第0章 第九話
腹にひんやりとした穏やかな痛みがした。炎の渦が竜のように伸びて来て、身体が炎の玉の中にあった。体中が焼けて、段々と意識が遠のいていく。
声が聞こえた。怜利の声だった。
「 諦めるな! 」
そう聞こえた。そうだ。そうだった。俺は何を考えてた。幼い頃に誓ったんだ。俺が、当主になると。父親を殺した野郎を見つけるために。
今、声を挙げている天才少年さえも倒して。他でもなく、俺がなる。
深く呼吸をした。炎を吸って肺が焼けた。空気が吸えず、苦しかった。
しかし、苦しいのはまだ生きている証拠だった。残りの力なんぞ元よりない。出し切ってしまおう。
術を腕に纏わせる。炎の渦に腕を入れ、痛みに耐えながら裂く。腹に刺さった刀は熱で無くなっていた。血だけが溢れていたがそれさえも業火で蒸発を繰り返していた。
身体を囲う渦を振り切り、宙から、怜利を囲う者どもを見つめる。あいつらは既に俺が動けないとでも思っているのだろう。舐めるなよ、俺は八神玄斎だ。
重い金棒を軸に身体を思い切り回転させ、体勢を整える。そのまま、怜利の上半身を目掛けて、拳を突きだす。
術式を掛けずとも既に、雷が身に付いてくる。身体が空中でも思った方向に動き出す。
一瀬がこちらに気付き、爆術を放ってくる。しかしそんなもの怖くはない。
爆発寸前の火球の中心に稲妻を抜けさせる。火球は至る方向に飛び散り、小さな爆発だけになった。稲妻がそのまま、獣化直前の一瀬と、妖力を注いでいたロン毛に直撃してそのまま伏した。
一段遅れて、刀の野郎は向かってくる。金棒を刀に打ち付け、勢いを殺す。すかさず金棒から放電する。氷術の印を組んでいたが、そのまま感電して、倒れこむ。
横になった体に金棒を投げつけた。黒い金棒が熱を持って朱くなっていた。
怜利は、その瞬間俺に気を取られていた影山に足を絡めて、首を締めていく。
息をしなければ、『言』を唱えられるわけもない。
宙を掻く影山に雷拳を落とす。雷拳だ、打たれた箇所だけではない。
打った瞬間、稲光がして、空気が鳴くのだ。
そして、首元を着地した右足で薙ぐ。締め付けていた怜利共々吹き飛んでいく。
地に足を着けようとするが、身体ごと帯電していて、床から爪先から膝までの長さほど浮いたままになってしまった。周囲にスパークが飛び交う。
一瀬がふらつきながらも立ち上がる。
「おまぇえ…!どこにそんな力を隠してた…、」
こめかみを左手で触りながら、一瀬が呟く。
答えようとしたが、不思議と声が出ない。そして、血が流れ続ける腹の穴にも痛覚はなかった。人間とは違う、別の何かになりかけているのかもしれない。
「八神玄斎…!決着だ。」
一瀬の声は震えていた。
返事なんか出なかった。背中に熱い滾るような感覚がした。体中から放電を止めなくては、妖術が足らなくなるというのに、勝手に出続けていた。
それさえも抑えることが出来ず、されど疲労感などなかった。
一瀬が獣化術式を始めた。止めなくてはまずい。分かっているのだが、止める事はしなくていいと体が訴えていた。身に任せることにした。
どんどん大きく、筋肉質になっていく一瀬達也を見つめる。
恐ろしいと評判だったこの術式に恐怖のひとかけらも浮かばない。
大蛇と化した達也を見つめる。凪いだ湖面のように穏やかな心が少しづつ、晴天に突然落ちる閃光のように激しさを持ち出す。
大蛇が身体をうねらせ、咬みにくる。儂はその蛇の横っ面に金棒を突き刺す。しかし、鱗に阻まれて、朱く軟らかくなっていた父の形見はぐにゃりと曲がった。
左手を当て、雷撃を直で撃ち込む。蛇の鱗が焦げた。
蛇は大きく身体を揺すり、儂をはじいた。結界の壁に背中がぶつかろうとした。が、磁石でも仕込んであるかのように反発して、衝撃を少しも感じない。
激情に思考が支配されていった。
身体が動くのに合わせて、力の度合いを決めている。ただそれだけだった。拳が蛇の尾を貫いた。貫通して身体を通し、そこに電撃を残す。
徐々に蛇の動きは鈍くなる。まだ抵抗をする。
蛇は儂を絞め付けようとする。体中に纏った電撃がそれを許さない。
電撃で素早く身体を引いた蛇は途端に鱗を紅く燃え上がらせる。大きな牙の付いた口を閉じて突進をしてきた。掌で止められると思った。
手を出して、顎に着けた瞬間、黒い煙を上げてきつい臭いが鼻を刺した。
『何をやっているんだ俺は。』そう言う俺の声が聞こえた。
儂は無視しようとした。しかし、身体が言うことを聞かなくなっていた。一つ一つの動きに枷が付いた。
呼吸をした瞬間。体中の力が抜けて、蛇野郎の頭と同じ高さから、落下していった。
身体中の痛みで意識が徐々に薄れていく中、地面にいる者共が目に映った。
そいつらの目は、怯えていて、そして先代に向けられた目と同じだった。
意識が一気に暗闇に引き込まれた。
地面にぶつかり、痛みだけが身体を支配する。脚が潰れたことを感じられた。首を何とか蛇の方へ向けた。視界に鎌首を上げる蛇の腹しか映らなかった。
手前に親父の金棒が転がっていた。拉げてしまった。
意識がどんどん遠のいていった。
蛇があと数十歩先まで来たとき、身体が白い陣に包まれて、痛みが引いた。不思議な陣だった見たこともないものだった。
それをみた一瀬も驚きを隠せず、動きを止めて陣に顔を向けていた。
「おい!一瀬!」
ロン毛が叫んでいた。だが一瀬には声が届かない。
「怜利だ!仕留めろ!!」
ロン毛はそう言ったあと、吐瀉音を立てた。
顎を開き、目が血走る蛇は俺にとどめを刺しに咬みつこうとした。
その蛇を見ていた奥に怜利が浮かんでいた。印を組み、浮いているはずなのに足元に陣があった。
その怜利と目が合った。その瞬間、怜利は目元を赤くして、思い切り笑っていた。
印を結んで下へ術輪を投げる。
目の前まで牙が、迫った。
でも、俺は信じている。これは、怜利の勝ちだと。
結界内が全て白い光に包まれて激しい力が体の内側から爆発した。吹き出る血さえも白く映る。
蛇だった一瀬も落ちて、全身から血が吹き出ていた。他の奴らの気配はしない。皆逃げ出したのだろう。
白い視界に、怜利の姿が垣間見える。
悲しそうで、今にも泣きだしそうな表情だった。
俺の目にはもう何も映らない。
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