第4話 都を離れて

 夜明け前、二人は早々に都を発った。

 東の空はまだ白みきらず、牛車の軋む音だけが、薄い靄の中に響いている。


 都の屋根が少しずつ遠ざかり、代わりに緑の濃さが増してくる。

 行直は、その景色を眺めながら、ふと口を開いた。


「……相変わらず、玄道は山の方へ追いやられているのか」


 独り言のような声音だった。


「追いやられている、という言い方は適切ではないな」


 兼雅は、手綱を見つめたまま淡々と返す。


「公には、そう見える。

 だが――本人が望んで、そうしている節もある」


「知っての通り、嵐山は尊き御方や多くの公卿の別邸などもある山だ。

 あたらかの地を放置するわけには行かぬ」


「故に、守役が必要とされたのだ。

 それを玄道が知って自ら望んでかの地へと赴いた」 


「あの当時、玄道は上役とも揉めておったな。

 賄賂を贈らなかったとかで」


 行直は、鼻で笑った。いかにも玄道らしいと。


 兼雅は行直に相槌をしながら続きを話す。


「そうだ。

 折角、仕事を教えて『あげた』のに、礼の一つも寄こさない恩知らずめと。

 そして、玄道を僻地に送れたと喜んでおったな。

 だが、玄道本人にしてみれば、都の柵から解放されたと喜んでいような」


「まことに余計に厄介だな」


 行直は視線を逸らし、自分ならどうしただろうかと思いを馳せる。


 確かに、都では権力争いが絶えることはない。時には煩わしくも思う。

 事実、それなりの位にはあるが権謀術数はびこる宮中は息が詰まる事が多い。

 だが、貴族として生まれ権力に守られて生きて来た。そこから抜け出せるかとなると、話は別だ。


 行直の思いをよそに兼雅は話を続ける。


「昨夜も言ったが、藤原の家に生まれておいて、出世にも縁談にも興味を示さず、

 挙句の果てに嵐山で湯に浸かって暮らしている男だぞ?」


「……言い方」


「事実だろう?」


 行直の口調は軽いが、その裏には苛立ちを滲ませながら呟く。


「藤原にとって、いや藤原だけではないな。権勢を欲するどこの家も、あのような男は扱いづらい。

 無能なら切れる。野心家なら使える。

 だが、玄道は――どちらでもない…と」


 兼雅は、しばらく黙っていた。


「だからこそ、山だ」


 静かに、そう言う。


「都の論理から外れ、

 しかし完全に捨てることもできない場所」


 行直は、小さく息を吐いた。


「……なるほどな。

 追いやられたようでいて、

 自分から逃げ込んだようにも見える」


「逃げではない」


 兼雅は、きっぱりと言った。


「選択だ」


 その言葉に、行直は何も返さなかった。


 牛車は進み、都は完全に背後へ沈む。

 代わりに、嵐山の稜線が、ゆっくりと姿を現し始めていた。


 行直は、その山影を見つめながら、ぽつりと呟く。


「……あいつに会えば、

 また、こちらの腹の底を覗かれるんだろうな」


 兼雅は否定しなかった。


 むしろ、同意するように、静かに頷いた。

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