らない。胸が苦しい。



 視界が黒く波打ち──



──────



「⋯⋯っ!」


 七草は、電車の揺れに弾かれるように目を覚ました。


 辺りを見渡す。


 車内は静かだった。


 夕方の薄い光が窓から淡く差し込み、シートの布地を優しく照らしている。


 息が乱れている。


 心臓が早鐘のように鳴っている。


(⋯⋯夢、だよね?)


 しかし、夢の内容は霧のように消えていた。


 覚えているのは──


 喉の奥に、刺さるように引っかかっているひとつの言葉だけ。


「⋯⋯器⋯⋯?」


 なぜその単語だけ残っているのか、七草には分からなかった。


 だが、胸の奥ではっきりと分かっていることがあった。


“何かに見られた”という感覚だけが、鮮明に残っている。


 電車のアナウンスが、どこか機械的に、やけに遠く聞こえた。

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