月の魔女と益荒女の物語

東風ふかば

第1話 神の手違い

 音もなく、光も熱も、感覚もない。


 脳死ってこんな状態なんだろうか。


 いつまで続くんだろうか。


 そもそも時間も無いんじゃないのか。


『はいお待たせしました。お次の方今見えるようにしますからね』


 唐突に元気の良さそうな女の声がしたと思うと、突然眩しい光を浴びて、思わず目を覆った。


『あ、眩しかったですね。ごめんなさい』


『病院ですか? ここ』


 黒髪で浅黒く、目の下に金色のペイントを塗り、真っ白な被服の狭い服を着た女がいた。


 前髪はまっすぐに切り揃えられていて、耳や首、腕に金の装飾品を付けていた。


 どう見ても看護師ではない。


 古代エジプトの壁画に出てきそうな人だ。


 自分はどうやら廊下に立っていて、廊下には柱が平行に並んでいた。


 廊下はどこまでも白く、柱は天井が見えないほど高いところまで伸びていた。


 まるで繰り返し設置された3D映像の中にいるような感覚だった。


『違いますよ。ここに来るのは死んだ人だけです』


『え? ちゃんと話もしてるし、あなたも見えてますよ?』


『それは、貴方が理解しやすいように細工しているだけです』


 擬似体験のようなものなのか。


『それではお名前伺いますね』


 事務的に進められていく。


 この人もきっと忙しいのだろう。


『羽田尚之です』


『ハタナオユキさんですね』


 パピルスの束から名前を探しているようだ。


「おかしいですね、リストにありません。自死ですか? 事故死ですか?』


『死んでないってことじゃないんですか?』


『それは無いですね。ちょっと額のとこ失礼します』


 そう言って額を指で押すと、自分の額から光が出てきて、目の前に巨大な絵が写し出された。


 最初は真黒だったが、徐々に赤黒く、鮮血のように真赤になったと思ったら、真白になった。


 そして次第に画像が見えてきて、光の中に緑の板と数字が見えて、次第にそれがトラックのバンパーだと分かった。


 光はヘッドライトの光だ。


 あまり良くない映像だ。


 視線が変わったのか、夜道で車道のガードレール越しにコンビニが見えた。


 見覚えがあった。


 それも過ぎてなお視線は下に移っていき、画面の下から猫の耳が見えた。


 どうやら抱えていたものを車道に置こうとしているようだ。


 猫を車道に置いて、遠ざかっていく。


『では回しますね』


 逆再生だった。


 猫を拾い上げて、視線を右に向けるとトラックのバンパーが目の前に来た瞬間画面が真っ赤になった。


 どう見ても死んでいる。


『猫を助けて轢かれたんですね。死因は頭部外傷で即死みたいです。覚えてますか?』


『覚えてません』


『何で猫を助けたんですか?』


『分かりません』


『困りました。この猫さんは生きてますか?』


『分かりません』


 知るはずもない。


 女を見ると、両手の親指と人差し指、中指で三角形をつくり、そこから右目で覗いていた。


 そう言うコスプレで、変なプレイの夢でも見ているのだろうか。


『それ何のお咒ですか?』


『お咒じゃありませんよ。ウアジェトっていう神器から貴方の世界を見ています』


 ウアジェト、確かラーの右目のことだ。


 左目はホルスの目と言われるが、右目は太陽そのものを指すらしい。


 つまり太陽から覗いているわけだ。


『でも夜じゃないの?』


『細かい人は嫌いですね。あ、死んでますね。助け損ねたんですね。では猫さんの魂も呼んでみますね』


 そう言うと、口の横に掌を寄せて、何ともステロタイプな呼び込みポーズをとった。


『猫さ〜ん?』


 すると目の前に巨大な白猫が現れた。


 身体に灰色の斑模様のある猫だ。


『呼んだか?』


『あら、バステト?』


『如何にも妾じゃ』


『貴方だったのですか』


 バステト、エジプトの猫の神の名前だ。


『貴方まさか、この方に何かしたんじゃありませんか?』


 猫は黙っていた。


『何かしたんですね?』


『助けてくれとチャームをかけてしまった…。あまりに眩しくて怯んでしまったのだ』


『それは貴方の過失になります。神の不始末の結果人間が死んだ場合、同じ等級の宇宙ならどこでもやり直すことができます。どんな世界をご希望ですか?』


『やり直し?』


『はい』


『何処から?』


『産まれるとこからです』


『それなら剣と魔法の世界がいいです』


『剣と魔法ですね? 不可抗力が認められていますので、家柄も選択できます』


『王家が良いですね』


『かしこまりました。ではギフトをお一つお選びになれますよ。今回の慰謝料です』


 箱にはカードがたくさん入っていた。


 一枚取り出すと、何も書かれていない白紙だった。


『それではお預かりします』


 そう言ってカードを引ったくると、額に差し込んだ。


 それはゆっくりと頭部に飲み込まれて行った。


『完了です。それでは現世に射出します』


『ちょっと待って何のギ…』


 そう言いかけた瞬間、音も光も熱もない最初の状態に戻った。


『3・2・1、発射!』


 声だけ聞こえた。


 どうやら何処かに発射されたらしい。


 何も見えないし感じないので、速度感がなかった。


『……』


『…あれ? おかしいな』


 何やら慌てている様子だ。


『あれ? ねぇねぇバステト、なんか的外したっぽい。え、外しちゃった。どうしよう』


『妾はどうすることもできんが、ところでマアトや、記憶は消したのかえ?』


『ああああああああああ! 忘れた!』


 ◇


 女の叫び声が小さくなってゆき、聞こえなくなった。


 真暗闇のままだ。


 しかし今は音が聞こえたし、身体の感覚もあった。


 真っ暗な中で寝かされているのが分かる。


 小さく人の声が漏れてきていた。


「…今この者の魂が御前に…」


 ゴンゴン


「おーい」


「…、今この…」


 ガンガンガン


「ねぇ開けてくれないかなぁ。ここ何処?

漏れそうなんだけど」


 声が出せたのは幸いだったが、妙に甲高い女みたいな声だ。


 外から何かザワザワと声が聞こえた。


 開けられる気配もないので、膝を持ち上げてみると、ゴトリという音がして、足元から光が入ってきた。


「あ、開いたし」


 手で持ち上げてずらしていくと、光が溢れてきて、バーンと大きな音がして蓋が床に落ちた。


「ヒィッ!」


 周りから驚きの声が聞こえた。


「ったく何でこんなとこ閉じ込めるんだよ」


 身体を起こして周りを見ると、近くに尖った白い帽子を被った全身白づくめの老人が、驚きと恐怖に塗れた表情で硬直していた。


 その奥には紺色の服を着た人々が並んでいて、やはり眉間に皺を寄せて、怯えたような顔でこちらを見ていた。


 見慣れない服装だった。


 右手を挙げてみると、皆同じように右手を挙げた。


 何か通じたみたいだ。


「あの、トイレ何処ですか?」


 その刹那、皆一目散に壁際まで後退りしてしゃがみ込んだ。


 白づくめの老人は尻餅を突いて口をパクパクさせている。


「あの…、トイレは…」


 皆ある一点を指差した。


 何をビクついてるのか…。


 指し示してくれた方には通路があった。


 そこを進むと、奥の方から嗅ぎ慣れた匂いがした。


 公衆便所の匂いだ。


 それにしても歩きにくい服だった。


 しかも股がスースーする。


 女ものの白いワンピースだった。


 ワンピース?


「え? ない? 何で?」


 股間に何もない。


 胸が出てるし女だよね、これ。


「何で?」


 何か無くしたみたいだぞ、と部屋の方から声がした。


 落ち着こう。


 まず小便して落ち着こう。


 便所の扉を開けた。


 田舎の便所だ。


 一段高くなっていて、真ん中に穴が空いている。


 裾を捲った。


 薄く陰毛が生えていた。


 腰を下ろした。


 小便が出た。


 間違いなく女で、小便も出るし、現実だと思われた。


 紙がない。


 それは今どうでも良い、戻ろう。


 部屋に戻ると、戻ってきた、とヒソヒソ声がした。


 さっきのままの部屋だ。


 真ん中に蓋の開いた木箱があり、周囲は色とりどりの花で埋め尽くされていた。


 壁は装飾もなく殺風景で、蝋燭の火が掛けられていた。


 棺の奥に両手を広げた女の像が立っていた。


 これは葬式ではないか?


 棺桶に入れられていたわけだ。


 つまり死んだのは僕か。


 その前に色黒の前髪パッツン女を見た。


 大きな化猫もいた。


 そう言えば、的が外れたと聞いた気がした。


 そうだ、剣と魔法の世界、王族だ。


 そう言っていたはずだ。


 壁に張り付いた人々を見た。


 ビクッとのけぞっていた。


「言葉、分かりますか?」


 皆頷いた。


 何故かずっと頷いていた。


「私の葬式?」


 皆首を縦に動かしっぱなしだ。


 首痛めるぞ。


 司祭らしき老人はもう意識がないようだった。


「生きてるんだけど…」


 皆口々に叫びながら建物から這い出て行った。


 化けものだと言う声がした。


 ただ一人だけ黒い髪を綺麗に結った女が、泣き腫らした赤い目で近づいてきて、僕の前で膝を折ると、僕を見上げて腕を掴んだ。


 そして強く抱きしめると、胸に顔を押し付けて子供のように泣いた。


 妙に照れ臭かったが、何故か悪い気はしなかった。

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