第6話 御簾越しの詫び
几帳の内側は、静まり返っていた。
昼の光は差し込んでいるはずなのに、部屋全体が薄暗く、特に御簾の向こうはひどい。
行直は、膝の上に手を置き、わざとらしく咳払いをひとつした。
「……昨夜は、失礼いたしました」
声を、少しだけ朗らかに整える。
「急に押しかけたかと思えば、ろくに挨拶もせず、すぐに立ち去るなど。
まこと、無粋の極み」
御簾の向こうから、間を置いて声が返る。
「……いえ」
若い女の声だった。
昨夜と同じ、澄んだ声。
「こちらこそ、突然のことで……」
行直は、胸の奥がざわつくのを感じながら、続けた。
「夜の帳が深く、
あなた様のお顔を拝見できなかったのが、心残りでしてな」
軽口のつもりだった。
――そう、つもりだった。
だが、言葉が口を離れた瞬間、喉がひくりと鳴る。
「……また、通わせていただければと」
その一言で、部屋の空気が微かに揺れた。
返答は、すぐには来なかった。
代わりに、控えていた女官――弓江が、静かに口を開く。
「……姫は、体調が優れませぬ」
声音は穏やかだが、どこか硬い。
「ですので、以前のように、頻繁には……」
「無理は申さぬ」
行直は、即座に応じた。
「だが、顔を出すことくらいは、お許しいただけるだろう?」
御簾の向こうで、衣擦れの音がした。
「……行直様」
氏子の声が、弓江の言葉を押しのけるように響く。
「ご無沙汰しておりましたのに……
そのように仰っていただけるのは、嬉しゅうございます」
行直は、笑みを浮かべたまま、目を伏せた。
「久しく伺えなかったこと、悔いております」
それは、半分は本心だった。
「今後は、折を見て――」
その先を言いかけ、言葉を切る。
「……許されるなら」
また、沈黙。
兼雅は、黙って二人のやり取りを聞いていた。
そして、ひとつの違和感に気づく。
(声が、疲れていない)
(……病の者の声ではない)
だが、その一方で。
(返答の間が、長い)
(まるで、誰かが言葉を選んでいるようだ)
弓江が、再び口を開いた。
「……今は、ご配慮を」
「心得ている」
行直は、深く頭を下げた。
「此度は、これにて失礼する」
立ち上がりながら、付け足すように言う。
「――また、文を」
御簾の向こうで、かすかに息を呑む気配がした。
「……はい」
その声は、どこか安堵を含んでいた。
部屋を出た後、廊下を歩きながら、行直は小さく呟く。
「……俺は、卑怯だな」
兼雅は、答えなかった。
だが、胸中では、はっきりと思っていた。
(この屋敷では、
真実ほど、口にしてはならぬものはない)
昼でさえ、これだ。
夜になれば――。
玄道の顔が、脳裏をよぎる。
(……まだ、呼ぶには早いか)
(いや)
兼雅は、歩みを止めずに考えた。
(もう、遅いのかもしれぬ)
物の怪理(もののけり) 鈴饅頭 @bell-needle1301
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