「ツチノコ編」

第5話 東京のオアシス

 奥多摩行きの電車は、日曜日のほのぼのとした午前中だというのに妙に揺れた。

 スマホの画面には、朝早くにヨアちゃまから届いた短いLINEが残っている。


〈ツチノコみっけた☆ここ来て〉

(※現在地情報)


「やれやれ。ヤマカガシの奇形とかじゃないかな」

 と、ぼやきつつも、二時間ほどかけて本当に来てしまった……。


 降り立った駅から少しバスに揺られると、車窓の向こうに、ただ青い空の青さを知るような景色が広がっていた――深緑のベールに包まれた尾根が連なり、山の麓を清らかな水面が囲む。奥多摩の山々。そして、人工ながら、その美しさが人工であることを忘れさせてくれる奥多摩の湖。


 きれいだ。


『東京のオアシス』という比喩は決して大袈裟なものではなく、森や川や岩が織りなす大自然の襞に、白菜頭の精霊が鎮座していたとしても僕は驚かない。


 驚きはしないけれど、あそこのヤマザクラの一帯。視えるというのも考えものだ。


 イヤホンをパーカーのポケットにしまい、走り去っていくバスの反対側へと踵を返す。

 さて、歩きますか――。


「ヤッホー!」

「こんなに登る……なんて、聞いてない。はぁはぁ」


 荒れた岨道をぜいぜい言いながら山の中腹まで登りきると、涼しい顔で待つヨアちゃまの姿があった。その背後には、鬱蒼と茂った木々に溶け込むように、ポツンと茅葺き屋根の古民家が建っている。


「わざわざ遠いところお越しいただき、あざマテリア」


 器の小さい僕は、不満を顔ににじませる。


きゅうすぎるんだよ、たく。……で、ここは?」

「ばっちゃん

「そんな身内のテリトリーに、しれっと僕を呼ぶな」

「よっ、召喚獣」

「雑か。伏線はもっと丁寧に回収していけ」


 ヨアちゃまとは色々あった気がする。


 けれど実際のところ、知り合ってまだ半月そこらしか経っていない。あのオフ会はたまたま条件が嚙み合って実現したものだし、高校で再開したのも思いがけない偶然だった。にも拘らず、こんな遠方までのこのこやって来るあたり、僕は僕が考えている以上に、人恋しい人間なのだろう。


「つかさ、ばっちゃんに送迎断られたん、マジ史上初なんよね」

「送迎?」

「山道キツかったっしょ?」

「ああ」

「あたしってほら、そのへんマジで気が利くじゃん?」

「そうかな」

「そーなんす。だし、孫パワー解放して、ばっちゃんと一緒に軽トラでマーくんを迎えに行こうとしてたわけ」

「へぇ。それで? 僕のサラの靴はご覧の通りだが?」


 ロゴからなにまで真っ白だったスニーカーが、今はヒョウ柄になっている。

 湿気の強いこの辺りでは、ぬかるみや腐葉土を避けては通れなかった。


「兄さんが受験の合格祝いに買ってくれた大切な靴だったのに」

「それがさ~、きいてよ、マーくん」

「おっと、その抑揚イントネーションには覚えがある。まさか愚痴じゃないよな?」

「あっ! そやってすぐ、れぇに頼るん卑怯じゃね?」

「霊感はそこまで万能じゃない。あれだ」


 ……妹と姉の愚痴で耳にタコができたからだよ、と僕はぼやく。


「父さんが寡黙で、兄さんが柔和な理由もよく分かる。僕も、家族以外のレディの愚痴を聞くのは、恋人ができた時って、遠い日の星空に誓ったのさ」

「なかーま。あたしもこないだ理想の彼ピおーくれって夜明けの空に祈ったんよね」


 なななっオレンジ色の球体を七つ集めたとでもいうのか。


「てことでとりま三分だけカレカノってことでおけ? あざっしたー」

「態度がなっちゃない。どこのコンビニの店員だ」

春夏冬あきない支店のヨアっすー。当店限定のカップマークンはいかがっすかー?」

「僕は即席お手軽のインスタント彼氏ってか……」

「マーくんが彼ピとか、ギガとんでヨタウケ☆」


 とばしすぎだ。

 メガだのペタだのの話じゃない。月とすっぽんの距離の話だ。


「それで? 愚痴ってのは?」

「ん~、愚痴ってゆーか、孫パワーが通じなくてワケワカメっつーか、いちからじゅうまで説明すっと、けっこー長めなんだけど」


 ヨアちゃまは右手の親人中3本の指で、デニムの肩紐を弄びはじめる。

 英字やカートゥーン絵のロゴプリントが所狭しと貼り付けられたオーバーオールはポップな装いだが、ゆるっと胸元がひらいたインナーウェアと相まって、不思議と色っぽさが同居している。谷間、ネイル、谷間、顔。せわしなく視線を上下させているうちに、会話はいつの間にか佳境に入っていた。


「――デデデ、ばっちゃんに《トモダチの特徴は?》的なことを聞かれたから、あたしはこう答えたわけ。《木天寥またたびって変な名前の子》って! そしたら、なんか急に不機嫌になってさー、軽トラから降りちゃったんよね。イミフすぎー」


 ああ。うん。と、僕は空返事をする。


 今のがオチなら話の九割は聞く必要がなかったのだろう。「これだから女は」と結論付けたのは、小一時間も耳を傾け助言までした末に、姉と妹の機嫌を損ねたことがあるからだ。


「反応うっす。淡麗うたってる醤油ラーメンかよー」

「あれはあれが売りなんだよ」

「両家顔あわせ、どしよ。マジ難易度ソウルライクじゃね?」

「どのみち三十秒だ。童話はここまでだな」

「え~、クロックスなう。ガラ靴の代わりにそのばっちい靴置いてけし、このこの」

「や、め、ろ。こそばゆ、い――っ」


 わき腹を突いてくるヨアちゃまの肘を押し返していた――その瞬間ときだった。「いつまで家の前で乳繰り合ってんだゴレいっっっ!」と、古民家の中から怒鳴り声が飛んできたのは。


 かき氷をかきこんで頭がキーンとなるような、どこか懐かしい響き。


 引き戸が悲鳴をあげるようにガンッと鳴り、力任せに開け放たれたその暗がりから、ぬっと、白髪の老婆、いや、鶴の着物を纏った美魔女――否、タバコを三本手にした山姥おにが姿を現した。


「あ~ん……? なんだい、お前さんは?」

「マーくん、挨拶、挨拶。ばっちゃん怒らせっと、シュビドゥバ怖いから」


 もう怒ってらっしゃると思う、すでに。






 おそらくは、


「お久しぶりです、師匠」

「よお、小金じゃないかい」

「お元気そうでなによりです。まさか師匠がヨアちゃまのおばあさまだったなんて」


 ――と、そんなコミカルな「会話」『対話』【談話】をできるわけもなく……

 師匠との再開は、お互いに、無言で、無口で、無愛想なものだった。


 見つめあうこと、およそ十秒。


「はじめまして……」と口火を切ったのは、僕だった。


「どこかで会った気もするね。二度目まして」

「およ? ばっちゃん、マーくんと知り合いなん?」

「気がするだけだよ。あがりな、糞ガキ」

「……はい、お邪魔します」


 これが現実。

 これが僕と師匠の間柄。


{世間は狭いね。孫に余計なことだけは言うんじゃないよ}

{……うい}


 言ってしまえば、目配せだけで意思疎通ができる関係だ。


「知ってるかい? ツチノコは茹でより焼きのほうが美味いんだよ」

UMAユーマ焼いちゃう、ばっちゃんマジぱねー」


 なるほど。

 この祖母あって、この孫か――。


「こが――、お前さんも食うだろ、ツチノコ」

「ご、ご馳走になります」


 靴を脱ぎ、年季の入った床を踏み鳴らしながら、僕は猫みたく体を丸めて二人の後を歩いた。

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