第0章 第二話

 所々に穴が空いた門の柱。その新しい割れ筋に真っ赤な蜻蛉が止まっていた。やけに高い敷居の内は随分と賑やかなようだ。しかし、門の外からは中が見えないようになっている。琉球の文化を感じる作りだった。これは幼い頃の記憶と変わりない。

門の上にシーサーのように二体の龍が並んでいた。一体は尻尾が折れている。

 婆が傷だらけの敷居を跨ごうと足を上げた。

その瞬間、俺に刃を突き付ける何者かが飛び出してきた。凍り付いた空気が婆にも届いたのだろう。敷居の前で足を止めていた。

意識した時には既に捕らえられていた。溜息をゆっくりと吐く。

「ほう…無礼やなあ、本家の門番は礼儀っちゅうもんも習わんのかいな?」

婆の方を見てみた、婆は八神本家の家術『獄縛』に囚われていた。黒光りする鎖のようなもので動きを封じられていた。あれじゃあ婆得意の『瞬間移動』が使えない。


 「御託を並べるな、貴様らは誰なのだ」

呆れた。この俺の気を感じられん阿呆が門番だとはな。

「八神 玄斎じゃ。分からんのが?」

門番共は互いに顔を見合わせていた。誰も俺の名を知らなかったらしい。いっちょ、一暴れでもするか。そう思った矢先に、少し焼け焦げた門の上へ突風が降り立った。


 「おっさん!誰だ、あんた」

門の上で胡坐を掻く、茶髪のガキ。俺に向けて問いだす。子供らしい朗らかな瞳だった。陽光を浴びる茶髪が煌びやかに光っていた。しかしその奥に潜む陰はただのガキじゃないことをよく表していた。しかし、こいつは聞くところの天才じゃないことは確かだ。

「おまえこそ誰じゃ、俺は八神のもんやぞ、」

そろそろ放すだろうと思い、門番の腕を捩じ上げた。軽く刃をひったくり、放り投げてみた。門番はガキの横に飛び退く。仮面をかぶり、黒に薄桜の帯を巻いた姿だった。

「しつけぇなぁ!いつまでつかまえとるつもりだが!」

吐き捨てるように言うと、茶髪のガキが気怠そうに立った。もう先ほどの柔らかい目ではなかった。俺を牽制するように瞳を開く。

「おじさん、八神だって証拠ある?あるなら出せよ」

ガキは俺に問う。面倒臭いことになってきている。俺は声を荒げた。

「本家のガキ、八神怜利はどうした!」

「残念。怜利なら、今いない。昨日この屋敷、襲撃受けてるからさ。できればおっさんにも帰ってほしいんだよね。」


 襲撃、だと?慣例通りなら、分家の俺らにも連絡が入るはずだった。天才少年はそこまで当主に近いのか。あのガキはどこまで俺を苦しめるんだか。

「おい、小僧!ガキはいつ帰るんだが分からんもんかい」

門番の上の小僧は鼻で笑った。

「なんだって?怜利の帰りを身元も怪しいおっさんなんかに言うわけねーだろ。」

言葉尻に、棘が刺さる。この小僧の態度にも嫌気が差してきた。婆が何か言っていたが俺の耳にはもうそんな言葉は届かなかった。俺の中の戦闘を避けようとする理性的な歯止めはとっくに外れていた。


 小僧は門の上で術を使って高く身を弾いた。どうやら『風術』の使い手らしい。足元から爆風が吹く。だが残念だ。飛べることなんてのはどうでもいい。俺の『雷術』はどんな相手でも利く。

拳に力を込める。腰を落として、思い切り地面を蹴る。

「逃げ場はねえぞ!…小僧、俺の拳を喰らいやがれ!」

小僧の驚いた顔が目に焼き付く。さぞ怖いのだろうな。しかし、手加減なんかはするつもりもない。ガキだろうが何だろうが邪魔する者は葬る。全力で拳を握った。


 俺の拳は空を切った。確かに『雷拳』が届きそうだった。いや、確かに届いたはずだった。おかしいことに今の今まで宙を蹴っていたはずの俺の足には、地面の感触が感じられていた。

何が起こったのか分からないまま、足元を見た。気付かないうちに、黒光りする鎖が絡まっていたのだ。婆を縛っていたものより随分と細身で、それでいて肌に当たっているだけで分かるほど硬い。

八神本家の『獄縛』。だが、ただの獄縛ではなかった。次元の違う術式に俺は繋がっていた。


 「坊ちゃん!怜利様が…怜利様が目の前にいらっしゃるがね!」

やっと婆の声が耳に入ってきた。後ろの長い一本道から背中を刺すような殺気がした。本能が立つことを恐れて、膝を震わす。冷たい気が混ざりだすのを感じた。冷汗が止まらなかった。


「久しぶりですね、玄斎殿。今日は何の用事で?」

噂の天才少年が、『獄縛』の印を片手で結びながらまるで散歩でもするかのようにゆったりと歩いてきた。声には温かみを感じる。しかし、それはただの温かさではなかった。

 茶髪は怜利の到着に安心したのか術式を解いてふわり、と屋根の上に着地した。そいつを見上げながら、怜利は一歩一歩近づいてくる。その華奢な身体とはかけ離れた異様なまでの気だった。


 「疾風ー。少し遅れたね。ごめんごめん」

「おっせぇんだよ!一秒でも遅れてたらこのおっさんにボコられてた!」

「あー。悪かったよ、今度は急ぐよ。」

俺のことなんかは眼中にも入れないで小僧と話している。どれだけ俺をコケにする気だ。叫び、暴れたかったが、力を吸い取る『獄縛』のお蔭で拳どころか指先にも力が入らねえ。

「おい、ガキ!獄縛解きやがれ、別に暴れやしねえ」

必死に喉から声を絞り出した。怜利はこっちに目を向けた。

「あ、失礼しました。」

そう言って、印を結んでいた左手をひらひらと解く。

「古塚のばあちゃんもお久しぶりです。…ハル、獄縛を解いてくれない?」

小僧の近くにいた門番に呼びかけた。どうやら噂に聞く天才少年の式神四天王、その一人らしい。

 婆は獄縛を解かれ自由になった。しかし、立つどころか、音を立てて地にひれ伏した。額を地に擦り付ける。低く、とにかく低く土下座をした。俺は呆気にとられた。いや、呆気にとられたでは済まない。何かがおかしい。歴戦をかいくぐってきた婆がここまでして頭を下げ続けるのだ。

 空気が異様なほど重かった。焼け焦げているかのように喉が渇いていた。声に出せば血が吹き出そうな程だった。俺は、ただ立ち尽くしていた。


 俺は動けなかった。喉も乾き声を出せば血が出るのではないかと思うほど痛かった。

「うちの坊がたいへん失礼いたしまして、誠に申し訳ございませんでした。何といっていいものか、お許しくださいませ。」

息も切れて、額を何度も何度も地面に打ち付けていた。

「ばあや、なんでそんなに謝ってんだ?こっちが逆にビックリだわ。本家のもんが勝手にやったことなんやぞ…?」

自分の声ではないかのようにひどく掠れていた。どこか遠くから響いているかのような声だった。


 そんな声を聴いても、婆は頭を下げ続けていた。額から血が滲み、地面に広がっていった。怜利は顔を上げてください、と何度も繰り返していた。いつの間にか小僧も、門番もいなくなっていた。

「坊は、何も分かっとらんのです。申し訳ございません。」

婆は口々に繰り返すだけだった。汗だくになって、額から血が出てまで、土下座を続けていた。地面に何滴も血がしたたり落ちていた。

「大丈夫ですよばあちゃん。」

怜利は優しく。そして穏やかに言った。

「―あの一瞬で仕留めなかったのはこうして話したいからですから。気にしないでください。」

そういうや否や、俺に術式を掛けた。

怜利の満面の笑みに背筋がぞくっと冷えた。

その笑顔から覗けるあの両目は決して笑ってなどいない。


 その後、門から離れて、屋敷のある山の麓まで行った。そこで婆にとことん叱られた。我ながら三十にもなって婆に正座で叱られるとは思わなかった。しかし、俺自身、怒り任せに動き過ぎたのだ、反省しよう。


 婆は、あの天才少年の鎖が少年の力の百分の一も出ていないと分かったのだという。あの固定力も、力を抑える能力もまだ序の口に過ぎないというのだ。本気になりかけていた俺を、まるで小指でビー玉を転がすように扱っていたということを何度も告げられた。

 どうやらぽっと出の天才少年は本当に天才で、温厚な性格を持ち合わせているらしい。長年八神に仕えてきた古塚宮子が言うのだから確かだろう。

 あの一瞬で仕留めなかったのはこうして話したいからですから……。あのセリフが今頃になって俺の心を凍らせ始める。あの少年の優しさがこの状態であるならば、―俺には敵わない…。そう気付いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る