第0章 第六話

 崩れた屋敷へ向かう怜利の後ろについて行こうとしたが、振り向きもせず左掌を向けた。「どうしたんだ」そう口を開く瞬間、屋敷の高さなど雄に超えた炎の渦が伸びてきた。怜利は岩術を無詠唱で扱う。腕を地面につけ、二歩ほど前に行ったところに岩の壁を飛び出させた。後方に及ばない防御壁をこの少年はあっという間に作り出した。

「怜利!防ぎきれるか…?」怜利の額に汗が浮かぶ。これでは、妖力の使い過ぎに該当してしまう。

「少し、難しいものです…。」怜利に妖力を分けようとしたその瞬間、紅の声が頭に直接響くように聞こえた。


 『これより、次期当主を選別する蟲毒の儀を始める。当主候補と認める者を、隔離結界陣の内へと転移させる。結界内に入り次第、儀式は始まるものとする。』

紅の声が途切れたその瞬間、視界が太陽よりもはるかに明るく、何も聞こえなくなり服の重みさえも消え去ったかのように何も感じられなくなった。そして少しづつ暗闇に移っていった。

 真っ暗な暗闇に少しづつ空間が、空気が、匂いが戻ってきた。暗闇の中、周囲十メートルほどに他の参加者の気配がした。その足元に輝いた陣が眩しい。拳を構えて、振り向きざま走り出す。しかし、各々の足元に光る円陣が急速に広がるとともに闇が深くなっていく。空間が引き裂かれるように遠ざかっていった。


気付くと、足元が冷たい水で満たされていることを感じた。真っ暗な闇の中、自分の呼吸だけが聞こえていた。とうとう、『蟲毒の儀』が始まりを告げた。


 儀式が始まってまだ五分ほども経っていないだろう。しばらく走り回ることにした。この五分で分かったことがいくつかある。

一つは、この結界に端があり、若干内側に壁が丸くなっているという事。つまり、空間は無限でない。戦闘上重要なことの一つだ。

二つ目は、場所ごとに地形が変わるという事だ。これまで見たものだと、術式で出来た壊れない木のゾーン、黒い術式の砂で埋もれたゾーン、岩山のゾーン、湿原のようなゾーンだ。戦力的に重要になるだろう。

三つ目が、こうして壁沿いに走り続けているが、壁が内側に曲がり続けているという事。この結界が円であることを示しているだろう。

 そんなものだ。戦闘の音さえも聞こえない。誰もいないかのように不気味な無音だけが空間を占めていた。


 壁際を走り続けていると、右前方に人の気配を感じた。そこで集っている者共がいた。

「さて、だーれだ。」軽々しく呟いてみた。主人公にでもなったように。


 長い間と話している候補者を見つけた。四国分家と知らん奴だった。

「おい、あんたら何してるん?」

近くまでゆっくりと歩み寄り、話し続ける野郎どもに訊いてみた。

「あー、貴方どこの分家の方ですかね?」

細身の着物の男が聞いてきた。確か、清めの儀で見た風の術者。

「俺は、出雲の者や。それはそうと、あんたら何話してん?」

婆に仕立ててもらった和服の袖をたくし上げる。右腕に付いた数珠を右の親指で撫でる。それを見たもうひとりの猫背の野郎がこっちを睨み、隠すように背中の方で印を組む。それを見て俺は構えを取りながら一歩後ろに下がった。

「なー、おっさん。そう力まずに、はなさん、カッ!!」

カッ!と破裂音が鳴る。筋肉が硬直して動けなくなった。言葉を発しようとも喉が動かない。耳鳴りが酷く続いていた。


 思い出した、こいつは四国八神の二家で有名な。風のヒナタと、言の影山。テクニシャンで強いと噂される二人組だ。かなりまずい。

 ヒナタは耳栓を取りながら、印を組み、口を動かし続ける。詠唱しているのだろう。数回印を切り替えているのを鑑みると、相当な威力が出る物なのだろう。これは非常にまずい状態だ。仮に詠唱をしている術式を耐えたところで、影山の『言』が続くだろう。


 影山の言を浴び、妖力がどんどん上がっていくヒナタ。妖力が膨れ上がり、相当な気を発していた。


 詠唱をしている最中に突如、独特の重厚感を持つオーラを感じた。どうやら、二人共気づいたらしく、影山が向かった。

俺は、この際、戦闘に移ることにする。影山がいないなら風くらい楽勝だ。


 『無詠唱術式』というものは、詠唱、つまり術式の予備動作を省くこと、いわば『速攻』を求める高等テクニックだ。それは、縛られていても身体が切れていても可能である。

震える唇で言葉を示すことにした。同時に右腕に力を入れ続ける。

「ざ」「ん」「ね」「ん」「え」「い」「しょ」「う」「が」「お」「そ」「い」

俺は右腕から『雷撃』を放った。比較的弱めなものだ。

 指先から、空気を裂くように閃光が走る。ヒナタの身体から焦げるような匂いがした。微動だにせず、印を組んだ手が固まったまま後ろに倒れていく。

「あちゃぁ、弱くやっても焦げんなぁ、しょうがねえか。」

肉が焼ける嫌な香りが漂っている。が、まだ動こうとしていた。


 返り討ちにすることができた。危ないところだったがまあいいだろう。。ヒナタの上に乗り、一息ついていたころ軽い少年の足音が聞こえた。張りつめていた肩の力が抜けて、深呼吸をした。立ち上がると、ヒナタの身体は一瞬にして消えていった。特に陣などで出されるというわけでもないらしい。


 「よお、怜利。」

姿を見なくても分かっている。猫背を引きずりながら歩いてきた。

「玄斎殿、やっと会えましたね。一人で案外大変だったんですから。」

珍しく息を荒げていた。服の所々が切れているのを見るに、既に何人かと戦闘を繰り広げていたのだろう。しかし不思議なことに身体は切れていないのだろうか。血が見えていない。

「それで玄斎殿、まだ彼を見つけていませんか?」

彼というのは一瀬だ。怜利と俺の打ち合わせでは見つけ次第、俺が戦闘を仕掛けに行くとなっている。

「残念だが、この二人組と、怜利が初めて遭遇した者だ。」

先ほどの『雷撃』でどれほど人が集まるかと思ったが、思っていたよりも向かってこないらしい。まあ、思っているよりもなのだが。

「気付いてると思いますが、二人ほど来ていますね。私は達也殿を探し出さなくてはいけませんので、任せてもよろしいですか?」

ふん。答えは訊いてない、とでも言いたげな目で上目遣いをする。

「任せとけ。」そう言った瞬間、怜利は姿がどんどん小さくなっていく。足音も立てず、術式も使わずにあっという間に去った。

 足元を見回しても、影山の姿が無かった。どうやら話の合間に逃げたらしい。


 周囲を探るに、こちらに四人ほどが来る。一人はあの華奢な小娘で、もう一人が闇使いで名の知れた爺。それ以外は特に覚えていない。何はともあれ、迎え撃てばいいのだ。

「来たなぁ…!小娘!」術式『波陣』を使っていた。やはり元より扱っていた水術が儀式で覚醒したのだろう。

 怜利と同様、子供とは到底思えない覚悟を感じる。さあ、迎え撃とうか。


 波に乗るようにして突撃してくる。しぶきが刃のように頬を掠める。波から飛び降りる様にその勢いのまま飛び蹴りを放ってくる。これもまた、水術で加力されている。左に躱し、脛を掴む。そのまま体を回転して投げ上げる。

 投げ上げたのだが、上空から小娘は術を放ってくる。滝のように勢いよく脳天へ向かってくる。間一髪で飛び退く。そこへ踵落としが降ってくる。今度は腕で防ぐ。体重の軽い小娘だが、流石に降ってくれば痛い物だ。跳ね返して、四歩ほど奥へと飛ばす。着地した瞬間、俺と小娘を結ぶように『土壁』が生える。


 術式の出どころは、俺でも彼女でもなかった。そいつは、遠く離れた土壁の上でこちらを見下ろしていた。

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