第2話 静かなゆらぎ
次の日。
朝のホームルームが終わった瞬間、教室は一気にいつもの喧騒に戻った。
椅子を引く音。
机を叩く軽いリズム。
誰かの笑い声が重なり、空気は少しむっとするほど熱を帯びる。
AI空調の音がかすかに鳴っているはずなのに、生徒たちのざわめきに完全に飲み込まれていた。
「昨日のゲームさ、マジで神アプデだったんだって!」
「は? バグ増えただけだろ〜」
「いやいや、隠しボスがやばいって! 倒せねえし!」
「おい、今日も宿題やってねえの?」
「……やってない(小声)」
窓際では真面目な二人が、すでに問題集を広げている。
「次の小テスト、ここ出るらしいぞ」
「マジ? 昨日寝落ちしてた……」
そして湊の横では、幼馴染の亮が寝ぼけ眼をこすりながらつぶやく。
「はぁ〜眠っ……今日こそは指導AIに生活態度ダメ出しされんだろなー」
最近登録したサブスクの見過ぎで寝不足らしい。
「俺は眠くても元気出す派!ってAI診断に言われた!って昨日言ってただろ。」
「俺だって、少しは、AIに縛られず自立できる姿を、湊に見せたいと思ってさ!」
「なんだそれ」
バガげた会話。どこにでもある、高校生の日常。亮はそれを体現するような存在だ。
そんな喧騒の中で、湊は静かに自席へ座り、タブレットを立ち上げた。
毎朝の義務——健康データ提出。
睡眠時間、心拍数、体温、活動量、そしてセルフメンタルチェック。
(今日も……全部正常値)
確認を終えて送信ボタンを押すと、無機質な文字が画面に浮かび上がる。
〈提出完了〉
〈生徒:朝倉湊 データ受理〉
〈統合サーバーにて健康判定中〉
すかさず頭上のスピーカーが読み上げる。
(監視されてるって感じ……拭えねぇな)
湊が小さく漏らすと、亮が横で茶化してきた。
「でもさ、AIが管理してる方が楽じゃね?俺らより絶対ミス少ないし。ほら、守られてるってやつ」
「守られてるって感じ、するか?」
「……まあ、そこは気持ちの問題!」
亮は頭をかきながら、いつもの調子で笑った。
その軽さに、湊は少しだけ救われる。
――と、タブレットの向こうに影が落ちた。
「湊くん、提出した?」
「うわっ……って、栞か」
そこにいたのは栞。
静かな佇まい。今日も、綺麗な髪が肩でさらりと揺れる。
手には分厚いハードカバー本。
タイトルは『魔法文明の十二の遺産』。
湊は心の中で(またか)と苦笑する。
「気配なさすぎだろ、栞。心臓止まるかと思った」
「そんな大げさな……」
栞は目を細めて微笑む。
「亮くんも、おはよう」
「お、おはよーー……」
亮は少しだけ背筋を伸ばす。
栞の前では毎回、微妙にまともになる。
(わかりやすいな、亮)
その様子に湊は唇の端だけで笑った。
「その本……また魔法文明の?」
「うん。待ちきれなくて買っちゃった」
栞は表紙をそっと撫でながら言う。
「前のシリーズも全部読んでたよな」
「でもね、どれも肝心な部分が薄いの。灰光の夜の《本当の瞬間》を記録した資料、ほとんど無いんだよ」
亮が眉を寄せる。
「100年前の大事件なのに?そんなことあんのか?」
「100
栞の声が少しだけ硬くなった。
「映像も写真も少なすぎる。記録がほとんど断片。……意図的な空白、みたいに見える」
「魔法が消えたから、記録も消えたんじゃね?」
亮の素朴な疑問に、栞は少し間を置いて、
「そう言われてる。でもね……その説明、雑すぎない?」
と小さく言った。
(……本当に魔法文明って謎が多いな)
湊は心の中で呟く。
そして栞は、ふと思い出したように言う。
「湊くん、健康データの提出ちゃんとやった?昨日またサーバーログで引っかかってたよ」
「いや、俺は普通に提出してるんだよ。
サーバーが勝手に、、、」
「それって、ちょっと変じゃない?」
「……え?」
「AIは基本、ミスしないよ。なのに湊くんのデータだけ
亮が驚いた顔で湊を見つめる。
「湊だけ!?マジかよ……お前もしや世界から消されそうになってる⁈」
「バカ言うな。気のせいだよ。よくあるバグだと思ってる。」
「気のせいじゃない」栞の声は静かだが、真っ直ぐだった。
「AIの監視ログ、全生徒の分を閲覧できるって知ってる?」
「……見れんの!?(やべぇ……)」
「普通だよ?みんなの健康と安全が“最適化”されてるってことだし」
その瞬間。
ジ……ッ……
スピーカーが小さなノイズを吐いた。
誰も気づかないほどの波形。
栞だけが一瞬、視線を揺らす。
亮も肩を少し竦めた。
(……今の音、なんだ?)
湊が二人を見ると、
栞は何事も無かったかのように続けた。
「ねぇ湊くん」
「ん?」
「AIってさ……どうしてここまで“人間の情報”を集めるんだと思う?」
「そりゃ……事故予防とか、病気の管理とか……」
「……そうだね。表向きは」
栞の瞳は、タブレットとスピーカーの間で揺れていた。
「“人間というシステム”を完全に理解するため……って言われたらどうする?」
亮は湊を見る。
湊の肘の位置。
湊のデータだけに起こる欠損。
さっきのノイズ。
(……マジで何かあるのか?)
湊は苦笑する。
「栞はほんと……魔法とAIばっかだよな」
栞はすぐに返す。
「好きなんだもん。
魔法文明の話も、灰光の夜も、AIの解析ログも。全部、きっとどこかで繋がってる」
湊は少し考え、
「じゃあさ。教えてくれよ」
と素直に言った。
「え?」
「魔法文明って……どんなだったんだ?」
「昨日の講義聞きながらも少し思ったんだよ。」
栞は一瞬だけ驚き、そのあと嬉しそうに頷いた。
「……うん、いいよ。私のとっておきの資料、貸してあげる」
亮も照れくさそうに口を挟む。
「俺にも、わかりやすく頼むわ」
「もちろん」
それは本当に些細な会話。
でも——世界は気づいている。
ジ……ッ……。
スピーカーが再びノイズを鳴らす。
AIの観測範囲に少し引っかかった。
非観測領域の個体——
朝倉湊が、また動き始めた。
そしてその傍には、湊と共に《揺らぎの扉》へ踏み込む者たち。
——世界の歯車は、静かに回り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます