第16話 春夏冬よあきの境界線

 寝転んで漫画を読みはじめると、ページをめくる手が止まらなくなった。


 エッチなシーンに心を揺り動かされたわけではない。アオハコと呪術廻戦でカモフラージュされた本棚の奥にトラブルが潜んでいると知ったときの僕の心情といえば、まさしく盗賊のお宝の在りかを探り当てたアリババのようであった。


 ひらけー、男のロマン。


「なあ、小金。お前、やっぱり変だぞ……。よあきのツレって言った時点でまともじゃないとは思ってた。お前をうちにあげた俺にも責任がある。けどよ……人ん家でそんなにくつろぐやつがあるかぁ?」


 井龍の家の井龍の部屋で井龍が何か言っている。

 僕はベッドに漫画を置き、よっと半身だけ起こして胡坐をかく。


「まともじゃないってどういうことだよ。おまえはヨアちゃまと友達じゃないのか?」

「そりゃ友達だけどよ、お前が思ってるような関係じゃない」

「というと?」

「ありゃ、中三の時だったな」


 井龍はフカフカそうな座椅子に深くもたれながら、しみじみと語り始める。


「十人くらいで肝試しに行って、廃墟の周りをぶらぶらしてたんだ。そしたら、室井ってやつが黒塗りの高級車を見たって騒ぎ出した。スーツを着た怪しい連中が、何かを埋めていたんだと。俺らはビビってた。《死体じゃないの?》って言うやつもいたな。でも、あいつだけは違った」


 それが俺たちとよあきの境界線だった、と井龍は前置きし、


「なんせ、あいつは掘り返そうって提案してきやがったんだからな。ははっ。当然、その場にいた連中は全員、よあきを止めようとした。でも、止まっちゃくれなかった。 《先に帰ってて》 その一言に、俺は度肝を抜かれたよ。ああ、こいつ……ひとりでも、全然怖くねえんだなって」


「ふむ。なるほど」

「あの夜一番怖いと思ったのはよあきの笑顔だ。あいつの好奇心に付き合うのは茨の道だぞ。マジで」


 いばらのみち? くくっ。


「無理するな、井龍。おまえ難しい言葉を使おうとしてるだろ?」

「お前より偏差値が高いんだよ!」


「いや、僕は現国だけは学年トップクラスだと自負している。数学や英語を捨てて集中的に勉強してるからな。国語ってのはお国の言語だ。それを学べる機会に恵まれながら、他の教科にかまけるってのは、中々どうして故郷への愛が足りてないと思わないか?」


「わあった、わあった、よく聞け小金。お前は典型的なバカだ」


 こいつ、殴ってやろうか。

(自分のほうがちょっと偏差値が高いからって……)


「そのマウント癖は直したほうがいい。将来損をするぞ」

「おおきなお世話だ。あ、お前はチビだったか。はは」

「そういうおまえはノッポのくせに随分とビビりなんだな。『赤い女』とかいうストーカーにつけまわされて、学校を休んでるんだって?」

「……誰が言ってんだよ、それ。よあきか?」

「中村」

「あのウルトラバカが」


 ソーリー、中村。すまないとは思ってない。


「小金、麦茶がもうひとパックある。それやるから、この件にだけは関わんな」

「おまえは僕をバカにしてるのか?」

「言い訳になるけどよ。一発ぶん殴れば流石に退いてくれると思ったんだ。お前がバカすぎて家にあげちまったが、それだって、本心では望んじゃいない」


 井龍は天井を見上げる。僕もつられて見上げる。ロフトの柵から、ハンガーに吊るされたサイン入りのバスケットユニフォームが垂れていた。


「僕はつまらないか? バスケ部のノリは分からないんだ」

「お前やっぱりバカだろ。良い気分転換になったよ」


 けどよ……と、呟きつつ、井龍は額を手で覆った。


「……お前らまであの女の標的になっちまったら、どうすんだよ。行くところ行くところに……同じ服を着た同じ顔の女がいる。あの恐怖は、言葉なんかじゃ言い表せねぇぞ」


(ああ。それが本音か)


 だから、遠ざけようとしているのか。

 部活も、香川さんも、ヨアちゃまも。


「よあきに根掘り葉掘り聞かれて……目が覚めた。なにヘラヘラ、ダチとくっちゃべってんだって」


 井龍は言う。


 ストーカーというのは、僕たちが考えている以上にタチが悪い人種だと。

 力尽くで追い払ったとしても、家族や友人に被害が及ぶ可能性があると。

 ニュースや新聞なんかで、さらっと読み上げていい軽い問題じゃないと。


「全部……のしかかってきやがる。重いんだ。だから、頼む、小金。そっとしといてくれ。俺のせいで、誰かが傷つくのはもう嫌なんだよ……」


 バスケットボールが泣いてるように見えた。静かに。ひそかに。

 多分、井龍の手が大きくて、そう見えたんだと思う。


 井龍翔馬はいいやつで、ただのいいやつだった。


 だからこそ。このままにはしておけない。


 たとえば籠球のろの字も知らない僕が、誰もいない体育館でひとり黙々とシュート練習をすれば、一体どれだけのバスケットボールがリングを掠めるのだろう。確率は問題ではなかった。


 井龍の意に反するであろう考えが、次々と頭をよぎる。

 それは当然、僕ひとりでどうにかできる問題でもないのだけれど。


 もし、この一件が片付いたら、友達になれるだろうか。そんな僕のささやかな願いを、ネットに吸い込まれたボールが拒絶するとは、とても思えなかった。


 筋は通したと思う。ここから先は僕の『領域』だ。




「よあきにも言っとけよ。ちゃんと」

「えーっと、なんだっけ」

「ちっ。これだからバカは。警察に動いてもらうからこの件には関わるな。俺はしばらく家を出ねえけど、よあきのせいじゃないから気にすんなって――」

「ん?」


 玄関のドアの隙間から顔だけを覗かせ僕をさっさと帰らせようとする井龍が、顎で後ろを指した。振り向くと、長方形の紙袋を抱えた香川さんがいた。


 元カノ参上。おそらく、お見舞いに来たのだろう。


「翔馬……誰、この人?」

「ただのバカだ。もう帰るってよ」


 ただのバカとは失礼な。おまえだってただの大馬鹿野郎のくせに。


 反射的に言い返しそうになったけれど、温泉宿で赤の他人同士の終わらない卓球ラリーを眺めるほど退屈な時間はない。僕は空気を読める男だ。

 おそらく香川さんは井龍にまだ恋をしている。恋の邪魔者と認定されるのも癪なので、軽く会釈だけをして彼女の横をすり抜ける。


「りんごいっぱい買っちゃった。食べれそう?」

「世話かけて悪いな。小金も、またな」


 僕は振り返らず、手だけを上げて歩き去る。


 その足で、囲碁界の総本山「東京本院」へと向かった。

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