第5話
ロウェンの中心街から二本裏手の石畳。
魔導炉の熱で昼でも白い蒸気が立ち上る路地を抜けると、ひときわ重厚な黒鉄の扉が見えた。
そこが、グランツの工房だった。
扉を押し開けた途端、金属臭と油と魔力の焦げた匂いが肺を刺す。
床は黒く焼け、壁は煤で斑に染まっていたが──同時に、どこか安心するような暖かさがあった。
炉の音は心臓の鼓動のように一定で、金槌の響きが脈を刻む。
「よし、早速だ。《時素結晶》を見せてくれ。」
グランツは台に革布を広げ、俺は結晶を丁寧に置く。
エリオとリシアも固唾をのんで見守る。
透明な青は炉の熱に揺れ、内部に微細な光粒が回転していた。まるで時間そのものが静かに巡っているようだった。
「こいつを魔導具の核に、ヴィクターを時間へ引き戻す装置を……」
言いかけた俺の声に、グランツが手をかざして制した。
「焦んな。まず設計だ。」
◆
古代文献は工房の長机に広げられ、俺は思考を組み立て始めた。
未来の技術体系が脳裏に浮かぶ──効率的な回路、魔力損失ゼロの導管配置、時素結晶を中心に置くための支持構造。
俺は無意識に口にしていた。
「導管は二重螺旋じゃなく、三相循環式がいい。魔力漏洩を三分の一以下に抑えられる。」
「……三相?」
リシアが僅かに目を見開いた。
「今の理論じゃ二相循環が最大効率のはずでは?」
「三相は……損失が発生しねえだろ。安定域が広い。」
言葉が自然と流れた。俺は確信していた。それが最短で最適な設計だ。
だが次の瞬間──
ガンッ!!
グランツが作業台にハンマーを叩きつけた。
工房全体が震え、炉の炎まで揺らぐ。
「――無理だ。」
「……無理?」
「魔力炉の出力が足りねえ。導管強度も追いつかねえ。今ある材料で三相式を回せば、装置は自壊する。」
低く、重く、怒りを噛んだ声だった。
「お前の描いてる設計は理想だ。完璧すぎる。
だがな、理想は時に現実を焼き潰す。」
グランツの腕は職人の証のように煤で黒く、傷跡は古い戦場のようだった。
積み重ねた年月と技術。その上での否定。
俺は反論しようとしたが、言葉の形にならなかった。
「……でも、三相なら結晶の負荷は最小で、同期率も──」
「理論の話じゃねえッ!!」
金属の匂いが強くなるほどの怒声。
炉の火が一段強くなったように見えた。
「材料も道具も出力もねえ。それを無視して完璧を求めるのは――職人を侮辱してる。」
突き刺さるような言葉。
俺の胸の奥に、初めて明確な 焦り が生まれた。
(完成させなきゃ。戻さないと──)
理由を考えるより前に、使命感が先に燃える。
ヴィクターを引き戻す。
それがただの任務ではなく、俺自身の存在を確かめる鍵のように感じていた。
「……なら、新素材を探せばいい。」
「見つかる保証は?」
グランツが睨み込む。
「時間が……かかる。」
その言葉が刺さった。
時間。
俺たちは時間に追われている。
剥離したヴィクターは刻一刻と未来へと逸脱し続けている。
焦りが喉を締め付けた。
◆
「カイン、その……無理しすぎじゃないか?」
沈黙の中、エリオの声だけが優しかった。
疑わず、ただ心配する声音。
それが却って胸を抉る。
「大丈夫だ。ただ……急ぎたいだけだ。」
「“急ぎたい”だけの顔じゃない。」
エリオが俺の横顔を覗き込むように言う。
「戦場の時みたいだ。誰かのために、全部抱え込んでる。」
胸のどこかが強く痛む。
あの遺跡での戦いと同じ――仲間を背負う動き。
未来技術への焦り。時間への焦り。
それは俺の正体を隠すためではなく、ただ 守りたいという衝動だった。
けれど、その焦りがやがて破綻を生む。
「カイン、これ……」
リシアが震える手でメモを差し出した。
そこには俺が組んだ三相式の魔力回路図。
だが、その細部に──
「この設計、ヴィクターの初期論文にある“魔力の位相統合理論”と……同じ。」
工房の空気が凍った。
「お前、その理論を知ってるのか?」
グランツの声は低く抑えられていた。
俺は知らないはずだった。カインとしては。
だがクロウとしては――主人の研究を支え続けた従者としては、知っていて当然の知識。
口が乾き、声が出なかった。
その沈黙が、皆の表情に不安を濃く染めていく。
◆
「……違う、俺はただ──」
説明できない。
記憶喪失の設定と矛盾する。
焦りが脳裏で爆ぜ、炉の熱よりも灼けるようだった。
その時だった。
――工房奥の魔導管が、微かに震えた。
魔力流量が偏っている。
さっき俺が触った導管ではない。……だが分かる。
原因が、見える。
気づけば俺は駆けていた。
工具箱を開き、古いナットを外し、詰まりの原因を一息で突き止める。
錆びた流路、微細な魔力残渣。
指先が自然に動いた。
「――そこじゃねえ!魔力炉を止めないと危──」
グランツの制止より先に、俺は工具を滑り込ませた。
コン、と軽い音。
次の瞬間、火花は消え、炉は安定した鼓動を取り戻す。
沈黙。
俺は工具を置き、ゆっくり振り返る。
グランツの眼にあるのは怒りでも失望でもなく――
驚愕。
「お前……今の修理、どうしてできる?」
リシアの目が揺れ、エリオは俺の肩にそっと触れた。
「カイン……君、本当に何者なんだ?」
――胸の奥で、何かが音を立てた。
正体が、剥がれる音だった。
*
「つまり……今のままじゃ、魔導具は完成しないってことか?」
沈黙が支配した工房の空気を破ったのは、エリオの小さな声だった。
グランツは腕を組んだまま、深く息を吐く。
「ああ。素材の強度も、魔力炉の出力も足りねぇ。この設計は未来の化物じみた技術前提だ。俺たちは、まだそこに届いちゃいねぇ」
彼の声は怒鳴りではなく、悔しさを滲ませた低音だった。
誇り高き職人が理想に手が届かないと悟った時の声。胸が痛んだ。僕のせいだ。
――また、足りない。
過去にも似た感覚を覚えたことがある。主の命を救うために、刃を砕き、盾を捨てても届かなかった夜。
(いや、思い出すな)
脳裏の映像は靄のように消えたが、胸に穴が開いた感覚だけが残った。
「……カイン、少し休もう?」
エリオの声は優しい。疑わない。ただ僕の身を案じている。
なのに、その優しさに縋れない理由がある。
絶対に完成させなければならない。
ヴィクターをこの世界に引き戻せなければ――誰も未来に触れることすらできない。
「休んでいる時間はない。もっと効率化できるはずなんだ、魔力炉の循環を……損失をゼロに近づければ――」
言った瞬間、リシアが震えた声を漏らした。
「損失ゼロ……“魔力密閉循環理論”……それ、聞いたことある」
顔は青ざめ、手は震え、目は僕だけを射抜いていた。
「それ、ヴィクターの論文よ。発表前草案の極秘資料にしか載ってないのに……どうしてあなたが知ってるの?」
(――しまった)
工房の空気が一段冷える。
未来の知識。知るはずのない理論。
僕の脳が勝手に思い出し、口が勝手に喋っただけだ。説明できる言葉なんてどこにもない。
「いや、俺は……たまたま……」
「たまたまで知れる理論じゃない!」
リシアは机を叩き、声が震えていた。
「まるで……未来の知識を持ってるみたいじゃない!」
――図星。
だが言えるはずもない。
エリオが割って入った。
「リシア、その言い方は――」
「責めてない!ただ知りたいだけ!どうしてカインは、ヴィクター並みの理論を……!」
責めてないと言いながら、視線は真実を求めて鋭く突き刺さる。
僕は言葉を失う。もし話せば、彼らの信頼は崩れる。
主人を裏切った従者。未来を知る異物。
そんな存在をこの世界は受け入れない。
(考えろ……逃げるな。形に変えろ。手を動かせ)
職人たちの会話の余白で、僕の指先は勝手に魔導具の心臓部へ伸びていた。
魔力炉、魔導回路、素材結晶。
どれもグランツの手で精確に加工されているが――間に空隙がある。わずか数ミクロンの狂い。
僕は工具棚からピンセットと研ぎ器具を取り、無意識に作業を始めた。
「……カイン、何を――」
「回路の圧縮。魔力の逃げを抑える」
返事は短く、本能で動いていた。
魔石を0.12ミリ研磨。接合角を3度修正。
魔力流路の層を反転させ、結晶軸を揃える。
――どの手順も、かつて主の装備を戦場で修理した時のように。
「お、おい待て!そんな繊細な調整、一歩間違えたら回路が砕け――」
グランツの制止より先に、魔導具が小さく脈動した。
ドクン
金属とも魔石ともつかない低い鼓動。
魔力の流れが一気に整った。渦が一本の川へ変わるように。
「……回った。魔力が、均一に……!」
グランツは呆然と魔導具を凝視した。
リシアも唖然として言葉を失っている。
「なんでだ……なんで回路の歪みを一発で見抜ける?
職人の俺ですら一週間かけて詰める精度だぞ……!」
胸が痛む。誉められているのに、心は冷たいままだ。
僕は答えられない。
本来の僕――クロウは、剣も魔導具も全て「主のため」に触れてきた。
後方支援、修理、補助。それが役目だった。
自分の名は残らずとも、主の盾であり続ける。それだけが誇りだった。
だが今の僕は主を失い、名前も失い、代わりに「カイン」を演じている。
(偽物だ。それでも前へ進むしかない)
拳を握ると、指が微かに震えていた。
「……まだだ。この程度じゃ完成しない。
未来の理論に追いつくには、足りない」
僕の声は自分でも驚くほど乾いていた。
急ぐ理由があるのに、それを誰にも説明できない。
沈黙を破ったのは、またエリオだった。
「なぁカイン。俺、ずっと思ってたんだ」
彼は笑わなかった。優しい目のまま、真剣に僕を見た。
「最近のお前……まるで何かに追われてるみたいだ。
魔導具が進まないと、息もできないみたいに。
俺、心配なんだよ。カインが壊れちまいそうで」
胸の奥が掴まれる。
ごまかす言葉はいくらでもある。でも――エリオの目の前では使えない。
「……大丈夫だ。ただ、急ぎたいだけだ」
「急ぎ過ぎて、お前自身が消えたら意味ないだろ?」
エリオの手が僕の肩に触れた。あたたかい。
その温度が、罪悪感を照らし出す。
本当の僕を彼らは知らない。
未来を知る従者であり、過去に主を守れなかった愚者だと。
(それでも――今は仲間だ)
壊れかけの心に、微かな光が刺した。
その瞬間、魔導具が低く唸り、蒼い光を放った。
魔力が循環し始めた――わずかながら、確かに。
グランツは叫んだ。
「回った……!この理論で、未来に指が届くぞ!」
だが喜ぶ声の裏で、僕の体にじわりとノイズが混じる。
視界が歪み、耳鳴りが刺した。
――ヴィクターの残響だ。
未来の天才が遺した痕跡に触れるたび、僕の存在は軋む。
(まだ倒れられない)
光の揺らぎが、僕の影を長く伸ばした。
未来と現在を繋ぐ魔導具――その胎動は、静かに世界を変え始めていた。
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