第二章:ひいた男 岩谷 蒼心 (いわたに そうご)

 俺は車でドライブに出かけました。恋人に振られた気晴らしで普段は知らない山道を走って、山の頂上でたそがれてみました。しかし、普段の町が小さく見えてむなしく思えます。ただそれだけの残酷な景色でした。あたりは朱色に染まって、いくばくかはきれいに見える景色が俺を日常に戻してゆくのです。こんなところで時間をつぶしている暇は俺には残されていません。明日も明後日もその次もそのその次も泣きたくなる現実が待っています。

 ブルゥゥゥン

 そんな考え事をしながら俺は車にエンジンをかけていました。それなりに名の知れた高級車だった気がしますが、もはや名前も覚えていません。恋人についてもこんなもので振られた哀しさよりも今までかけた金が無駄になったことだとか、価値なしと見限られたことを哀しんでいるのかも、そんなことを考えている時点で俺はフラれる人間なのだ。そんなことばかり考えていました。

 そう考えを巡らせながらも俺は運転を続けました。世界は朱色の明るさを下げてゆくことでさらに俺を焦らせるのです。そんな中でも、標識、汗の匂い、鳥のさえずりは行き先への集中を乱してゆきます。こうやってすぐに気が散るのは俺の欠点で特に人に伝えてはいけないと母は言っていました。そういえば......そうやって俺の意識、目線は助手席の携帯に吸い寄せられていきます。幸いすぐにその粘着質な強迫観念はすぐに振り払うことができました。この曲がりくねった山道で意識の分散がいかに危険かは分かっているつもりでしたが、それを上回るほどの恐怖が母に対してあるのでしょう。と、我ながら他人事のように考えました。とにかく早く連絡しなければ、母は食事を冷ますことを何よりも嫌います。季節としての冷める速さを考慮してもギリギリもしくは下り終える前に連絡が来るでしょう。それはすでに期待に応えられなかったことを意味します。何か今までそういったことを自らが犯したわけではありません。しかし、俺が物心つくころには父はいなかったその事実は、1度の失敗が見捨てられることに繋がっているようで、昔から怖かったのです。

 想いを巡らせていれば、時間は経つものでなんとかギリギリ間に合うところで山を下りられそうでありました。前方には一眼レフカメラを持った若い男が道のギリギリで立っていたはずです。

 リリリリン、リリリリン、リリリリン......

 その音は鳴っていました。その音は母からの着信音です。もうすでに間に合ってはいませんでした。視線は助手席の携帯へ釘付けになり、耳は着信音以外の音を聞かなかったことにする。心臓の音が頭の中をいっぱいにし、呼吸が荒くなる。しかし、俺はなんとか前を向きました。その時点ですでに、間に合ってはいなかったのでしょう。そこには若い男がカメラを高く掲げ覗き込んでいました。問題は前にいたことです。急ブレーキを踏んだ、車は信じられない音を立ててその勢いを殺し、最後は男に当たった衝撃で止まりました。

 ドンッ

「清さん、貴方が慰謝料を求めない代わりに話すように言われた、俺の全てです」

「いいえ、岩谷さん、私は全てといったんです。まだ、続きがあるでしょう?」

「清さんっ! 先ほど言ってたじゃないですか、俺の事故の事後の行動には問題がない事は確認済みだって!」

「いいえ、もっとその後です、ならなぜ貴方は私の家にこれから住むことになるのでしょうか? ちゃんと貴方の口からお聞かせ願いたい」

「わ、わかりましたよ、話します」

「俺のできることは全て行いました。そのあとです。その間も携帯が鳴っていたことを私はすっかり忘れ、少しの間で母に電話しました」

「その時の言葉は生涯忘れられないでしょう」

「電話をかけて、俺が何かを言うより先に、母は今までに聞いたこともないような冷めた声音で『貴方はもういらないわ』そういったんです」

「俺の人生はこうして終わった気がしたんです」

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