第4話

翌朝、魔法学都市ロウェンの空は薄青く澄んでいた。街の術式障壁に朝光が反射し、粒子状の光が霧のように漂う。昨日の書庫での緊張は、まだ指先のどこかに残っている。


「カイン、食べた? 朝抜くと動けなくなるぞ」


 宿のテーブル越し、エリオがパンとスープを俺の皿へそっと押し寄せる。

 ――こういう気づかいは、本来俺がする側だったはずだ。


 不思議な逆転だと、皮肉のような微笑が漏れる。だがそれ以上言葉にしない。

 俺はスープを口に運びながら、今日向かう先を頭の中で繰り返す。


魔法学都市郊外 ― 古代魔導遺跡クロノ・レメナ

時間干渉術式の断片を保管していたと伝わる区画。

過去に多くの研究者が足を踏み入れたが、奥まで辿り着いた者はいない。


 それが今日の目的地だ。


 テーブルの向かいで、リシアは地図と式解析ノートを開きながら既に目が輝いている。


「古代の遺跡よ? 文献との照合からして、構造は“時間位相型”の可能性が高いわ。つまり仕掛けが現代とは違う原理で動くってこと!」


「はしゃぎすぎるなよ、嬢ちゃん。死んでからじゃ遺跡の分析もできん」


 グランツが顎鬚を撫でて笑うが、その眼差しには職人らしい期待と緊張が宿っている。


 俺は全員の食器を自然にまとめ、片付け指示を宿の主人へ伝えた。

 ――手が勝手に動く。従者としての癖は、やはり消えない。


「な、なんか……君が世話してる側だよな? 本来は」


とリシアが首を傾げる。

エリオは慌ててフォローする。


「いやカインは昔からこんなとこあっただろ! たぶん!」


 “たぶん”と言い切れない声色が胸に小さく刺さる。


 俺は笑ってごまかすしかなかった。


 *


 昼前、遺跡の入り口へ到着する。


 森を裂くように巨大な石柱が並び、古代語が刻まれたアーチが口を開けていた。

 空気は湿り、魔力が含む鉄錆の匂いが濃い。まるで何千年も前の息が染みついているようだった。


「……圧があるな」


「魔力濃度、通常の七倍。術式の残留反応、多重層。すごいわねこれ……!」


 リシアが興奮する横で、グランツが盾型の魔導具を調整する。


「中に入ったら、何かしらの攻撃式が動くじゃろう。準備はええか?」


「もちろん」


 エリオが笑い、俺の肩を軽く叩く。

 その手の温度が頼もしくも、どこか痛む。


 ――俺が前に立つべきだ。

 盾は、仲間の前で構えるものだ。


「先頭は俺が行く。危ないと思ったら下がれ」


「またそれ言う……カイン、俺の方が前衛向いてるっていつも……」


 そう言いながらも、エリオは止めなかった。

 止められないと、もうわかっているのだろう。


 俺は一歩踏み出す。

 冷たい空気が骨の奥に流れ込んだ。


   ――ガチリ。


 扉をくぐった瞬間、遺跡内部の術式が起動する低い音が響く。

 砂塵が舞い、青い魔力灯が順に灯り、薄闇の奥がゆっくりと照らされた。


「封印解除反応。反応波は安定……まだ安全圏ね」


「いや、油断すんな」


 俺は前へ進みながら、足裏の反応を確認する。

 床の石一枚ごとに、魔力の糸が張り巡らされている。古代の構造。時間位相型。

 だが――妙に効率がいい。現代式より隙がない。


 まるで未来の式計算に近い。


 胸がざわつく。

 俺は知らないはずの感覚で動いている。


「奥に反応あり!」


 リシアが叫ぶと同時、空間が揺れた。


 ――音もなく、石像が目を開いた。


 四つ。

 青い眼光。

 関節に魔力の筋が巡り、動力機構が唸る。


自動人形ストーン・レギオン!」


 リシアの声が震える。


「来るぞ!」


 俺は前へ飛び出し――背後に仲間の気配を感じながら、腕を広げて構えた。


 本来、カインなら攻撃魔法で壊滅させるはずだ。

 だが俺の動きは逆だった。


 前に出た味方を守る盾。

 敵の攻撃を引きつけ、軌道をずらす。

カバー。防御。損耗を肩代わりする。


 従者クロウの戦い方。


「カイン!? 攻撃しないのか!」


 エリオの焦りを背に、俺は石像の拳を受け止めた。


 重い衝撃。

 皮膚が裂け、鉄が骨にめり込むような痛み。

 だが、折れない。踏みとどまる。


「今は前に出るな! リシア、弱点解析を急げ!」


「了解――っ! 魔力線の接続位置を特定する……! グランツ、補助陣展開して!」


「言われずとも!」


 二人が背後で術式を展開する音。

 それを聴きながら、俺は二体の攻撃を引き受け、二歩後退した。


 関節の角度、魔力回路の流れ……

 脳裏で解析が自然に始まる。


 ――腕部の回路に旧式の魔力変換。

 ――ならば衝撃点を肩ではなく肘関節へ誘導すれば……


 未来式の効率化が自然に浮かぶ。

 それはこの時代の誰も知らない理論のはずだ。


「エリオ、右から来る奴の肘を狙え! 魔力流が偏る!」


「な、なんでわかるんだよ!?――でも信じる!」


 エリオが刃を構え、石像の攻撃を受け流して逆面から切り込む。

 青い火花。石腕が破断した。


「やった!」


 リシアが驚愕した目でこちらを見ている。

 俺は答えられない。説明できない。

 ただ――守るだけだ。


 そして、その戦いはまだ始まりにすぎない。


魔力触媒柱が起動し始めたのは――本当に、偶然だったのかもしれない。

不吉な音を立てながら、円環構造の石材がひとつずつ浮かび上がり、淡い青色のリングとなって空中に連なった。まるで時計の歯車が逆回転を始めるように、遺跡の時間が巻き戻されていく。


「……成功、した?」

リシアが息を呑む。


しかし、同時に遺跡全体に再び魔力衝撃が走った。空気が裂け、石壁の亀裂から黒い魔力の霧が噴き出す。何かが覚醒するような、嫌な予感。


その瞬間、俺の頭痛が再発した。


視界が滲む。呼吸のリズムが崩れ、体内で脈打つ魔力が逆流した。

ヴィクター──奴が残した魔力ノイズの残響。遺跡の核を触発したことで、眠っていた痕跡が目を覚ましたのだ。


「カイン!? おい、大丈夫か!」


エリオの声が揺れる。肩を掴まれた感覚が遠く、俺は歯を噛み締めながら応えた。


「……問題、ない。まだ動ける。」


本当は動ける状態じゃなかった。それでも仲間の背を押すような言葉が出る。

従者クロウの癖が抜けない。“前に出る”ではなく、“支える”ことを優先してしまう。


そして──遺跡は俺たちを試すように牙を剥いた。


金属の足音。

浮遊する青リングの中から現れたのは、古代自動人形の強化型。


さきほどの魔獣とは比べ物にならない魔力量。

胸中央の心核が脈動し、周囲の魔力を吸い上げているのが見えた。


「来るぞ!」


自動人形が青光を収束し、砲撃の予兆が走る。

次の瞬間、胸部から魔力砲が直線状に放たれた。


俺は迷う前に動いた。


「エリオ、下がれ!」


身体が勝手に飛び出した。

剣を前に構え、魔力障壁を厚く展開。衝撃が全身に叩きつけられる。

脚が床にめり込むほどの圧力。焼けるような痛み。


――それでも、仲間に一撃も通さない。


「お、おい!前に出るなって何度も……っ!」


エリオが叫ぶ。

俺は返せなかった。ただ踏み止まり続ける。


砲撃を受け切った瞬間、膝がわずかに折れた。

エリオが駆け寄り支えようとするが、俺は手を伸ばして制した。


「俺は……盾なら、得意だ。」


言った瞬間、自分で違和感に気づく。カインは盾役ではない。

攻撃魔法の英雄。華やかな戦場の中心人物。その名を継ぐべき俺は、なぜ防御を選び続ける?


考える余裕すらなく、第二波が来た。


自動人形が高速接近、腕の刃が閃いた。

リシアとグランツが背後にいる。考える間もなく体が動く。


俺は刃を抱え込むように受け止めた。


金属が肉を裂く音。熱い痛みが肩に走る。

それでも決して後退しない。背後の仲間へ、刃を通させない。


「バカ野郎!!死ぬ気かよ!!」


叫んだのはグランツだった。

さっきまで反論ばかりしていた男の声に、焦りと怒りが滲む。


「盾役じゃねえだろ、お前は!普通の戦士なら避ける!攻撃で押し返す!」

「分かってる……でも、後ろに人がいるなら……」


息が震えるほどの痛みの中、言葉が漏れた。


「俺は、守るほうが落ち着く。」


それが真実。

クロウとしての性質が、いまだ俺の中で最も強く残っている。


エリオは喉の奥で声を詰まらせ、俺の背中に手を当てていた。


「……カイン。お前、昔からそんな戦い方じゃなかった。なのに、どうして……」


「事故の影響だろうがッ!」


グランツが怒鳴った。

エリオが返せず俯く。リシアもただ震える唇を噛むだけだった。


――だから、俺が動かなきゃいけない。


自動人形が再び砲撃を構える。

仲間が動揺している今、命綱は俺しかいない。


「エリオ、右から牽制。リシア、魔力循環式の低位妨害を中心へ。

 グランツ、心核を露出させる衝撃を一点に頼む。俺が盾を張る。」


三人の視線が俺に向く。

即興の戦術。それでも迷いの無い指示。

従者として、主を勝たせるために戦場を整えてきた癖が現れてしまった。


「行け!」


俺が突撃し、砲撃を再び受け止める。

その隙にエリオが側面から斬撃。リシアの魔法が心核保護膜を乱し、グランツの魔導ハンマーがその一点を粉砕した。


心核が露出――次の瞬間、崩落のように自動人形が停止した。

重い静寂。


しばらくして、リシアが呟く。


「……カイン。本当に、誰より前に立って守る戦い方を選ぶんだね。」


鋭い観察。俺は何も言えない。

代わりにエリオが、弱く笑って肩を叩いた。


「昔と変わった。でも……理由があるなら、いつか聞かせろ。

 俺は、お前を信じて一緒に行く。」


胸が痛む。

信頼されるほど、俺はカインの顔を借りている罪悪感に締め付けられる。


しかし、その迷いも――次に見つけた手掛かりが飲み込んだ。


遺跡の奥。心核の残骸のさらに向こう、台座に青い石が浮かんでいた。


《時素結晶 - Chrono Core》


リシアが息を呑む。


「これ……文献にあった“時間を束ねる核”だ。ヴィクターを戻す鍵になる……!」


グランツが唸る。


「つまり、道は繋がったってわけだな。」


エリオは微笑み、俺の腕を取った。


「さあ帰ろう、カイン。お前が先頭を歩くなら、俺が隣に立つ。」


その言葉に救われるような痛みが走る。

俺は笑えなかった。ただ、頷いた。


――守るために前に出る。

それが間違いなら、せめて仲間の未来に繋げたい。


こうして俺たちは結晶を手にした。

だがこの瞬間の選択が、後に取り返しのつかない未来へ繋がることを、俺はまだ知らない。

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