第3話 二重に歩く者の案内人
朝顔と薬局に寄ったあと、神田駿河台の古書堂で、ひとり時間を潰していると、
「おっ、いたいた。マーくん発見!」
背後から聞き慣れた声がした。
まさか、と思って振り向く。
そこには、承認欲求というゴールのない迷路で血迷った、としか思えない――そのようなメイド服を着た、派手髪のギャルが立っていた。
フルーツネットからはみ出た白桃の果頂部のような胸元を晒し、律儀に猫耳カチューシャと尻尾までつけている。
どうして、こんな格好で古書堂に現れたのか。寝間着でコンビニやスーパーに行くのとは訳が違う。いくら地元とはいえ、これは完全に浮きすぎだ。
反射的に――こぼれおちるぞ、とありのままの感想を
セクハラ回避のためではない――もっと根の深い理由。
もっと嫌な理由。
「………………っ」
――
やきもきしてくる。悪寒で熱が出るんじゃないかと。
そもそも、ヨアちゃまから位置情報が届いたのはほんのさっきで、約束の時刻まではまだ余裕がある。だからこそ、目の前の存在が誰なのかを、脳が処理しあぐねている。
違和感というより、異様さ。言葉にすると嘘になるような、むかつく整合性のなさが、セロハンテープ跡のように目の奥に薄く張り付いて離れない。
網膜に焼き付けて、考えて、考え抜いた末に、思考を放棄した。
なにせ、どうせ……
(僕の目は嘘をつけない仕様だ)
覚悟を固めるように息を吸った、その
「どしたんマーくん? 顔面ブルーにして」
駱駝のこぶよりも神秘的な脂肪がブルドーザーみたく迫ってきて、思わず目のやり場に困る距離になった。
「ああ、いや、えと、最近あんまり眠れてなくてさ」
「ちゃんと寝なー。寝ない子は育たんよ」
「っ……あと二センチで、平均身長に届く。とりあえず店を出ようか」
顎で入口を示す。
メイド姿のヨアちゃまは、ルンルンと軽い足取りで後ろからついてきた。
レジのおばちゃんは素知らぬ顔で作業を続け、大学生らしきお兄さんも一度だけ二度見したのみで、すぐ本棚へ視線を戻した。
――見えてはいる。だが、見えているものを正しく理解していない。
――実体はある。ただし、周囲の認識がどこか曖昧に処理されている。
おそらくは、そういう『類い』の存在なのだろう。
外に出て、僕は開口一番尋ねた。
「おまえ。ヨアちゃまなのか?」
「よあきちゃんメイドver.かもよ。イベ限定のSSR的な?★」
「レアだなー。それで、どうしてそんな格好でここに?」
「なんでって、今日、渋ハロじゃん。秋の醍醐味くらいリサーチしとけし」
(出たな、雑な『設定』――)
設定。と、表現するのは少々アバウトすぎるかもしれない。
けれど、怨霊だか生霊だか判別不能な連中の作り話は、だいたい適当で、矛盾してたり、前後が破綻していたりする。かえって真実味のないところが、むしろ厄介なのだ。
「秋じゃない。まだ春だ」
「そだっけ? とりま、渋谷帰りなう。んで、自分ん
「どうやって帰ってるんだよ、いつも」
「テキトーにこのへん歩いてかなー。そしたらマーくん発見できたし、アタシってやっぱもってるわ。悪運つよし。にひひ」
(ほら、やっぱり)
「ところでさ、マーくん。アタシん家、どっち?」
――すっと、無垢な目で問いかけられた。
この世でもっとも怖いのは、得体の知れない純粋さだと思う。
悪意のない悪意、目的のない目的。
――『帰りたい』という、本能だけが先に歩き回っている。
ふむ。無名のホストと意味もなく肩を組みながら、朝顔が買ってくれた胃薬をいっき飲みしたい気分だ。
「住所は?」
「マーくんなら、わかるっしょ?」
「僕?」
「うん。知ってるなら、おせーて」
教えてときたか。誘導されたがるとは、押しつけがましい面妖め。
僕を「案内人」に指名するのは、そのほうがヨアちゃまメイドver.にとって都合がいいからだろう。セカパか僕は。
つまり、目的地は――自分の家なんかではなく、その先にあるもの。
(……なるほど。本能的に、本人に会いたがってる、のか)
やれやれ。
「さあ。ちょっと分からないかな」
「えー。グーグルマーくんか、マーナビくらい搭載しとけしー」
「ナビはいらない。迷った時に立ち止まらない足さえあれば」
「おお~」
軽口の応酬で薄まっているが、状況は重い。
こいつの正体は、おそらく、いや、九分九厘――ドッペルゲンガーだ。
ドイツ語で「二重に歩く者」を意味する。
あれは、中二の冬。僕に愛とは何かを教えてくれた詐欺師の中の詐欺師(諸説ある)が、今後、僕が遭遇する可能性のある怪談や、都市伝説をよく語り聞かせてくれた。そのひとつに、自己像幻視とはまた別の、自分そっくりの死神が登場する噺があった。
「会いたいと本気で願えば、向こうから会いにくるのさ」と、あの人は笑っていた気がする。あるいは、「惹かれ合うこともまた愛なのかもねえ」と、冗談めかして肩をすくめていたかもしれない。
(分かるか)
唯一、クリアに覚えているのは、その人の『決まり文句』だ。
『小金。愛ってのは相手を甘やかすことじゃない。嘘でもいいから、正しいかたちに戻してやることだよ』
(正しいかたち、正しいかたち)
自然で、ハッキリしていて、考えるまでもなく享受できる、当たり前。
つまり――
(こいつは、存在理由を失う……のか)
残酷だ。どっちのヨアちゃまを選ぶかなんて――迷いようがないからこそ。
それでも、
(『死神』の類いをどうにかできるほど、僕は万能じゃないけれど)
当てはある。
目には目を、歯には歯を、面妖には面妖を。
その上で、ヨアちゃまメイドver.。
僕はおまえを否定しない。否定はしないけれど、肯定もしない。
「多分、こっちだ。見つけよう。必ず」
「でも、そっちかもよ。やっぱ、あっち行こうぜ!」
どっちだよ。
「ふぅ。にっちもさっちもいかないな」
「んみ? ぼっちはえっちできない?」
「違う! いや、概ね当たってるけど、僕はそんなこと一言も言ってない!」
「うしし。マーくんはさ、若いうちに一回くらいやっとくべきっていうアレ、どう思う?」
「おお。迷える子羊よ、いつより誰とを大事にしなさい」
「それLOVEだわ」
しょうもない掛け合いをしながら、
千代田区と文京区を結ぶ、境界線。風が少し強くなり、川面に
「電話だ」
「だれから?」
「知り合い。すこし、ここで待っててくれ」
「恋人?」
「いや、友人だ……」
電話がかかってきたフリをして、僕はヨアちゃまメイドver.から距離を取った。
ケータイを取り出して、LINEを起動。トーク画面の右上にある受話器のアイコンを、
《しもしも~》
「ビデオ通話がしたい」
《ふぁ?! ど、どした急に? 待ちきれんくて顔見たくなったとかぁ?》
顔を? やれやれ、ヨアちゃま本人が面妖な周波数を放ってたら、世話ないや。
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