「付喪神」編

第9話 ノートPCにカピルス

 東京都立東雲高校は、クラスごとに特色がはっきりしている。


 一組から四組までは普通科で、数字が高い順に頭の良さが上がっていく――つまり、僕のような、やや勉強不足の生徒は二組に配属され、ノリとテンションだけで生きてるパリピに囲まれながら、進級までの年度をなんとかやり過ごさなければならない。


 授業中も笑い声が絶えない様はどこか理想郷じみている。黒板の文字を追う集中力を消えたアーサー王と共にアヴァロンに置いてきた説が濃厚であり、このクラスにいると『偏差値45』の僕でも賢くなった気になるのだから、不思議だ。


 鶏口牛後、鶏口牛後。


 ひとまず、普通科については大体そんな感じ。

 五組はライフサポート科で、六組はスポーツ科。


 そして、七組と八組は特別進学コース。賢いクラスだ。特に八組は『Sクラス』と呼ばれ、全国模試で常に上位を占めるエリートの巣窟らしい。


 もっとも、それは歴代の先輩たちの実績であり、今年の一年生が同じ結果を残せるかは未知数だ。ひとり、涼しい顔で満点を叩き出しそうな人物に心当たりはあるけれど。


 要するに、だ。

 僕と新入生総代の朝顔との間には「天と地ほどの差」があり、たとえ幼なじみであったとしても、校内においては気軽に挨拶ができない。


 端的に言えば、近づきがたい。


 なにせ、八組の教室のドアを開ければ緊張感に満ちた優等生たちが整然と座り、シャーペンやマーカーを走らせる音で、しのぎを削り合っているのだから。


 そんな修羅の国と比べると、僕の配属されたクラスはまるでサザンクロス、ある意味、天国と言っても差し支えない。


 少なくとも、今の僕にとっては(来年は三組にいるはず)。

 いちおう朝顔の他にも話し相手はいるものの、あの都市伝説偏愛白髪ギャルは、一組という、陽キャ率が異常に高いクラスの中心人物だったりするわけで……


 こっちもこっちで、なんともまあ近づきがたい。

 ――結論、僕は四月早々にして、すでにボッチだった。


「どうしたんだ、木天寥またたび。暗い顔をして」

「いえ、別に。先生こそ、どうされたんですか」


 気を取り直して、担任の安東先生にオウム返しをする。

 妻子持ちなのにどこか頼りなさそうな塩顔の教師と、抑うつ的で猫背な生徒が肩を並べて廊下を歩く構図は、なんとなく居心地の悪さを際立たせている気もする。


 朝早く中庭で読書に耽っていたところ、ついさっき声をかけられたのだ。


「聞くが、木天寥。お前パソコンには詳しいか?」

「簡単なマクロくらいなら、組めますが」

「十分だ。機械音痴の俺に言わせれば、猫の手も借りたいくらいでね」

「はぁ。猫の手を」

「情報科の柿谷先生が本日はお休みでな……」


 つくづく俺はついてない、と安東先生はぼやく。


 ・昨夜は、娘さんのプリンを食べて一晩中口をきいてもらえなかった。

 ・今朝は、新車で犬のフンを踏んでしまフン。


 打ち出の小槌のように溢れる『不運な話』の大半が、あんたの不注意だろ、と突っ込みたくなるもので、同情する気にもなれない。


「……はは、しまいには、データも、控えていたパスワードも全部ぱーだ」

「ぱー?」

「ノートパソコンにカピルスをこぼしてしまったんだ。……ぐぅぅ、胃腸が痛い」


 黙祷。もはや修理云々の話ではない。弔いの段階だ。

 乳酸菌飲料で胃腸に追い打ちをかけていたら、流石に世話ないや。


「絶望的では?」

「最後まで希望を捨てちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だぞ」


 まあ、先生はそうでしょうが。僕が「安東先生……修理がしたいです」と訴えかける未来は、たぶん訪れない。

 そうこうしているうちに、ずらかるタイミングを完全に逃し、気づけば職員室に到着していた。


「これなんだが」

「とりあえず、電源ボタンを押してみましょうか」

「何度か試してはみたんだが……この通り、うんともすんともいわないんだ」


 完全にショートしてるな。


「どういう風にこぼしたんです?」

「こう、カタンとコップを倒してしまってな。カピルスが全部キーボードに」

「このタイプのPCはキーボードの下に基盤があるので、すぐに逆さにするべきだったかと」

「なるほどなあ」


 修理に出すしかないか、と安東先生は苦笑する。

 真っ黒なディスプレイを優しい手つきで撫でながら。


 こぼした液体がお水なら、まだその余地もあったのだろう。けれども、今回に限っては、正直、修理も厳しいと思――アオ。青だ。青の残滓だ。


(……「付喪神」を視たのは土門兄さんの囲碁盤以来だな)


 安東先生の言動は逐一ネガティブで、不運を招くものも多い。「言霊」とはそういうものだ。けれど愚痴の多さに反してこの人は温厚で、決して人や物を故意に傷つけたりはしない性格なのだろう。


 でなければ、物が大切に扱われてきた痕跡など残るはずがない。


「もう一度、つけてみては?」

「ふぅむ……木天寥もいまさっき、見たろ? ほら、電源ボタンを押しても――え、あっ、ど、どうなってるんだ、これは」


「考えてる暇はありませんよ」僕は言う。「大切なデータがあるなら、まとめてどこかのクラウドに移し、パスワードはメモ帳にでも控えたほうがいいかと」


「そ、そうだな」


 安東先生は動揺しつつも回転椅子に腰を下ろし、マウスに手を添える。


「直ったわけでは、ないんだよな……?」

「それは」


 霊が電気を帯びているアオがバチバチと弾けている

 ただそれだけのことを口で説明できないのが、なんとも歯がゆい。


「……いやいい、機械音痴の俺にでも分かる。なぁタロウ、お前……最後に力を振り絞ってくれたんだよな? カピルスこぼしちまって、ごめんなぁ」


 いや、まいったな。電子機器に名前をつける人間なんて初めて見た。

 吹き出しそうになるのに、どういうわけかもらい泣きしそうにもなる。


 長居は無用だ。


(……苦手なんだよな、ドラマチックな展開って)


「では、僕はこれで」

「木天寥」

「まだなにか?」

「さんざん愚痴をこぼしてしまい、すまなかった」


 安東先生は笑う。


「どうやら、今日の俺は最高についてたらしい。ありがとな」


 先生がついていたのか、はたまた、ノートPCにタロウが憑いていたのか。

 あるいは、ことでのか。

 つかれ、つかれ――考えるのも、もう疲れた。


「お役に立てたようでなによりです」


 軽く会釈をして、僕は職員室を後にした。



 教室に戻ると、ヨアちゃまが我が物顔で僕の席を陣取っていた。


「マーくん、んちゃ!」

「よお。どこの幼女ロボだよ」

「ぬ? ペンギン村しかなくね?」

「……。それで、なにしにうちのクラスへ?」

「マーくんに会いに。きゃるん☆」

「へぇ」

「テンション鬼ひけー。とりまこれ共有しとこーと思って」


 ヨアちゃまは、スマホポーチの中をゴソゴソと漁る。

 取り出されたデコ帳(デコレーションが過ぎるメモ帳)を一目見て、僕は教室の天井を仰いだ。

 ――アオ。



 〆 都市伝説レポート⑤ 付喪神

 道具への愛情が深いと良い神になり、粗末に扱われると悪い霊になる。巷ではそのような認識らしいけれど、実際のところ僕は良いほうの付喪神しか視たことがない。


 ちなみに、ヨアちゃまのデコ帳の一ページ目には、ラメ入りペンでこう記されていた。


【春夏冬よあきのベスト七不思議☆】


 項目の六つは空白で、埋まっているのはウィジャ盤だけ――付喪神の正体は言うまでもない。《おまえだろ?》という目をデコ帳に向けると、


 意表をつかれたように、さっと青色がひいた。この照れ屋さんめ。


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