第7話 シュレディンガーの蛇

 蛇を食べたのは生まれて初めてだ。


 幼なじみのゲキウマ手料理で麻痺した僕の舌では、これといって劇的な感想は浮かばなかったけれど、強いて言えば『鮭とば』に近かったように思う。ヨアちゃまは「カリカリの豚バラじゃね?」と口にし、師匠は少し考えた末に、「ヤマカガシだね」(ヤマカガシじゃないか)と各々の感想をもらした。


 なるほど、共通認識が一切ない。


「さて、腹ごしらえも済んだことだし。彼氏ボーイフレンドを借りていくよ、よあきちゃん」

「それがさー、さっき秒で別れたんよねぇ」

「あん? 奥多摩湖に沈めるぞ、小僧。よあきちゃんのどこが不満だってんだい」

「だってんだい☆」

「ふーむ。強いて言うなら、この悪ノリですかね」


 ひーと、二人してお腹を抱えて笑っている。

 大丈夫か、この人たち。どうやら共通認識がないのは僕だけらしい。


 けれど、疎外感よりも「血は争えないな」という諦観が勝った。

 デニムの肩紐を二の腕あたりまでずり下げ、おばあちゃんの家でだらける孫を身をもって示すヨアちゃまが、その関係の深さを如実に物語っている。


「つか、ばっちゃん。マーくん、連れてどこ行くん?」

「ただの散歩だよ」

「怪すぃ」

「まさかよあきちゃん、嫉妬してるのかい?」

「べ、べつに、ジェラってなんかいねーしだかんね? ぽっ」


 ギャルだかツンデレだかよく分からない、鵺芝居さるしばいはやめろ。


「くく。よかったね、糞ガキ。奥多摩湖か山奥か選ばせてやる」

「ふむ。沈められるか、埋められるか。じつのない二択ですね」


 孫バカの嫉妬にもほどがある。

 あるいは遺伝子レベルの悪ノリ……笑うな、そこ二人。


「ま、よあきちゃんが初めて連れてきた男だ。死なない程度に試してやる」

「マーくん、がんば。将を射んとせば先ず馬を射よってやつやつ☆」

「僕が惚れてる前提で話を進め、る、な」


 ただ、その、なんだ。


 姉、妹、幼なじみ、という魔の三角形から成るバミューダドライアングルの中心で、女性への「耐性(と失望)」を順調に積み重ねてきたこの僕が、『ドキッ』を自覚するのもなかなか珍しい。それが好きに直結するかは別として。少なくとも僕はその手のいかにも人間らしい葛藤を、まだ、うまく言語化できる自信がない。


 許嫁の話を断り続けているのも、そういう理由だ。

 朝顔に魅力がないわけでも、ヨアちゃまに魅力がないわけでもない。


 まあ、前者は『依存体質』で、後者は『からかい』属性持ちのギャルなので、本気と冗談を真に受けないことが肝要である。


 ――そんな、心づもりを、何度も、何周も怪獣みたいにループさせていると、


つゆたまんとこの嬢ちゃんは元気かい?」

「え、あ……え?」


 師匠の声に、思わずはっと我に返る。


「ぼーっとするな、小金。男が淑女レディーをエスコートしなくて、どうする」


 あぁ……そうだった。散歩の途中だったのだ。

 気がつけば、師匠は下駄のまま先を歩いていて、僕も慌てて後を追った。


 思考の渦から引き戻されたことで、眩しさ。樹液の臭い。鳥の囀り。肌にまとわりつく湿気。鉄の味。それら五感が、一挙に押し寄せてくる。


 ……ん? 鉄の?


「あれ、血が……」

「やはり、そうか」

「……やはり、とは?」

「お前さんが無意識に唇を嚙み切るほどの面妖が近づいてるってことだね。入りな」


 離れの倉庫。そのような印象を受けるプレハブの扉を開け、師匠は顎で中を示す。いかにも、という感じだった。

 その暗がりの奥には、ベクシンスキーの絵画のような濃密な違和感だけが漂っていて、部屋の中央に家庭用の金庫が置かれている。


 ほどなくして、パチパチと照明がつき。


「もう一度問うよ、小金。露ヶ玉んとこの嬢ちゃんは元気かい?」

「えっ、あ、はい。……息災ないかと」

「そうかい。それで? お前さんはアレを目にしてもまだ呆けているつもりかい?」


 僕はかぶりを振った。


「あれはなんですか、師匠……」

「何って、ただの金庫じゃないか」

「……いえ、そうではなく、僕が聞いているのは、匣の、中身です――」

「ふっ。さっき食べたヤマカガシのだよ。奇形も奇形、双頭の蛇のね」

「双頭?」


「ああ、そうさ。お前さんを迎えに行かなかったんじゃない、迎えに行けなかったのさ。会話ができそうなら瞬きを一回。まだ瘴気にあてられているなら瞬きを二回しなさい」


 師匠の指示に従い、僕は一度だけ瞬きをする。

 それだけで、事足りた。

 嘘をつけないこの目に、ひさしく忘れていたこくしょくが映り込む。

(――瘴気だ)


「片割れ……とは?」

「ふむ。どう説明したものか」


 師匠は着物の帯に差し込んでいたタバコの箱をすっと抜き取り、親指で上蓋をこじ開けながら、ぽつりと呟く。ラス2か。今日はとことんついてないね。と。

 ひと箱は二十本入りで一服につき三本同時に吸うのだから、決まりきった不運が巡ってくるのも、当然といえば当然だった。


 けれど、今ここで、それを引き当てるのは


「先日、軽トラを走らせている時に蛇を轢いてね――」


 そこで一旦区切り、師匠はタバコを二本銜えた。

 シゥッとマッチを擦り、じじと煙草に火をつけ、もわっとけむりを吐き出しながら、


「――片方はぺちゃんこで、もう片方は元気そのもの。まるで『トカゲの尻尾切り』みたいに、無傷のほうがぺちゃんこのほうを切り離しやがった。驚くべきは、切り離されたほうもまだ息をしていたことだね。お前さんも見たろ? 平たいヤマカガシを」


 僕は頷く。


「はい。確かにこの目で。車に轢かれて『ツチノコ』のように平たくなったと考えれば、あの奇形にも合点がてんがいきます。ただ、その」

「みなまでいうな。無傷のほうは、この私が関わりたくないと思うほどには、面妖だった。他に説明は必要かい?」


「いえ」


 師匠は、オネストスモーカーだ。そこにも『嘘』を混ぜる。

 左手で、タバコを吸う時間ときだけは嘘をつかないという。今は右手。


「巻き込んでしまって、すまないね、小金。①平たいほうを生きたまま吊るす。②無傷のほうを金庫に閉じ込める。③孫にツチノコが獲れたと写真を送る。この噺はそれでしまいのはずだったのさ」


 師匠は左手の指を三本立て、それを一本ずつ折りながら、手短に説明してくれた。


「僕のほうこそ、申し訳ありません。お孫さんとの時間を割いてしまって」

「まったく、驚かせてくれる。よあきちゃんとは仲良くやれてるかい?」

「……そうだといいな、とは思います。でも、気にしているところはそこじゃありません。師匠の『お仕事モード』の顔はレアなので」


「ふっ。此度のケースは『シュレディンガーの蛇』だったのさ」


 師匠は言う。

 死んでいるのか死んだまま活動しているのかは、さほど問題ではなかった、と。

 ただし、金庫の中の蛇に「霊的なもの」が降りているかどうか、その観測がなされるまでは、確信も懸念も半々だったという。


 そんな五分五分の状況で、ヨアちゃまが僕の名前を口にしたらしい。


 視える僕が登場したことで、師匠の懸念は確信に。

 事態は一方へと収束した。


「霊能者の業界せかいは『信用』が命だと仰ってましたね」

「ああ。この手の面妖を扱う専門家に引き渡そうにも、私は肝心の目を持っちゃいない。呼んでおいて、霊が降りてきてなかった。あるいは、本当にUMAでした。そんなふうに専門外の仕事を押し付けるやつは、三流未満なのさ」


 ただ、それだけの噺だった。灰がほろりと落ち、幕は下りた。

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