第0章 第三話
本家屋敷の中に連れられた俺たちは門を入り、屋敷本棟の奥、広い庭の真ん中まで連れられてきた。そこら中が穴だらけになっていた。大きなコンクリートの建造物跡は、酷く抉られている。
「見ての通り、襲撃を受けたんです。この屋敷…。つい四日前です。二週間後の儀式の為に復旧作業が残っていまして。忙しいんですよね。」
怜利は歩きながら印を結び、その左腕を大穴にかざす。『岩術』で穴を埋めていく。音を立てて大地が小さくそして力強く震える。
低く重い蠢きの中から岩がせり出してくる。その後に右腕で結んだ印をかざして、岩を崩す。すぐにハルとか呼ばれていた門番が『気』を撒く。すると一気に芝の芽が立ち上がる。
その一連の流れは、圧倒的なまでの流れ作業だった。淀みなど一切感じられない。ためらいも、逡巡も一度たりとも感じることはなかった。まるで大地を己の思い通りに動かしているようだとさえ感じた。歩いて行きながらそこを少しずつ補修していった。あたかも地の神のようだった。
十一歳になる子供の能力だとは到底思えはしなかった。こんな天才と命を賭けた『儀式』をすることに今更ながら寒気を感じる。
粗方の穴を埋めた後、振り返りながら呟く怜利。
「それで、何の用事で?」
少年の神業を見て忘れかけていた。俺は儀式の会場でスパーリングでもしようかと思っていたのだ。言葉が見当たらず、テキトーなことを言ってみる。
「あぁ、儀式会場は無事か?」
怜利は少しだけ怪訝な表情をした。歩みを止める。先ほどから歩き回っているこの広い庭に、儀式の間がどこにも見当たらなかったのだから当然だ。
しばらくしても何も答えない。怜利の目を覗き込むと僅かに不安感を写していた。目が合った瞬間、にこっと目元を緩めた。そうして、また歩みを進める。
「ここだけの話ですが、襲撃犯が八神内部の可能性がありましてね。儀式会場を丸ごと破壊されましたよ。」
目を細めながら振り向いてきた。婆の目を真っ直ぐに見据えて言い放つ。その威厳は凄まじい物だった。三十路の俺でもその圧は出せる物じゃない。
「ハル、古塚のばあちゃん、玄斎殿と二人で話したいと思うのですが良いですか?」
怜利に連れられ、屋敷の広い庭で一番奥にある簡素な東屋に対面で座った。
「玄斎殿、」
そう言った少年の眼はもう、ガキの眼ではなかった。声変わりのしていないあどけない声もやたらと低く聞こえだす。
「まずは、遠方よりお越しいただいき、ありがとうございます。並びに、門番兼、私の直々の式神、ハルが無礼を働いたこと申し訳なく思っています。」
丸太でできた丸椅子に座ってはいるものの、そうとは感じさせない美しい座礼に目を奪われた。
「あぁ、そんなことは良い。こっちが悪かったように今は思う。」
そう言うと、怜利は少し頭を上げ、もう一度言葉と共に下げる。
「いいえ、私の管理不行き届きでした。これからは改善に努めます。」
本当に子供らしさを感じさせない言葉遣いだった。この感じは、物凄い奴になる。
「いやいや、俺自身、なんであんなに怒りが起きてしまったのか分からずにいてな。好戦的になってしまった俺が悪かったん。」
頭を上げて、目を見つめてきた。
「玄斎殿、そちらに関しても私の管理不足であります。敵襲の際、敵は精神支配術を扱っておりました。その余韻が残っているのにも関わらず。何も示さなかったこちらの責任です。重ねて謝らせていただきます。」
う、ぶっ刺さったな。精神支配に抗えないほどの精神だと言ってるようではないか。本格的に鍛え直さなくてはマズいらしい。
それからなんとなく雑談を繰り返し。気が和らいできた頃に怜利が深く深呼吸をして、空気を変える。
「さて、玄斎殿。何も知らずに、この屋敷に向かってきた玄斎殿だからこそ、話しておきたいことがあります。」
怜利の穏やかな眼は俺の眼を真っすぐ見据える。よくよく見ていると、十歳の年齢にふさわしい子供らしい顔つきではある。
「二週間後に迫る『儀式』。私は、一人の人物に負けることになるでしょう。それは占いで判明しました。覆らないことは分かっていただけると思います。」
こいつは何を言ってるんだ。お前のようなバケモンが負けるわけないだろ。
「そんなに怪訝な顔をせずお聞きください。それは、一瀬から婿入りしてきました、一瀬達也 様です。」
ふん。一瀬 将の弟か。八神の東北分家に婿入りしていると聞いている。
強さもバケモノのレベルだとは聞いてはいるがこの天才に及ぶほどのものじゃないはずだ。
「しかし、八神一門の当主は、代々直系じゃないんか?」
少年の眼は薄く開かれた。低い呼吸音を響かせた。
「それであれば、私には当主という役目を背負う権利はありません。」
そうだった。怜利、こいつは複雑な野郎だった。血筋は八神だが家系図上は先代当主の孫養子、になっているからだ。
「そういうことか。あいつは婿で一家の一番上についてるから、権利があると…」
「大方そういうことです。しかし、玄斎殿、あなたが考える意味での負けるとは違います。」
怜利は唇をゆっくりと閉じる。妙に優しく唇が開く。
「貴方が勝つのですよ、玄斎殿。私ではなく、あなたが一瀬達也に勝つ。」
何年も願ったことをこの天才少年に予言されたことで、俺の頭はショートした。
「聞いていましたか?玄斎殿。」
呆然としていた俺に何度も言う。もう三度目だろうか。
「いやっ分かっとる!」
思いを巡らせていたら、いつの間にか関西屋敷に帰っていた。
俺は、来る「儀式」の準備を始めた。
少しずつ怠けて緩み切っていた身体を鍛え直すならなかった。
冬も深まり、クリスマスの終わりを告げた頃。何年も連続の雪の降るクリスマスだった。
重い思いに沈み、庭の真ん中に生える太いカエデの木に金棒を振るう。絶妙な手加減で折らないように、倒れないように打ち込み続ける。辺りはとっく前に暗く、日が変わろうとしているのは分かっている。
分かってはいるが、修練が足らない気がしてならない。関西屋敷の術者共は俺以上の強者、と認める有名な者はいない。だから組手などを一切していない。果たして昔の感覚が残っているのだろうか。
「坊ちゃん。晩餉時だでぇ、はよ食べりんさい」
婆の声が聞こえた。
本家に向かったあれから、一週間と三日だ。あと三日後に儀式がある。しかし、明日から本家に入り、当主候補の者と、その家族の者は「清めの儀」を受ける。だから今日が最後の鍛え時だ。夕餉なんか食ってられん。
「坊ちゃんの好きなフグ汁ができちょーで、はよ来んさい~」
屋敷の縁側から声を飛ばす。
「わかったわかった。今行くわ。」
金棒を振り下ろす。楓の幹が鳴る。金棒を幹にめり込ませたまま掌を見やる。したこともないような鍛練で出来たまめが硬くなっていた。視界の端に映る居間の明かりが温かく、不思議と心が落ち着いた。
「心配すんな…。…ばあや、儀式終わったら、一緒に本家住もう。どーせ暇やろ?」
先ほどからすすり泣く婆の声が震えていた。その声を聴きながら、俺は静かに屋敷の明かりへ歩み寄る。
夜が濃くなる。フグの身は美味かった。
唯一レシピで残っていた母の料理だ。幼い頃から、婆が作ってくれた。だが今日はなんとなく喉の通りが悪かった。これまで生きてきた三十年に、これほど不安な夜はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます