第0章 第四話

 久しぶりに親父の仏壇を掃除した。親父がいたとしたら、

「掃除なんかしねえではよ行け」とか、呆れ顔で言われそうなもんだが、いねえんだから好きにさせてもらう。

 線香を挿して、おりんをぶったたく。ちーんと高い音が鳴る。如何せん久しぶりなもんで乱暴だが、まあいいだろう。

「親父、行ってくる。」

ゆっくりと後退する。若いうちに死んだ父を懐かしんだ。黒く光る仏壇に鮮やかな太陽の光が反射して、美しかった。磨いた甲斐がある。


 婆の手が肩に載った瞬間、つい一週間前に見た門が見えた。門前に構えていた妖の内、一匹が寄ってきた。案内役らしかった。そいつについて行き、迷路のような屋敷に通される。音もなく静かに歩き続けた。どこもかしこも、この間来た時よりも小奇麗になっていた。


 案内役の式が止まり、ふすまをゆっくりと開ける。その奥には、幼い頃何度も会っては遊んでいた者ばかりが集っていた。しかし、一人だけ足を組み、余裕気に盃を揺らす者がいた。一瀬達也だった。

 一番手前の卓袱台に座った。久しぶりに会えた首里の者に話しかけてみた。想像した通り、酷く震えていた。普段通り話せる者は十数人いる候補者の中で誰一人としていないのかもしれない。見渡してみると、あの怜利よりも幼いガキもいるようだった。「儀式」を知らぬわけもないはずだが、可哀想に思えた。


 古時計の音だけが占めていた部屋の中に、ふすまの外に聞こえる足音が鳴っていた。少しずつ近づくそれは、部屋にいる俺たちの胸をじわじわと締め付けていった。

ふすまの前で妖の声。そこに立つ気配は、人間と区別のつかぬものだった。

「当主代理、神威 紅でございます。」

カムイ ベニ。八神家始祖の時代より生存している霊。人間の世界と、妖の世界が交わる遥か昔から人間界にいたと聞く。

 全員が開きだすふすまに向く。一斉に頭を下げる。そうしろと教わり育ってきたからだった。一瀬は相変わらず足を組み、盃を傾ける。

「皆様、調子はどうでしょうか?」

紅が問う。誰も口を開かなかった。なんて答えればよいものか分からずに沈黙が続いた。

 一瀬の酒をすする音が聞こえた。緊張感がない野郎だと感じた。しかし、緊張感のない音は廊下からも聞こえてくる。この部屋に残る空いた座布団の分。三人の候補者、残り三人のガキらだ。


 「なー、怜利ーほんとに俺も出んのかよ。」

緊張感のない子供らしい声だった。門前で会った茶髪のガキだろう。命のかかった儀式とはかけ離れたうざったい声をしている。

「出なきゃ、折角だしね。」

これは怜利の声だろうか。随分と柔らかい声をしていた。一際ゆったりと歩く足音が聞こえた。

「オレも出るんか?」

ガキとは思えない低い声だった。威圧感を携えた体躯のでかい奴。

「うん。もちろんだよ、幸璃。」

そこまで話したところで紅が振り向く。

「遅い、お前たちは。身を律しなさい。」


 部屋の中におとなしく座った三人のガキ。これで候補者三十二人全員が揃うことになる。紅が儀式の日程、それまでの過ごし方を話す。

「皆様、改めまして。こんにちは。

 『祓い屋八神』当主代理、神威 紅と申します。今日まで当主候補として育ってきましたあなた方としては、今日を迎えられること、誇らしいことでしょう。

 ご存じの通り、当主を襲名するのは、八神家でたった一人のみ、でございます。そんな皆様に第一に話すべきは、今回の『儀式の法』でありましょうか…。

 こちらは最後にお話することとします。さて、今日と明日の過ごし方からお話しましょうか。」

周囲の者たちの息遣いが細かく聞こえていた。言われることはどうせ分かっているのだ。

「儀式までの二日間あなた方は鍛練を積んではいけません。特に清めの儀以降の肉体酷使は儀の意図反する者とし、当主候補である権利を剥奪いたします。」

毎度のことだ。ここに居るものはほとんど知っているはずだ。でもなければ、この場に居る事すら、許されていないだろう。


 「何か質問はありますか?」

各工程の詳細を隅から隅まで聞いた後だった。

紅が各々の頭を見回す。視線が感じられた。誰もが知った内容であった。もちろん俺は質問なんてない。


 しばらくの重い沈黙。庭に飛び回る小鳥が叫びだす。鳶か何かに捕まったのだろう。間もなく風の音だけが部屋の中に流れ込んできた。

「では儀式の話題に移ります。異論はありませんか?」

「すみません…。樹海屋敷の者ですが。今、この場を辞退することは可能でしょうか…。」

まだ二十二の青年は冷汗を光らせていた。理由次第で運命が決まることを知っているかのように。

「はて?樹海屋敷の修様、理由をお聞かせくださいな。」

部屋に入る風が妙な音を立てていた。瘴気が流れ込むような不気味な感覚だった。

「私はここに居る猛者の方々と張り合える気は致しません。だってそうでしょう?私の戦力など、まだ二十歳にもならない子供と互角。いやぁ、それ以下です。

それでここに居る先輩方と張り合えなんて無理ですからね。」

二十歳にもならないガキはここに四人もいるわけだが、誰であろうか。しかし、樹海屋敷のオサムと言えば、まだ二十二で屋敷の主だろう。不死の樹海に流れ込む妖退治で有名なはずだ。そんな奴が言うくらいの者は、怜利くらいしか思い浮かばない。


 紅は満面の笑みだった。

「うむ、よいでしょう、『儀式』は死を伴います。故に、去りたいものは清めの儀の前に去るが良いかと。」

修は頭を下げながら、ふすまを通っていった。


部屋のふすまは開いたまま、部屋の中にいる者は元の半分、十八人になっていた。しかし、驚いたのはガキどもが全員残っているということだ。

「残った者は名前を確認しましょ」

「その必要はない…、」紅の言葉を遮るように、初めて口を開いた一瀬達也。

「把握できている…。そこのガキども、四人中二人はノーマークだがな。大人十四の子供四だ、名前など関係ない。もちろんお前ら大人もだ。俺には関係がない。」

眼もくれずに指をさし、こちらの者どもを威圧してくる。まるで埃を指すかのように。しかし、流石に残った者どもだ。ビクビクするわけもない。それぞれ覚悟が決まっている。

 それからしばらく誰もが黙り、沈黙の時間が流れていった。


 「では清めの儀に入りましょうか。」

結局、懇談とかいう時間は怜利達三人のおしゃべりタイムとなっていた。残った華奢な女子は部屋の隅で静かに印を結び精神統一していた。どうやら精神統一くらいでは鍛練扱いにならないらしい。

 その他の者どもは酒を呷る者、黙りこくる者、大の字に寝る大男、寝る者、とそれぞれの過ごし方をしていた。俺はそんな者どもを観察していただけという事になるのだが。


 この前来た時に怜利が直していた穴ぼこの場所に、円い蚊帳のような物が立っていた。暖簾のような幕の下を通り、赤い文字で刻まれた名前の椅子に座る。それぞれが誰とも向き合わない円状の配置になっていた。

 紅が妖の言葉で唱え始める。次々と見たことの無い『呪帯』が宙を縫う。紅を囲うようにして綴られていく呪帯は、一人一人に真っすぐ向く。

「では、皆さま。お眼を閉じてください。」

紅に言われるまま、目を閉じた。

「しばらくの間、そのままでお待ちください。」

それぞれの鼻息が聞こえるほど静かに、そしてそれぞれが興奮していることを示すかのように体中が熱くなっていく。

 身体の奥底の方に、熱く滾るたった一つの点を感じられた。そこから様々な力が滝水のように流れ込んで来た。突然体の外側に雷が迸る。身体に溜め込んでいたいた力が爆発したかのような感覚だった。

「皆さま、目を開けてください。」

瞼を開くと、いつも以上にチカラが身体から出てしまっていた。両腕、両脚、体中に電流が走り、痛みが出る。

「皆さま驚かれているかと思いますが、これは皆様方を清めるとともに、皆様のチカラを最大限に引き出し、皆様の身体に宿る術式を増幅するというものです。」

それぞれがチカラの影響を受け、息を切らしていた。

ちらっとガキどもの方を見たが、茶髪は雷と風の二種、華奢な女子は水一種、巨躯は火一種、をそれぞれ纏っていた。怜利はというと、何が纏っているのかもわからない程、揺らめき、瞬き、重い煌めきを放ち、まるで月光のように輝いていた。そんなことを気にしていられるほどの余裕なんてない。とにかく身体中に抱えきれないチカラが湧き出てくる。

「さて、清めの儀は、これにて終了でございます。」

紅は薄ら笑いを浮かべ、お辞儀をする。


 誰も立ち上がれないまま清めの間には様々なチカラが鬩ぎ合っていた。

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