第15話 龍と猫

 職員室へ駆け込み、安東先生に井龍の住所を尋ねた。

 個人情報だからな……と最初は渋られたものの、先日のノートパソコンの一件を交渉材料に、なんとか教えてもらうことができた。ついでに「早退します」と告げたら、「俺は何も聞かなったことにする」と役者じみたことを言い出したので、啄木鳥よりもかくかくと頭を下げた。


 神さま。どうか、安東先生に祝福を。


 そこからはメロスよりも走ったように思う。


 丸めたブレザーを脇に抱えて。春だってのにバカみたいに汗をかいて。見えもしないヨアちゃまの影を追い、太ももとふくらはぎが限界を迎えたところで、立ち止まった。


 いや、とっくに限界なんてものは超えていたのだろう。

 僕も、井龍も。

 インターホンを押したのは一度だけ。

 正直、半殺しにされるかと思った。


 目白台の住宅街にある二階建ての一軒家――その扉を開けて姿を現した井龍翔馬は、ジャックを見下ろす巨人よりも剣呑な顔で僕を睨み付けてきた。スウェットだ。グレーの。完全にオフじゃないか。デカい。


「ちっとは迷惑を考えろよ。あほみたいにピンポン鳴らしやがって」

「それについてはすまない」


(僕は鳴らしてないけど)


 さっきまでここにいたであろうヨアちゃまの分まで、僕が謝っておく。


「つうか。誰だよ、お前」

「あー。えー」


(そうか。井龍は僕のことを知らないんだった)


「二組の木天寥またたび。ヨアちゃ、春夏冬あきないよあきの友達と言えば分かるか?」

「ちっ。ならよあきに伝えとけ。もう気にしてねぇから、俺に構うなって」


「いきなり舌打ちか。失礼なやつだな、おまえ」

「なら、お前はバカか? 帰れって言ってんだ」


 なんなんだこいつは。


「やだね。話をするまでは帰らない」

「あんま調子に乗ってっと、殺すぞ」


 僕と井龍は睨み合う。


 距離が縮まると、相手はさらに大きく見えた。いや、詰められたというべきか。


 強豪バスケ部のホープというだけあって、身長も、体格も、筋肉の付き方も、そこらの男子高校生とは一線を画している。加えて、この甘いマスク。見下ろされることには慣れているけれど、空を仰ぐ姿勢で、怒り心頭のイケメンに見下ろされるのは初めてだ。


 目だけは逸らさなかった。その覚悟たるや、上田合戦における真田昌幸。


「おまえ、ヨアちゃま相手でも『殺す』って言えるのか?」

「あ?」

「人を見て態度や言動を変えているなら、やめとけ。その手の脅しに屈したことは一度もない。ああ。言いなおそう。相手を見て喧嘩を売れってことだ」

「黙れ。先に一線を越えてきたのはお前らだろうが」

「やれやれ。男なら黙って、黙らせてみろよ。拳で」


「ああそうかよ」


 視界の斜め上から、井龍のにぎり拳が降ってきた。

 だとすれば僕の猫顔はさながら隕石を優しく受け止める母なる海だったに違いない。

 ご近所さんからも、母さん似とよく言われるし。


 頭が揺れ、体が傾く。


(こ、こいつ……本当に殴ってきやがった)


 ワイシャツの袖で鼻血を拭いながら、僕は至極冷静に口を開いた。


「……言ったろ? 殴られるのには慣れている」


 正直、むちゃくちゃ痛い。慣れてたまるか。


「おまえに分かるか? 家族や幼なじみに心配をかけまいと、ひとりでいじめっ子たちと戦った僕の気持ちが。あれは……小学生低学年の、いつ頃だったかな。とにもかくにも、全戦全敗だった。その敗北が僕のハートを強くした」

「……」


 井龍は押し黙った。

 若干、顔が引き攣っているようにも見える。


 ふむ……。臨んだ反応ではないけれど、怒りの丈が発散できたのなら上出来だ。宇宙ですら溜め込んだものを爆発させて始まった。それなのに限界ギリギリまで感情を抑え込もうとするなんて、こいつは随分と自惚れた野郎だ。


(……身長が高いやつって無駄に態度がデカいんだよな)

 まあ、これは僕の偏見だけれど。


「そもそもおまえ、人を殴ることに慣れてないだろ」


 僕はシニカルに笑ってみせる。

 殴り慣れてるやつは一発じゃ終わらない。


「そんな顔されたら、まるで僕がおまえをいじめてるみたいじゃないか」

「なんなんだよ……お前は」

「正直、僕も、どう説明していいのかが分からない。その、友達が少なくて――」


 これについては言い訳をさせてほしい。

 母さんと一緒に一年生になったらを歌っていた幼少の頃の僕は、慢心でも過大評価でもなく、ハムスターやお目目くりくりの子猫よりも愛らしかったはずなのだ。


 なのに、どうしてこうなった。霊感のせいだけにはしたくなかった。


「――だから、そんな顔をしたやつに何を言えば話を聞いてもらえるのか、分からないんだ。どうしたらいいと思う……?」

「お前、やっぱバカだろ?」

「さあ、それはどうだろうな。一応、偏差値は『45』ある」

「俺のほうが高いな……てか、平均もいってないだろそれ」


 ……………………おまえ、六組だろ。

 スポーツクラスにいるやつはもれなく頭が悪いってのがお約束じゃないのか。


「……開示だ。開示だ、開示! このまま僕を追い払ったら絶対に訴えてやる!」

「だあああもう、うぜえなぁ。わあったから、あがれ。殴って悪かった」 

「お代はお茶で構わない。できればミネラルを補給したいから麦茶で」

「ちょっとは遠慮しやがれ。……名前、なんつったよ?」

「小金。木天寥小金」


 はぁと嘆息しながらも、井龍は僕を家にあげてくれた。


 なんだよ、話せば分かるやつじゃないか。

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