第4話 風が告げる戦いの始まり

 伏兵を壊滅させたティムールたちは、

 そのまま草原を大きく迂回して進んでいた。


 敵本隊は、裏切り者が教えた通りの道へ進んでいるはず。

 待ち伏せが成功したと思い込み、油断した状態で。


「なぁティムール、本当に本隊を襲う気なのか……?」


 バルトが馬上で声を潜める。

 彼の顔は興奮と恐怖のちょうど中間にあった。


「数はどのくらいだって言ってたっけ?」


「五十……いや百はいるって聞いたぞ。」


「そうか。」


 ティムールは簡潔に答えた。


 その落ち着きに、バルトは逆に震えた。


「おい……百って、お前……!」


「数は問題じゃない。」


 ティムールは草原の彼方を見つめた。


「問題は“敵がどう動くか”。

 そして俺たちがそれより一歩早く動けるかだ。」


 バルトは唾を飲み込んだ。


(こいつ……本気で“大軍を相手にする”つもりだ……)


 だが、不思議と恐ろしくない。

 ティムールの声には奇妙な説得力がある。


「バルト、前を見ろ。」


 ティムールが顎をしゃくった先に、

 草原の地平線の向こうからゆっくりと舞い上がる砂煙があった。


「……本隊だ!」


 バルトが目を見開く。


 敵の旗が見える。

 騎兵が横一列に並び、隊形を組んで進んでいる。


「待ち伏せが成功したと信じてる……あの油断の歩幅だ。」


 ティムールはつぶやき、馬を止めた。


「ここだ。」


「ここ?」


「この丘を越えたところで、敵の横腹にぶつける。」


 バルトは驚いて言った。


「でも丘の向こうは……」


「草が深い。俺たちの足音は消える。

 それに、敵は正面しか見ていない。」


 ティムールは、風を読むように息を吸い込む。


「草原では“気配”がすべてだ。

 敵の気配は前へ。

 俺たちは横から、本隊の“心臓”へ。」


 若い兵たちは息を呑んだ。


 ティムールの言う“心臓”とは——

 本隊の中央を守る、指揮官のいる要のことだ。


 そこを突けば、百だろうが崩れる。


「……お前、本当に何者だよ……」


 バルトの呟きに、ティムールは軽く笑った。


「ただの少年だよ。」


「もうその答え聞き飽きた!」


「じゃあ変えるよ。」


 ティムールは馬に乗った姿勢のまま、

 バルトを横目に、静かに言った。


「風に選ばれた少年だ。」


 その言葉に、バルトは何も返せなかった。


 風が、草原を揺らした。

 敵本隊の行進に合わせて、砂煙が動く。


 ティムールは弓を掲げた。


「合図はこの矢だ。

 撃った瞬間——全員で“怒鳴るな”。」


「怒鳴るな? 今度は?」


「驚かせる必要はない。

 今回は“静かに殺す”戦いだ。」


 バルトは背筋が粟立つのを感じた。


(ああ……これは本気だ。

 戦の“質”が、もう違う。)


 ティムールはまっすぐに矢を引き絞り——放った。


 音もなく、

 矢は丘の向こうへ吸い込まれていく。


「行くぞ。」


 ティムールが馬を蹴る。

 兵たちは音を殺し、一斉に丘を越えた。


 視界が開け——

 敵本隊の“横腹”が丸見えになった。


 敵は誰一人、この方向を警戒していない。


 ティムールが低く呟く。


「……もらった。」


 その声に合わせて、馬が風を裂いた。


 草原の草が一瞬、水平に倒れた。


 敵本隊の騎兵たちが気づいたときには、

 すでにティムールの刃が、

 指揮官のすぐ近くまで届いていた。


草原の風が少年を押した。

 初めての“大軍”との戦いが、今始まる。

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