第3話 行かねばならぬ先
「とにかく、夜が明けねばどうにもならん。
今夜はこのまま、泊めさせて貰うぞ。
ついでに酒など出してくれても良いのだぞ」
行直は、図々しくも兼雅に宣う。
「仕方のないやつめ。暫し待っていろ。何か探してくる」
二人で膝を突き合わしつつも、月明かりを肴に酒を酌み交わす。
他愛ない会話ののちに、しばしの沈黙が落ちた。
灯明の火が、また小さく揺れる。
「……正直に言え」
兼雅は、唐突に低い声で言った。
「お前、あの男に会うのが怖いのだろう」
行直は、鼻で笑った。
「怖い? 違うな」
言い切ったあと、言葉を探すように視線を泳がせる。
「……気まずい、だ」
兼雅は何も言わない。
「藤原玄道という男はな、会うたびに、こちらの腹の底を覗いてくる。
しかも、責めもせず、諭しもせず……ただ、わかったような顔をする」
行直は、舌打ちした。
「俺はああいうのが一番苦手だ」
「お前が苦手なのは、自分を正しく見られることだ」
「やかましい」
だが、否定はしなかった。
兼雅もまた、複雑な顔をしている。
「……俺とて、気が進むわけではない」
「ほう、陰陽師殿もか」
行直が少しだけ笑う。
「玄道は、陰陽の理(ことわり)を軽んじる」
兼雅は、そう言ってから首を振った。
「いや……違うな。
軽んじているのではない。
信じる場所が、俺たちと違う」
彼は、思い出すように続けた。
「式神を見ても、祝詞を聞いても、あの男はまず“なぜ起きたか”を考える。
物の怪を見て、封じより先に“人の側”を見る」
行直は、腕を組んだ。
「それが、藤原の厄介者と呼ばれる所以だな」
「……そうだ」
兼雅は認めた。
「彼の家、藤原の家風からすれば、異端も異端だ。
出世にも、縁談にも、何ひとつ興味を示さぬ」
「そのくせ、無能ではない」
「だから、扱いづらい」
二人は、同時に息を吐いた。
行直が、ぽつりと言う。
「だが、あいつは――」
言いかけて、止めた。
「……いや。
今はやめておこう」
兼雅は、行直の顔を見た。
「何だ?」
「言葉にすると、腹が立つ」
行直は、苦笑する。
「認めてしまうようでな」
再び沈黙。
夜は更け、外では虫の声が途切れ途切れに響いている。
「……なあ、兼雅」
行直が、低く言った。
「今回の件、本当に“物の怪”か?」
兼雅は、即答しなかった。
「わからぬ」
正直な言葉だった。
「だが、人の手が絡んでいるのは間違いない」
彼は、視線を伏せる。
「声と姿が違うなど、術としてはあり得る。
だが、それが長く続くなら、代償がある」
「代償?」
「身体だ。心だ。
――どちらかが、削られる」
行直の表情が曇る。
「……彼女は、生きているのか」
「それすら、確信は持てぬ」
兼雅は、静かに言った。
「だからこそ、玄道だ」
行直は、深く息を吸った。
「……仕方ないな」
そう言いながらも、立ち上がらない。
「嵐山は、遠い」
「距離の話ではあるまい」
「心の話だ」
二人は、苦笑し合った。
だが、その笑みはすぐに消える。
「夜が明け次第だ。
これ以上、事を寝かせるのは危うい」
兼雅が、きっぱりと言った。
行直は、渋々ながらも頷いた。
「……ああ」
そして、ぽつりと零す。
「玄道に会うのも久しぶりだ……。
よりによって、こんな形で縁を繋ぎ直すとはな」
その言葉は、後悔とも、諦観ともつかぬ響きを帯びていた。
嵐山は、都の外れ。
だが、二人にとっては――
心の奥を覗かれる場所でもあった。
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