辺境伯領編最終話 第55話 母に捧げる誓い
「ここが……ルシアが育った家か」
男爵家の外れにある塀で囲まれた粗末な建物を見てマライアさんは押し殺した声で言った。
「僕は……ここが有ったから僕になれたんです」
「……そうだな」
小さく息を吐いたマライアさんは落ち着きを取り戻し、僕の頭を優しく撫でた。
もともと静かな建物だったけど、今はあの時の様な温かさは感じない。ひんやりとした空気――
(ここはもう……僕の帰る場所じゃないんだ)
お父さん達を王都に送り届けたあと、僕はマライアさんにことわり男爵邸に立ち寄った。
「ここでルシアが育ったんだな」
「あそこの中庭。小さかった頃にクリーンの魔法がピカーって暴走して、辺り一面がピカピカになっちゃったんですよ」
「ふふ、ルシアは小さい頃から自重出来なかったのか」
クスりと笑顔のマライアさんは僕が育った中庭を優しい眼差しで見ていた。
――ガタッ
扉が静かに開いたかと思えば、掃除道具を床に落としたテレスが驚いた顔で立っていた。
「ル、ルシア坊ちゃん……!」
「テレス!」
僕は無意識に走っていた。
「テレス、テレス……」
テレスに抱きついた瞬間、涙が出てくる。まさか泣くとは思わなかった。
「うわぁぁぁぁ、テレスぅぅぅ」
あれからまだ一ヶ月程度しか経っていない。
でも牢獄での寂しさ、収容所での厳しかった暮らし、そして今さら感じるテレスの温かさ。
心のどこかがほどけていくみたいに僕の涙は止まらなかった。
◇
僕の頭を優しく包むテレス。
……温かい。
「うっ、ありがとう……テレス」
「ルシア坊ちゃん、お帰りなさい」
僕は泣き止み、ゆっくりと顔を上げた。テレスの目にも涙が溜まっていたが、その表情は明るい。
「ただいま、テレス」
テレスが腰を落とし僕の視線と同じ高さになる。
「私はもう、坊ちゃんが心配で、心配で」
「うん、ごめん」
「坊ちゃんは悪くありませんよ。ただ、元気でいるか、ごはんは食べているか、それはもう……」
テレスは白いエプロンをめくり上げ、顔を覆った。
「もう、僕は大丈夫だよ、テレス。今は優しい人達に囲まれて幸せだから」
「幸せで……ございますか」
テレスはエプロンを下げて、濡れた目で僕の顔を見る。
「うん! 僕ね、婚約したんだ!」
「こ、婚約!?」
テレスは大きく目を見開いた。
僕はテレスに、あの日から今日までの事をゆっくり話して聞かせた。
「マライアさん、僕の婚約者だよ」
僕の後ろで静かに話を聞いていたマライアさんが静かに一歩前に出た。
「ロンズデール辺境伯家、マライア・ロンズデールと申します」
「へ、辺境伯様の……」
テレスは慌てて立ち上がり頭を下げた。
「畏まらなくていい。テレス、今までルシアを育ててくれた事、感謝する」
「い、いえ、私はルシア坊ちゃんの母――ソニアからルシア坊ちゃんを任されましたから……」
「いや、本当にありがとう」
マライアさんは小さく頭を下げた。
「マ、マライア様、あ、頭をお上げ下さい」
慌てたテレスは、おもむろに頭に被っていた白い頭巾を取った。そして髪を束ねていた赤いリボンを解く。
「マライア様、お手汚してございますが、このリボンを受け取って頂けませんか」
テレスの手の平には色褪せた赤いリボンがある。
「……これは?」
「ルシア坊ちゃんの母ソニアが亡くなる時に、お坊ちゃんを頼むと私に渡されたリボンにございます」
「……ルシアの……お母様から」
「はい。差し出がましいようで恐縮ですが、是非マライア様に受け取って頂きたく存じます」
マライアさんはそのリボンにそっと手を伸ばし受け取ると――
「テレス、お前の宝物、お母様の思い、このマライア、しかと受け取ったぞ」
そう言ってマライアさんは、長い銀髪を後ろで纏めていた青いリボンをほどき、テレスから託された赤いリボンで縛った。
「あ、あり、ありがとうございます……」
テレスは膝から崩れ落ち――
「ルシア様を……どうか……」
白いエプロンで顔を覆い涙を流す。
「ああ、任された」
マライアさんは泣き崩れるテレスの肩にそっと手を置いた。
僕は二人の姿を見ていたら、知らないうちに涙が頬を伝っていた。
◇
夕刻。
西の空に浮く白い雲が茜色に染まり始め、暖かかった春の風も次第に冬の寒さを取り戻し始める。
僕はマライアさん、テレスと三人で春先の小さな花が咲く、町外れの細い道を歩いていた。
長く伸びた三人の影の先に、静かに母の眠る墓地が佇んでいた。
テレスの案内で母の墓石が見えてきた。テレスはそっと足を止め、僕とマライアさんは二人で母の墓石の前に立った。
「……ここがお母さんの……」
僕は背丈より少し低い墓石の前に立ち手を合わせた。
「お母さん、ルシアです。十年もの間お墓参りも出来なくてごめんなさい」
後ろに立つマライアさんは黙ってお墓を見ている。
「テレスがね、とてもよくしてくれたから、寂しい思いはしていなかったよ」
僕は目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
(お母さん、僕をこの世界に呼んだのはお母さんだよね)
『ルシア』に悲しい思いをさせない為に願いをかけたのかもしれない。
僕がこの世界にきていなかったら『ルシア』はどうなっていただろう。そんな事を思った事があった。
その『ルシア』は遊ぶ知識さえなく寂しい思いをしてたんじゃないのか?
でも僕は元気に、そして幸せも手にいれた。これを一番喜んでいる人は――
「お母さん、紹介したい人がいるんだ」
マライアさんは静かに僕の隣に並んだ。
「お母様、マライア・ロンズデールです。ルシアとは縁あって婚約することとなりました」
マライアさんは手を合わせ母に婚約を伝える。
「ルシアは強く、賢く、心優しい、その魅力に私は心を惹かれました」
そう言われると少し恥ずかしい。
「これから二人共に歩く道を見守っていて下さい」
「お母さん、マライアさんはすごく優しくて、時には強く、たまに厳しいけど、僕はマライアさんを愛しています」
隣のマライアさんの頬が少し赤く染まった。
「そして、成人迄にマライアさんに相応しい男になって結婚します」
僕は墓前に誓う。
「それと、新しい家族、マライアさんのご両親にも挨拶したよ。とても温かい……」
あれ? なんで涙が……。
テレスを除けば、家族のいなかった十年間の月日、心の中では家族、安らぎを求めていた。
「とても温かいお父さんとお母さんなんだよ。僕は……家族が増えて……」
涙が視界を奪い言葉が紡げなくなった。
マライアさんが優しく頭を撫でてくれる。
「マライア……さん」
マライアさんは泣いている僕を見て柔らかい微笑みを湛えると、鞄からハンカチに包まれた写真を取り出した。
あれは、辺境伯邸での……。あの時、大事そうにハンカチに包んでいた……。
「お母様――」
マライアさんは墓前に写真を供えた。
「この写真はルシアが発明したものなんです。写真には笑顔の家族が写っています。お母様にも見て頂きたく持参しました」
「マライアさん、お母さんに写真を見せてくれてありがとう」
マライアさんの優しい気持ちにまた目頭が熱くなる。
「ね、お母さん、マライアさんは優しい人でしょ」
涙を払いマライアさんを自慢する。
その時、一瞬、マライアさんのダイヤの指輪が光り輝いた。
西から差し込む夕日のせい?
ううん、あれはきっと……
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