第1話 薄明の朝に潜むもの

 朝の光は、まるで最新型のディスプレイ越しに加工された色のように、どこか現実味が薄い。


 鮮やかさを少しだけ引き算された光が、灰と青の境界を溶かすような淡い白となって、空を一面に覆っていた。


 湊が手を伸ばし、カーテンを引く。


 視界に広がるのは、いつも通りの《色の少ない世界》。

 基本的な人々の生活インフラすべては、統合型観測Al〈オラクル〉が最適化し、AIが行う全ての行動を一元管理している。


 だが湊にとってそれは、不満でも疑問でもない。整いすぎた現実、規定値に収まる日常。疑う理由なんて、どこにもなかった。


 集合住宅の外廊下に設置されたAIスピーカーが朝の稼働を開始する。


〈本日も光量は平常値。外出推奨です〉


 この声は、誰が録音したわけでもない。


 古いデータを型どった自動生成。

 それでも、聞き慣れすぎて逆に〈日常の匂い〉になっていた。


 母親の声よりも聞いてきたかもしれない音が、今日も日常を開始する。


 制服の襟を指先で整える。

 鏡に映る右側の寝癖が跳ねているのに気づいたが、湊は小さく息を吐いて視線をそらした。


(これくらいなら、誰も気づかない)


 そう思える程度の、ちっぽけな乱れ。


 ◆


 リビング。


 自動再生されるニュース映像が、空気に薄い情報の光を撒き散らす。


『魔法産業の縮小による影響が続く……

 新世代魔法工学の開発は難航……』


 同じニュースを、何度聞いただろう。


 母親はテーブルに味噌汁を置き、画面に一瞬だけ目を移して笑う。


「魔法研究、また止まってるみたいねぇ。


 おばあちゃんの時代は、本当に便利だったのにって言ってたわ」


 テーブルの上の食パンをかじりながら、湊はふと考える。


「魔法って、どう便利だったんだろうな。想像つきそうで、つかないわ」


「便利な時代を知っちゃうとね。なくなったときに不便さを実感するんだろうね〜」


 母は冗談めかした調子だが、ニュースは柔らかい声で現実を叩きつける。


 魔法が消えてから百年。


 それでも、人類はその喪失を埋め切れてはいない。


 食パンの最後の一口を頬張りながら、湊はスマホに流れる推薦動画を指先で飛ばした。


「行ってきます」


「はーい。今日は風が強いらしいから、髪ちゃんと押さえていかないとせっかくの寝癖が崩れちゃうわよ〜」


「うるさい」


 軽く笑って、玄関のAIロックが音もなく解除される。


 ◆


 通学路。


 人工芝の遊歩道は足裏に妙な反発と柔らかさを返し、街路樹の葉は、自然とAI管理された水分量で均一に揺れる。


 頭上を走るモニターレール。


 電光掲示板型の宣伝パネルが静かに移動し、学生の視界を飽きさせない。


〈灰光の夜100年記念展示 本日開場〉

〈体験型魔法文明史アーカイブ公開〉


(また灰光の夜のやつか)


 この時期は、どの学校でも、どの番組でも、魔法文明史の話題で持ちきりだ。

 それを学ぶことが “未来への敬意” だと言われるから。


 湊はその価値を疑わない。誇りもしない。ただ、それが普通だと思っているだけ。


 そのとき。

 背中に突然の衝撃。


「朝から元気か湊! モーニングのテンション低すぎだろ!」


 テンション高めに抱きついてきたのはりょう


 同級生で、湊とは小さい頃からの腐れ縁のような関係だ。


 亮は、いつ見ても髪があちこち跳ねまくっているのに、


“それが正解”と言わんばかりに爽やかな笑顔を振りまく。人懐っこくて、声が大きくて、少しでも落ち込んでいる人を見ると放っておけない性格。


 たまに空回りするけど、憎めない。

 多分、亮の周りはいつも賑やかだ。


「テンションとかいう問題じゃない。朝はまだ起きてない」


「だろーな!

 俺は眠くても元気出す派!

 ……ってAI診断に言われた!」


「……それ元気じゃなくて機械に調子見られてるだけじゃね?」


「うるせーなー! オレはポジティブAI派なんだよ!」


 バカみたいな会話。でも、その軽さが朝の空気にちょうどよかった。


 ◆


 校舎の自動ドアが読み取り、

 天井の案内AI音声が、同じ調子で今日という日を処理する。


〈1時間目 魔法文明史。

 担当教員は入室準備中。

 投影資料をご確認ください〉


 教室前面の巨大スクリーンが、授業用の画面に切り替わり、淡い光を投げる。


 『魔法文明と灰光の夜

 —歴史を刻む転換点—』


 (はい、今日も安定の魔法史)


 内心のつぶやきだけは自由だ。


 そのとき、澄み切った水のような声が隣から落ちてくる。


 「おはよう、湊くん」


 栞だ。幼い頃から、なんとなく一緒にいた唯一の異性友達なのかな?世間では、幼馴染とも言うかもしれない。


 長い黒髪が揺れ、清潔感のある美しさ。

 誰とでも丁寧に会話するけれど、その柔らかい視線はいつも“ちゃんと相手を見る”。


 優等生過ぎない優等生。真面目なのに堅苦しくなく、でもブレない芯がある。


 栞はノート端末を抱えながら席に腰を下ろす。


 「昨日の資料、追加でアップロードされてたよ。魔法文明の現象記録とかもあって」


 「現象記録?なんか難しそうだな……」


 「難しいから、ワクワクするんだよ?」


 小さな笑みが、スクリーンの光よりも温かい。


 湊はそんな栞の真っ直ぐさが好きだった。

 いや、好きというより——

 落ち着く。安心する。


 幼馴染という言葉が、奇跡のように思える距離感。


 教員が入室し、手を叩く。


 「はい集中ー。大事な単元に入るぞ。ようやく、現象記録の詳細に進めるからなー」


 スクリーンには魔術光の粒子映像が映し出され、一瞬だけ教室の空気が虹色に揺れる。


 人々が、当たり前に魔法を使いこなしていた時代。それは、誰も直接は知らない夢物語。


 湊はペンを走らせる。歴史を知るという行為に、素直な興味が少し湧いていた。


 ◆


 昼休み。教室の窓を通る風が、購買で買ったパンの袋を揺らす。


 湊はノート端末を指でスクロールしつつ、パンをちぎって口に入れた。


 空は、やっぱり淡い白。


 「湊くん、ここいい?」


 栞がトレーを手に席へ。

 亮は向かいでエナドリを片手に、いつも通り謎にハイテンション。

 しかし、栞が来た途端少し静かになった。


 「お、おい!午後、魔法史の小テストあるって噂だぞ!」


 「嘘だろ」


 「AI占いが言ってたから、たぶん本当!」


 亮は大げさに言いながらも、たいていそういう情報は当たる。

 そこだけは妙に信頼できるから困る。


 栞はクスッと笑い、

 湊も苦笑い交じりのため息を返す。


 何も起きない。

 でも、それが逆に愛おしい。


 特別なんてない日常。

 それでも続いていく日々。


 ——けれど、世界は知っていた。


 この少年の中で眠る「何か」が、やがて歴史を呼び覚まし、常識という名のフィルムを静かに書き換えていくことを。


 ほんの少し先で、物語はすでに動き始めている。湊がまだ気づかぬままに。



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