第2話:役立たずと言われても、私は飛ぶしかなかった

「カナタぁ!」


 背後から飛んできた声に、肩がびくりと跳ねた。

 恐る恐る振り返ると、両腕を組んだ親方が呆れた顔で立っている。


「は、はい……ごめんなさい親方……」


 親方の大きなため息が、轟音を立てて砕ける岩の音に混じった。


「お前なぁ……」


 親方は、大量の魔法石をバケツリレーで運ぶ作業員たちを顎でしゃくった。


「『運搬』持ちっていうから雇ってやってんだぞ? なのに仕事は遅刻、作業は遅い。お前のいねぇ間に俺らが組んだバケツリレーの方が早ぇじゃねぇか」


 何も言い返せなかった。

 隣では掘削スキルの男たちが、ドリルみたいに地面を回り、石が滝みたいにジャラジャラ流れ出している。

 活気の渦の中で、私だけが小さな石ころを手に、ぽつんと立っていた。


「「「そうだそうだ!」」」


 周囲の作業員が、手を止めずに器用に同調する。

 あ、あの速度でよく言えるなぁ……


「スキルもねぇ奴のほうがまだ役に立つって話だ。――で、だったらお前のスキルは何のためにあんだ?」


 親方は頭をかき、ぼそっと吐き捨てる。

 

「ったく……」


 その声が、胸に刺さった。

 

「女なんだからよ、その気になりゃ何でもできんだろ。こんなとこで泥まみれになってねぇで、別の道探せや」


 ――胸が、ずきりと痛む。

 反射的に顔を上げた。


「…いいえ!」


 喉から、自分でも驚くほど大きな声が飛び出す。


「『飛脚』は、私にできる唯一のことなんです!」


 一瞬、現場の音が止まった。

 親方の眉間に皺が寄る。


 その言葉に、親方の眉間の皺が深くなる。

 

「そうかよ。なら勝手にしがみついてろ。けどな」


 はぁ。とため息一つ。

 

「現実見ろ。お前は――役立たずなんだよ」


 言葉が、ずしんと落ちた。


「……役立たず……」


「親方ぁ、さすがに言い過ぎっすよ!」

「カナタちゃん、泣いてるじゃないですか!」


「事実だ。こういう奴は言わなきゃ分かんねぇんだよ。それにな――」


 親方の目が、私の顔をまっすぐ射抜く。


「こんなところで働かせるなんて、親は何を考えて――」


「親方っ!」

 

 誰かが慌てて制止する声。


 でも、もう遅かった。

 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れる。視界がにじむ。

 言い返したかった。悔しかった。恥ずかしかった。――何も、できなかった自分がいちばん情けなかった。


 唯一の取り柄だと思っていた。

 私の『飛脚』は、運ぶことしかできないけれど、それでも――って、信じたかった。

 なのに、誰にも必要とされていない。

 私のスキルは、ただ気味悪がられて、笑われるだけの、役立たず。


 涙が、頬を伝う。


 親方は私を一瞥して、短くため息を吐いた。


「……ったく。今日はもう帰れ。その顔じゃ、仕事にならねぇ」


 足がふらつく。私はうなずくことしかできなかった。

 砕ける岩の音だけが、いつまでも背中に降ってきた。



    ♢ ♢



 街からは、いつもと変わらない喧騒が響いてくる。

 笑い声、歌、商人の呼び声、馬車の車輪の音……まるで、世界中が楽しそうに生きているみたいだ。

 ――その輪の中に、私はいない。

 

「綺麗だな……」


 崖の上から見下ろす夕焼けのレーンベルは、まるで金色の波に包まれているみたいだった。

 港から吹き上がる風が頬を撫で、膝の上のパイの甘い香りをかき消していく。最近は、よくここに来る。ここだけが、喧騒から離れられる場所だから。


 友達のエレノアがポストに入れてくれたパイを、ひとかけ齧る。


「『今日は帰れない。ごめんね。誕生日おめでとう』……か。最近、忙しそうだなぁ」


 シナモンに苺、いろんな果物がぎっしり詰まってる。私の好物を全部のせにしたパイを、こんな場所でひとり占めなんて――ちょっと贅沢だ。


「……うん、やっぱり美味しい」


 食べ終えたら、また家に帰って、明日も仕事。

 その繰り返し。

 八歳までは、誕生日はいつもお母さんが祝ってくれたのにな。

 

『カナタのスキルも、きっとすごいんだろうなぁ――。うん、絶対すごいよ。』


『だって――私の娘だもん。見てみたいなぁ、カナタの輝くところ』


 母さんの声が、鮮明に蘇る。

 胸の奥がぎゅっと締めつけられて、気づけば涙がこぼれていた。


「……うぅ……なんで、泣いてるんだろ……」


 止まらない。

 母さんと父さんの分まで、私が頑張らなきゃいけないのに。私が――輝かなきゃいけないのに。


「毎日毎日、石を運んで……明日も、明後日も……」


 もっと、キラキラ輝きたい。

 けれど――私には、それができない。

 

「……私の、生きる意味って……なんなんだろう」


 街は今日も、賑やかに歌っている。

 なのに、私だけが取り残されたみたいだった。

 

「うぇっ……うぅ……うぐっ」


 嗚咽が崖の風にかき消される。

 母さん……。父さん……。

 私、生きてる意味、――あるのかな。


「……しのうかな」


 一歩、足が前に出た。

 崖下から吹き上がる風が頬を打つ。心臓の音が、遠くで響いているみたいだった。

 夕焼けが視界を金色に染め、世界が静まり返る。


「――さようなら」


 身体が宙に投げ出された。落下する感覚は、不思議なほど静かだった。

 ……ああ、これで終わるんだ。


 ――その瞬間。

 ぴたりと。見えない糸に絡め取られたみたいに地面すれすれで身体が止まった。

 反射的に、"空路"を編んでいた。


 ……私、死ぬ勇気すら、ないんだ。


「うぇっ……うぐっ……ふぐ……」


 宙に浮いたまま、声を押し殺して泣いた。

 下では、レーンベルの街の灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。

 ――まるで、私を置いて夜が始まっていくみたいに。

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