第2話 猫神降臨

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 何しろ羽田尚之とカイオス・エイリアス・アナスタシアという少女の記憶がごちゃ混ぜになっているのだ。


 ぶち壊しになった葬儀の後、母が部屋へ連れて帰ってくれた。


 今一人になって、冷静に現状について思考を巡らせているのだ。


 記憶を辿っていくと、どうもこれまでの自分は王女であったことが判明した。


 今自分はアリステラ王国の北東部にあるエイリアス伯爵領にいる。


 母のアリエットが十六の頃に現国王、当時王太子のカイオス・インクイストス・ミレディアス三世に嫁いで、僕はその二年後に産まれた。


 国王には王后と三人の側室がいた。


 この世界は一夫多妻なのかと喜び掛けたが、自分は夫にはなれないことを思い出して前髪パッツン女神を呪った。


 母は三人目の側室だった。


 僕、いや私は王位継承権第二位だったのだ。


 そのせいで襲われて殺されたわけだ。


 納得したくはないが、動機はなんとなく理解した。


 スタートラインが物凄く後退した気がした。


 ことの発端は王国歴246年秋、隣国との戦争の最中、国王が身罷ったのだ。


 享年四十一であった。


 戦の最中であり、王の死は伏せられた。


 第一王子カイオス・デヴォン・ヘラクレイオスは若干十六歳の若さで従軍しており、大いに気を吐いて、別働隊を率いて敵軍右翼を崩壊に導くと、アリステラ国軍は戦線を大いに押し上げて、停戦に持ち込むに至った。


 しかし、年が明けても玉座は空位のままだった。


 先王が王太子を立てないまま世を去ったからだ。


 このため、王都では玉座をめぐる争奪戦のような様相を呈し始めた。


 軍略の才があり、朗らかな人となりのヘラクレイオス王子は王位継承権第一位であり、次期国王の呼ばれが高かった。


 その王子が最初に殺された。


 毒殺だった。


 疑いが掛けられたのは王后クラリッサの子、カイオス・ヴァレリアス・ミレディアス四世の支持者たちだった。


 先王が立太子の問題を先送りにしていたのは、ミレディアス四世に王位を譲りたかったためだと、ずっと前から実しやかに囁かれていた。


 ヘラクレイオス王子暗殺後、王都から離れようとした道中で、カイオス・エイリアス・アナスタシア第一王女までもが襲撃を受けた。


 王女の葬儀は、エイリアス伯爵領で家族に囲まれてひっそりと執り行われた、ということになっていた。


 実際は大騒ぎで悪霊が入り込んだと司祭が発狂し掛けたのだが。


 世間では死んだことになってしまって、王位継承権第二位と王女の立場が露と消えた。


 伯爵令嬢の立場も当然消えた。


 話が全然違うではないか、と思った。


 ただ、私は幼少期からかなりの訓練を受けていたようだ。


 叔母のルナフレアからは魔法を、千人将で叔父のアキュレオスからは剣をそれぞれ学んでいた。


 この叔母が凄いのだ。


 魔導士とは思えないほど引き締まった体つきで、露出癖があるのか、年がら年中薄着で肌を見せるのが好きな女のようなのだ。


 それだけでなく、術者としては国内最高で、十九で魔道学院の院長に就任していた。


 風の噂では、軍に所属しながら出征拒否を続けており、放逐すれば他国に流れる恐れもあったため、学院長に据えたのが真相らしい。


 叔母の訓練は厳しく、魔法が使えるようになるまでに四年を費やしている。


 魔法は念ずれば発動するようだ。


 無論能力があれば。


 ただそれが自然の理から外れていると、魔法として具現化しないし、イメージがより具体的で鮮明でない場合はうまく発動しない。


 そのイメージを鮮明化させるために、一般的な術者たちは『詠唱』というイメージの言語化や、『魔法陣』という符号化によって具現化しているようだった。


 しかしこの叔母は、頑にそれらを使うことを禁じていた。


 詠唱や魔法陣に頼ると、体系化された魔法は使えるようになるが、発展的な使い方がしにくくなり、使用者の伸び代を潰してしまうというのが理由だった。


 そんな辛い訓練を耐えたのだから、使えるのだろうと思った。


 使えなかった。


 自分の記憶を辿り、発動時の状況を思い出してみた。


 できなかった。


 剣と魔法と王族のうち、二つの願望が潰えた。


 剣は大丈夫だろう。


 何しろ前世で古流剣術に打ち込んでいたのだ。


 立合から居合まで稽古してあるのだ。


 訓練内容を検索してみた。


 使っている剣が前世で言うローマ時代のものそっくりで、刀はなかった。


 得られたのはこの人並みから桁外れの容姿だけだった。


 自分の顔とは思えないほど整っていた。


 容姿が良いのは徳である。


 だがそれも二十歳までだ。


 社会に出る頃から劣化してゆき、中身が伴わなければ落ちるのみだ。


 職場の女たちをたくさん見てきた感想だ。


 何か磨かねばならない。


 そう思ってベッドに入ると、壁にかけられた灯りが揺れて、部屋の空気が動き、壁に一際大きな四つ足の影が現れた。


 驚いてベッドから体を起こすと、影は小さな猫のものだった。


 白い毛並みに灰色の斑模様のある猫だ。


 あの時の化猫に似ているが、とても小さい。


 猫はベッドの上にヒョイっと飛び乗ると、私の前に座った。


『化猫とは妾のことかの?』


「心覗き見するのは良くないと思うけど」


『仕方なかろう、これでも神じゃからな』


「神なら何とかしてくれませんか?」


『どうかしたのかえ?』


「剣と魔法の世界の王族、一応満たしてますけど、来て早々全部潰えたんですけど」


『残念じゃったの。人生なんてそんなもんじゃよ。猫神の妾でさえ車に轢かれて死ぬのじゃから』


「そう考えると切ないですね…」


『うむ。…実はの、そなたに詫びに来たんじゃ。妾が其方に助けを求めた故このようなことになっておる。本来消されるはずの記憶を消し忘れ、死体に魂を打ち込み、奇妙な人生を生きる羽目になったことは申し訳なく思う。じゃが生を得た以上、しっかり生きるべきじゃ。妾も見守る故、頑張ってたも』


「そのつもりで寝るとこなんです」


『そうか、邪魔してすまんの。一応其方を見守っておるからのと伝えに来たんじゃ』


「見守るって言うか、監視でしょ? 記憶消し忘れて前世の知識で何かやらかさないように、とかさ」


『なかなか鋭い観察眼じゃな。まぁそれもある。其方の幸せを願ってのことじゃよ。妾の願いを聞いてくれた男じゃからな』


「それじゃぁ魔法の一つも使えるようにしてくださいよ」


『己でなんとかするのじゃな。まぁ一つ助言してやると、魔法というのは、現実を想像力で上書きする力のことじゃよ。現実の物理法則にある程度影響を受けるが、裏を返せば物理法則の範囲なら発現するということだ。だがくれぐれも、E=mc2だけは使わぬことじゃな』


「成程、面白いことを聞いた。つまり物理法則を魔法陣に組み込んで組み合わせれば、レールガンとか作れてしまうわけか」


『まぁそういうことになるが、核はやるなよ。過去に存在自体が意味消失したものがおるからな』


「う〜ん、それがどういう意味かわからないんだけど、存在に意味を見出してなければ消失したって何ともないよね」


『それは違いない。二度と生まれては来ない虚無の生き方じゃ。其方は輪廻転生を事実として知っておるから次の世のことを考えておるのじゃろうから言っておく』


 バステトは一呼吸おいて話し始めた。


『宇宙とは水面に浮かぶ泡のようなものじゃ。無数に存在して生まれたり弾けたりしておる。その中に其方らのような生命がおる。其方ら生命は幾度も生を受け、微生物から哺乳動物、其方らのような人間まで多岐にわたる。命は巡っておるのじゃよ。人に産まれ人に転生したことを感謝することじゃ。人に無意に踏み潰される蟻の一生を考えたことがあるか? 人に飼育され喰われるだけの家畜の人生を真剣に考えたことがあるか? それも同じ一生なのじゃよ。であるから、虚無に生きてはならんのじゃよ』


「重い言葉ですね。覚えておきます」


『良い良い、妾も喋りすぎた。其方がいう通り妾は目付け役じゃ。片時も離れぬ故覚悟することじゃな』


「分かりましたよ。では貴方をバスティと呼びますが、よろしいですね?」


『構わぬ。では妾は寝る』


 そう言うと猫は私の膝の上で寝た。


 言いたいこと言ってさっさと寝た。


 心の中までお見通しのお目付役ってヤバいよなぁ。


 それはさておき、面白い話ではあった。


 明日から試すか。


 そうして瞼を閉じた。

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