change the World

音神 蛍

第0章

第0章 第一話

 「……また一瀬か。もう見飽きたわ。」

茶の湯気が座敷の片隅に浮かぶ。俺は薄型テレビに映る男を睨んだ。 画面いっぱいに映し出されるのは、強面の顔に似合わない満面の笑顔で手を振る『世界最強の術者』一瀬 将だ。ぬるい茶を啜る。より一層苦みが増す。

 たまらずリモコンを引き寄せ番組を切り替える。


 関西八神出雲屋敷と呼ばれるこの屋敷は秋頃になると屋敷を囲う森が黄色に色付き、八神家の内では紅葉の名所として知られる。しかし、各分家での集いなど、俺がガキだった頃に無くなってしまった。しばらく本家からの来客もないため、少しずつ埃をかぶっていく。

とはいえ、八神本家屋敷、八神京屋敷、八神大宰屋敷、と合わせて八神四大屋敷と呼ばれる程の、人の多い屋敷である。


 番組を一周して、元の局に戻ってしまった。芸人が喋り捲る番組で普段見ているのだが、今週は一瀬家の特集だったらしい。

 まあ無理もない。去年は聖地の災厄を単独で鎮め、今年は欧州で術者千人規模の怨霊を一晩で、祓った、いわゆる『天才』だ。世界のヒーロー様は、今日も拍手喝采を浴びている。決して一瀬だけの手柄なんかじゃない。うちの戦力がどれだけ削がれたと思ってるんだか。

 この屋敷の連中も、一瀬みたいに拍手目当てで祓い屋をやっているわけじゃない。しかし、アホらしくテレビに映る『天才』を見るのは気に喰わん。知らない誰かのために、黙って祓う。それが生まれた家の宿命ってやつだってのに。

 渋い茶の風味が鼻に残る。ガキの頃は大嫌いだった。バカみたいに苦い茶を飲んでいるとはいえ、幼い頃と違うのは好んで飲んでいるという点か。


 我が八神家は、先祖代々祓い屋を営む一族である。

そして二週間後、祓い屋一族『八神』の新たな当主が決まる。今年三十一にもなる俺が、他の仕事をせずにここまで来たのには理由があるわけだ。当主の座を他ではなく俺が、奪う、そう誓って生きてきたのだから。


 「この世界は、人間だけの世界ではない。」

そうやって先代は言いふらしていた。いつも冗談ばかりのじじいがその時だけは偉そうに、そして真面目に語っていた。ただの老いぼれジジイではなかったのだから良いのだが、健常者が聞けばただのイカれた話だ。

「人間よりも多い『者』は人間よりも遥かに優れた者ばかりじゃ。妖や神、鬼。彼らも儂たち人間と共に過ごしているが、いつ牙を剝くのか分かったものじゃあない。だから、貧弱な人間どもが我が物顔で世を作り上げることなど許してはいけないんじゃ。」

そう言って先代は八神本家の屋敷にいるほとんどの者を『半妖』やらのバケモンにしてしまった。今、本家の頭になってる天才だってそうだ。


 祓い屋と呼ばれる家が得意とする、『占い』というものは時に世界のルールをも変えてしまうものだった。それはただの未来予測なんかではなく、どんなことをしても変わらない“答え”が分かるのだ。その答えは最終的なものではなく過程の中の一つであることが多い。だからいくつか占いをするのだが…。めんどいことは俺にも分からん。


 ボーと眺める。炬燵に足を入れ、蜜柑だけが載った机に肘をつく。

 いつもの気性とかけ離れた爽やかな中年。一瀬はゆっくりと話し始める。

「次のヒーローはもういます。」

その答えにさっき飲み干した茶を吹き出しそうになった。少し垂れた口元を袖口で拭う。

「へぇ、そんなモンがいるんすねぇ。そら楽しみですわ、」

最近売れ始めたお調子者の芸人が顔を引きつらせている。聞いたのはお前だろうが。

「その子は今修行中です。あと三年もすればニュースになると思いますよ。」

そう答えた。ベテランのうるさい司会者が話をまとめて次のコーナーへ移ろうとする。しかし、そこまで話させたら、『猛獣』とまで言われる一瀬の勢いは止まるはずがない。話を遮って続ける。

「事故があった、覚えていないことでしょう、クリスマスに起こったスクランブル交差点の事故。あの時に一人生き残った少年ですよ。私のところで一緒に住んでいたら強くなりましてね。」

一瀬特有の熱の入った語りだ。『天才』ヒーローだからとテレビに呼ばざるを得ないのだろうが、こいつのお蔭で借が足りなくなるだろうに。

「まあぁあ、楽しみやんな!また今度ゆっくり話きこか、な!一旦次や、」

司会者がなんとなく回して次の画面に切り替わる。ヒーロー様は相も変わらず空気の読めない奴だ。


 どうせ一瀬が語りたくてしょうがなかったのは、歴代八神家の中でも一番の天才だと持て囃される少年、八神 怜利だろう。あのガキは八神本家の血筋でありながら、出家した一家の子だと聞いている。

 両親がいないで一応養子扱いのガキを、次の当主に認めるだの認めないだの、議論を重ねているらしいが、そんなもの話すだけ無駄だ。あのガキがどんなもんでも関係ない。そんなくだらない話をする位なら、来ている依頼に向かったらどうなんだとさえ思える。その天才少年がどんな天才でも俺が当主になることには変わりがない。


 いつものように、広い庭で大勢が組手をする中、ぼんやりと朝ドラを見始めていた。頭の奥底のジリジリとした方から、やりたいことが浮かんできた。

俺は重い身体を起こした。畳に拳を突く。その勢いで立ち上がる。縁側まで出て、大声で叫ぶ。

「ばあや!本家屋敷どこにあっだ!」

屋敷の広い庭に声を張り上げる。いつも隅にある花壇の手入れをしている婆を呼ぶ。全くいい歳して、未だ屋敷の掃除やらをしている。元気な婆だ。

 足の裏が冷たく、床に蹴りを入れる。その音で組手の勢いも上がる。


 屋敷内の者を鍛えるのも、屋敷頭の務めである。縁側から目の前にいた者どもにアドバイスを与える。

「坊ちゃん、何か御用だかね?」

その声が聞こえたら、既に婆は屋敷の中に入っている。婆の能力『瞬間移動』だ。扱える者はそう多くない。

婆は付けていた手袋を外して箪笥の中に入れる。箪笥を閉めた瞬間姿が消えた。瞬きを挟むと、手に鋏と鎌を持ち箪笥を開ける姿が映る。

「ふん、相変わらず元気じゃなあ。八神の天才に会いに行こう思うてな。」

婆は少し考える。いつもしわくちゃな顔が考えてるときはもっとしわが増える。その癖は俺が幼い頃からちっとも変わっていない。

いつもの古びた和服の上から、ちゃんちゃんこを羽織りこっちを向く。

 「どうだ?場所、分かるだが?」

「もちろんじゃ。わかっとるわい。でんも、どげんして移動するつもりだが?」

わざとらしい質問に俺は呆れ顔になっているのだろうか。

「もちろん、ばあやの力だろう。」

婆はため息をついた。そうして皺だらけの手を差し出してきた。幼い頃から一緒にいた婆の手は酷く細く見えた。


 婆の手を握った。その瞬間後ろに数歩下がったところに視点が変わる。

「こしらえますけん、ちぃーと待っちょってごしなはいね。」

何度体験しても意味が分からない。目を開けていても、移動した瞬間、もうそこは別の景色になっているからだ。走るのでもなく、飛ぶのでもない、場所と場所とが瞬間的に入れ替わるような、不思議な術だ。

 婆は奥の自分の部屋まで戻る。何かを漁る音がする。

「ばあや!土産なんぞいらん。はよ行くでぇ!」

そう言って庭に目をやった瞬間、既に婆は俺の目の前に立っていた。

「坊ちゃん、はよ行くでがんすよ」

にやぁ、と何か言いたそうな顔をして手を差し出してきた。俺がちっちぇえときからなんも変わらんな、この婆は。

 婆のしわくちゃな手を握りなおす。婆の手は酷く冷たかった。

「坊ちゃん、へませんようになぁ?」

その怯えたような震えた声と共に、婆と俺は天才少年の下へと向かった。

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