邂逅 一話

私が生まれたときには、世界に魔法が誕生してすでに百年以上が経過していた。

かつての人類は食料問題やエネルギー危機、環境汚染など数々の難題に科学で挑んでいたらしいが、今ではそのほとんどが魔法によって解決されている。

魔法は文明の水準を飛躍的に高め、世界には束の間の安寧が訪れていた。


しかし、この平和な世界において、日本は少し特殊な立ち位置にあった。

というのも、なぜか日本では世界共通の魔法プロセスがうまく使えないケースが多く、結果として科学技術が支えている領域が今も数多く残っているのだ。


20歳の私は国内最高峰の大学で希望の研究室に進むことができ、日々魔法の研究に没頭していた。化粧どころか、没頭のあまり風呂さえ忘れる始末。年頃の女としては最悪と言わざるを得ない有様だった。


「見て、できた!これ、起動するよ!」


仲間に自慢げに見せた魔法は、小さな火を灯す程度のものだった。辛うじて煙草に火をつけられるかどうかという小さな灯りが、力なくふわりふわりと揺れている。

研究室の仲間は最初こそ喜んでくれたが、すぐに自嘲するような笑みを浮かべ、ポケットからライターを取り出した。

カチッと音が鳴ると、いとも容易くライターから火が現れる。


「また、科学の勝ちだな。」

「そんなこと言うなよ。こっちは燃料も火打石も不要なんだぜ?」

「魔法を起動する基盤だけでライターが10本買えちまうよ。」

「値段じゃねぇって。それにほら、あの名シーンが再現できる。死にゆく相棒の煙草に火をつけてやれるんだ。」


仲間の一人がノリよく煙草を咥えたので、私は演技っぽく泣き顔を作りながら、差し出された煙草に火をつけてやった。


「はは、こりゃいいな!」

「雨霧、おまえ黙って風呂に入ればほんと美少女なんだけどな。」

「うるせえやい!私の恋人は研究なんだよ!」


研究室は笑いに包まれる。これが20歳の私の日常だった。

本気で取り組んでいるのにくだらない結果が生まれ、そのくだらない結果をくだらないと笑い飛ばす仲間と過ごす。楽しいが生産性のない、そんな毎日が続いていた。







その日も研究室に籠って魔法学の教本を読んでいると、見たことのない女が研究室に入ってきた。 怪しい様子ではなかったが、なぜか日本の古い民族衣装――たしか着物――を身にまとっていた。


「研究室を間違えていませんか?ここは魔法機械工学ですよ。」

「あら、可愛らしい方。」

「えっ。」


咄嗟に褒められたものだから、思わず固まってしまった。

この日の私は、お世辞にも人前に出られるような格好ではなかったので、なおさらだった。


「ごめんなさいね、突然。こちらにうららという研究員はいるかしら?」

「あ、えーっと、麗ですか。だったらいないと思います。」

「あらそう、このあたりの研究室だと思ったのだけれど。」


謎の女は悩ましげな顔を見せたのち、胸元から二枚の紙を取り出した。

一枚は大学内の簡易地図。そしてもう一枚は何やら研究資料のようだったが、その右下に刻まれたマークには見覚えがあった。


「え、お姉さんもしかして跳躍機関の人!?」


跳躍機関――国内独自の魔法体系を研究する組織の中で、まさにトップ・オブ・トップの存在だ。

所属人数は百人にも満たない超少数精鋭でありながら、核融合炉の稼働を世界で唯一可能にしたという輝かしい功績を持っている。


「あら、盗み見なんて感心しないわね。」

「ご、ご、ごめんなさい!でもつい興奮しちゃって……本当に跳躍機関の研究員!?」


「失礼するぞ。」


ノックの後、これまた知らない男が入室してきた。

跳躍機関のお姉さんが振り返るなり、驚いた顔を見せる。


「あら麗、ここにいたのね。」

「こっちのセリフだ。なんでこんなところに…。」

「迷ってしまってね。いつものことよ。」

「はぁ、まったく…。」


男と目が合った。黒色の透き通った眼をしていた。


「魔法機械工学科の雨霧…だな?」

「え、私のこと知ってるの?」

「あぁ、うちの研究室ではちょっとした有名人でな。ほかの部屋にも研究馬鹿がいると。」

「光栄だね…。いかにも私は研究馬鹿だよ。」


男はその言葉を聞いて、やや嬉しそうに微笑んだ。


「せっかくならゆっくり話したかったんだが。今度、良ければお茶でも付き合ってくれ。」


男はスマートに連絡先のQRコードを差し出してきた。さも連絡先を交換して当たり前という雰囲気には少し弱ったが、断るのも変なので交換に応じた。


「麗という。また今度話そう。あと一応訂正しておくが、私は教授だぞ。」

「あ、え…え!?」


同じくらいの年齢だと思ってため口をたたいてしまっていたが、まずかっただろうか。


「跳躍機関の八雲やぐもよ。機会があれば会いましょうね。」


あたふたする私をおかしそうに見つめた八雲さんは、最後にそう告げて部屋を後にした。

これが、私が彼と彼女に出会った最初の瞬間だった。


このときは、知る由もなかった。

この、たった数分の出会いが——

私の人生にとって。

或いは、日の本の未来にとって、大きな分岐点になるだなんて。

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Can't look away 八島都 @yashima-0618

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