第3話 一生童貞の剣士
翌朝目覚めると、屋敷内が騒がしく、朝食も程々に皆駆けずり回っていた。
何事かと思い王都から着いてきた使用人パネッタに尋ねた。
「帝国宰相がこちらに弔問に来るそうです」
そう言って仕事に戻って行った。
偶然祖父とすれ違うと、すごい剣幕で踵を返してやってきた。
「アナスタシア、暫く部屋から出るでないぞ。王都に先王の葬儀に参列してそのまま逗留していた帝国宰相がこちらに来ると書状が来た。だから、分かるな?」
帝国は先の戦の相手である。
戦後処理もあろうが、宰相自ら出てくるなど、目的は別にあると公言しているようなものだ。
「はいその件で私もお祖父様にお話があるのです」
「何じゃ手短にせい。町中の人間に口裏合わせに行かねばならんのだ」
「私今日からデナリスと名乗って男になりますので、どうかお祖父様も養子をもらったことにでもしてください」
「なるほど分かった。皆にも伝えておく」
そう言うと足早に屋敷を出て行った。
意外とすんなり受け入れた。
好都合だったのだろう。
まずはこの身なりから何とかしなくてはならない。
護衛隊長のフェリクスを呼んで、男ものの服を見繕ってもらった。
パネッタに胸にサラシを巻いてもらい、男物の服に袖を通した。
こちらではボタンダウンのシャツはなく、カットソーのような頭から被るチュニックが主流らしい。
平民では前で左右に合わせて紐で留める剣道着のような服も着られるが、貴族はチュニックに膝丈のブレーにソックスを履いて革靴、そしてベストを着てジャケットを着るらしい。
規定はないが主流とあれば従う他ない。
次は髪だ。
王女という立場であったからなのか、髪は腰まで届こうかという長さがあった。
これも煩わしいので切ってしまうのだ。
椅子に腰掛けて、パネッタに切って貰おうとした時、母が素頓狂な声をあげて止めに来た。
「パネッタ何をしてるのですか!?」
母にも説明しておくべきだった。
事情を説明すると何とか納得は得られたが、髪だけは切らないでと泣いて懇願するのだ。
無碍にはできない。
仕方なく編み込んだ。
仕上がりはどこから見ても女にしか見えない。
男装趣味の女の子だ。
黒髪であることがまだ救いだった。
「まだ十五歳だもの。大丈夫ですよ」
そう母は言うが、多分無理だ。
早急に何か手を打たなければならない。
この年頃の女の子の胸がどの程度かわからないが、そこそこ膨らんできている。
そう遠くない未来には誤魔化しきれなくなるのが目に見えている。
とにかく、新たな人生を歩むにあたって、準備が必要だ。
男と偽って生きるには限界がある。
元の名で表に出て生きるには、私を殺した者を捉えて首謀者の前で身の証を立てなくてはならない。
死んだままでは気分が悪いのだ。
生き抜くには身を守る術が要る。
「姫…、デナリス様何方に?」
「鍛冶屋に行きます。それと、姫と様付けは勘弁してくれないか。姫は無論ダメだし、デナリス様って言うのも何か背中がゾワゾワする」
「では何と?」
「わかりません。でも王女も伯爵家の令嬢も今は封印だ。平民と変わらない」
「では若とお呼びしましょう。ところで、なぜデナリスにしたのですか? あまり使われない名です」
「月の処女神ルーナに愛されて、生涯童貞を貫いた男の名だね。今の私にぴったりじゃない。男でいる限り一生童貞だ」
「何とも不憫な名ですなぁ」
「さっさと犯人捕まえて、指示した奴を暴いて、屍人状態返上しないとね」
「探しに行くのですか?」
「勿論。だから鍛冶屋に行くんです」
「では馬車をご用意しますか?」
デナリスは腕組みして思案した。
「やっぱり訓練しないと乗れない?」
「大人しい馬なら駆け足程度なら何とか…」
『助けてやる故乗ってみろ』
猫がニャ〜と鳴いて足に纏わり付いた。
バスティがそう言うので、馬屋に行き一番大人しい牝馬を引き出してもらい、鞍を乗せた。
何とかよじ登って、鎧に足を掛けると、バスティがヒョイっと飛び乗った。
そして馬の背をポンと叩いた。
その途端に馬は前足を上げて嘶くと、物凄い速さで駆け出した。
「ちょちょちょちょちょっとバステト! ちょっとまったーーーーーっ! ふざけるなーーーーーっ!」
馬の立髪をむんずと掴んで体を引き寄せ、落とされまいとへばりついた。
「ニャニャニャ〜〜」
バスティは何だか大興奮で、馬の背をバンバンやっている。
化猫に乗られた馬はたまったものではないだろう。
心中察するが、どうか落ち着いてほしい。
「姫様手綱を!」
「姫じゃない! バスティいい加減にしろーーーーっ!」
◇
鍛冶屋に着いた頃にはくたくただった。
バスティはさぞかし楽しんだことだろう。
鍛冶場は街の外れの農業用水路の傍らにポツンと建っていた。
焼結煉瓦の壁面に茅葺屋根と言う変わった組み合わせだった。
屋根なら燃えても良いのだろうか。
中ではトントンと金床を叩く音が幾つもあった。
チンチンという小さな音もあり、彫金職人もいるのかも知れない。
馬の音に気づいたのか中からガッチリした男が出てきた。
「鍛冶場になんか用かい、お嬢ちゃん」
驚いた。
男が着ていたのは、どう見ても作務衣だ。
「こんにちは、私はデナリスと言います」
「男だったのかい。こりゃすまねぇ、俺はレゴリスだ、ここの頭領をやってる」
「剣を見たくて伺ったんです」
「剣なら武具店に行くと良い。ここにゃ在庫はないんだ」
「武具店には無さそうなんです」
鍛冶屋の頭領は目を細めて顎に手を置いた。
「ほぉ、どんなモン探してるんだ?」
「刃渡二尺二寸(約六十六cmほどの片刃の曲刀です」
レゴリスは少し黙り、その若者を品定めするような目をした。
「あるよ。見てみるかい?」
「はい!」
レゴリスは鍛冶場から離れた別棟に入ると、ガサゴソと漁り始めた。
あったあったと言って、緩く曲がった木の棒を掴んでやってきた。
「これだよ」
そう言って差し出した。
フェリクスは首を傾げていたが、デナリスは受け取ると反りを見た。
反りは三分(約一cm)ほどだ。
長さは恐らく刃渡二尺三寸で柄一尺ほどだが、重さは自分には合っていると思った。
鯉口を切って鞘を払うと、フェリクスが目を丸くした。
レゴリスはほくそ笑んだ。
「へぇ。初見で抜いた奴は初めてだな」
「そうなんですか?」
「あぁ。こいつはもう使われなくなって百年以上経つ。作れる奴は殆どいないよ」
「なぜ使われなくなったんですか?」
「扱いが難しい。技で斬るんだが、身につけるのに時間がかかるんだよ。軍の制式剣のが楽なんだ」
鞘を脇に挟んで地肌を見た。
青い鉄だ。
こんな鉄は見たことがない。
鉄はよく練れていて、杢目のような肌があり、直刃が焼いてあった。
「これおいくらですか?」
「こいつは売れない。売りもんじゃないんだ」
どうしてとでも聞きたげな顔をする若者にレゴリスは説明した。
「先代からここを引き継いだときにこの刀の技を教わった。その時に師匠と作ったものなんだが、費用は領主様が出したんだよ。寸法違いでもう一振りある。だから売れないんだよ」
「私はエイリアス・デナリスです。クイントスは私の祖父です」
「領主様にデナリスと言う名の孫はいなかったはずだ」
「養子です」
「ははは、まぁ良い。そっちの顔は知ってる。王女様を守れなかった護衛隊長殿だな」
フェリクスは歯噛みした。
「ちょっと待ってな」
そう言うとまた倉庫に行って、今度は木箱を持ってきた。
「準備するからこれ組んでおいてくれるか?」
蓋を開けると、布に包まれた細長いものや、小さな木箱が納められていた。
開けるまでもない。
装具だ。
デナリスは短い物を手に取った。
麻の布を解くと、一尺ほどの柄があった。
不思議なことに、日本の刀と同じ作りだった。
世界が違っても、同じことを考える人がいたことに驚き、妙に嬉しかった。
柄頭も縁も銀だが、黒く錆が入って良い塩梅だ。
縁には蛇の鱗のような浮き彫りがあった。
エイの腹革を巻き、絹紐の捻り巻き。
目貫はない。
まさかこちらでも見られるとは思わなかった。
木箱を取ると、銀の巾木と細長い翡翠の棒があり、真ん中に細長い穴が空いていた。
鍔だろう。
穴には責金があった。
精緻な蛇の浮き彫りが施されている
切羽もある。
縁側を借りて、座り込むと、鞘を払って目釘を外した。
柄頭を叩いたが弛まない。
木が締まっているようで、木槌で叩いてやると、巾木が浮いた。
柄と巾木を外し、刀身を手巾を枕にして床に置いた。
レゴリスは何やら台を運んでいた。
横目でチラチラとデナリスの作業を見ていた。
フェリクスは二人の作業をただ目で追った。
刀身を握り、巾木を付け、切羽を入れたが途中で止まった。
もう一つの切羽に入れ替えて、鍔を付けた。
切羽を差し込んで中心を柄に差し込むと、刀を立てて柄頭を掌で軽く叩いた。
目釘を差し込んでグッと押し入れると、手巾を枕に床に置いた。
長い包みからは鞘が出てきた、
黒い皮が張られている。
班模様の変わった革だ。
漆の文化は無いのかも知れない。
鞘には三つの責金具と
鯉口は責金具だけで補強してある。
拳一つほど離れたところの責金具には紐を通すループがあり、藍と白で編まれた組紐が付いていた。
刀を鞘に納めた。
「こっちは準備できた。組み上がったか?」
デナリスは装具を付けた刀を見せた。
柄と鞘の線が揃っていて美しい仕上がりになっている。
良い職人がいるらしい。
鍔が棒のようで張り出しが小さく、相口拵えのようだ。
「よし。じゃあこれを斬って見せてくれ。斬れたら持っていって良い」
レゴリスは据物斬りが見たいらしい。
腕組みして仁王立ちしている。
やれるものならやって見せろと言いたげだ。
台の上に藁の筵を巻いたものが置いてあって、それにヤカンから水をかけていた。
「その刀は一度も斬ってない。斬れる奴がいなかったからだ。師匠からは斬れると聞いてるが、そんなことは分からん。だから見たいんだ」
デナリスは頷いて、刀を手にして巻藁に向き合った。
左に差しているつもりで鯉口を切り、刀を寝かせて柄に手を置くと、左足で踏み込みながら抜き付けて斬った。
巻藁は真横に切れて、切れ端がドサッと地に転がった。
見事に切断されていた。
「ははは、こりゃ凄い。斬る奴がいたよ」
「若…、私の剣で斬ってみても?」
どうぞと促した。
フェリクスは袈裟に斬ったが、あと僅かで切断というところで剣が止まった。
「若もう一度やってみて下さい」
デナリスは頷くと、次は八双から袈裟に切ろうと思い、鞘をフェリクスに預けた。
右顳顬に柄を寄せ、右足を踏みながら斬った。
ザザっという音がして、刀は巻藁を通過した。
レゴリスは笑っていた。
「良いもんが見れたよ。しかしあんた何処で…。いやなんでも無い。もう一つも持っていくと良い」
そう言って、もう一振りをデナリスに渡した。
礼を言って二人は鍛冶場を後にした。
「また来な」
レゴリスはそう伝えた。
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