第四話


「はぁ、はぁ……!」


 荒い呼吸音が辺りに響く。普段ならば、誰かが寄り添ってくれただろう。それこそ、リリーは一番に駆けつけてくれたはずだ。しかし、今は、寄り添ってくれる温もりも、声もない。

 お腹が空いた。喉も乾いた。悲しい。寂しい。家に帰りたい。堪えようとしていた思いにしゃくりあげながら、アングレカムはついに肩を震わせて泣き出した。


「あ、うあ、ああ、えぐ……!」


 幼いアングレカムは、それでも前に進もうとして、手で乱雑に目を拭う。ただ、そんな努力も虚しく、涙は手の隙間をすり抜けて、零れ落ちていく。鼻水さえ出てきて鼻が詰まり、嗚咽はもう止められなかった。大声で、アングレカムは泣く。


「なんでぇ、えぐ、なんでぇ! リ、っリー、アンのことぉ、おいて、っいくのぉ! あいた、い゛っ、あいたいよぉ!」


 今まで感じていた恐怖と不安を吐き出すように、涙は流れていき、アングレカムの大切な紫のマフラーを色濃く濡らした。

 今まで自分が暮らしていた世界がどれだけ窮屈で、それでいて安全な揺り籠だったかを、その小さな体に実感させられる。


 やがて、アングレカムは、その場に膝を抱えて蹲ってしまった。散々歩いて痛みを訴える膝と、マフラーに顔を埋め、動かなくなってしまう。


 一体どれぐらいが経過しただろう。ふと、アングレカムの耳元に、知らない男の人の声が入ってくる。アングレカムは思わず立ち上がって距離を取った。


「な、なに……!?」


 そこには、そこそこの背丈をした、恐らくは男性が立っていた。

 恐らくといったのは、赤い布によって顔の下半分を覆っているからである。


 また、男性はゴツゴツとした黒いアーマーのような物を着ており、腰には弾丸の並んだチェーンを巻いていたりと、見るからに野盗といった身なりをしていた。


 そんな男性を警戒して、アングレカムは思わず後退りする。


 そして、手斧の側に着けば、着ていたセーターを迷いなく脱ぎ、それで化け物の体液まみれの手斧を拭えば、セーターを捨てた。そして、柄を握り、男性を睨む。


 アングレカムは、シェルターの先生達が「外で生きている人間を見かけたら、それは野盗と言って、人の物を奪う悪い奴らなんだ」と言っていた事を覚えていたのだ。


 一連の流れに男性は呆然としていたが、やがて理解したのか、慌てて両手を挙げた。


「待て待て! 俺は味方だ!」


 その言葉を聞いて、アングレカムは半信半疑といった状態ではあったが、ひとまず睨むのをやめる。しかし、手斧を手放す事はない。


「なぁ信じてくれよ! というかガキ、何でこんなとこにいるんだよ? ……つか、よく生きてたな」


 男性は、近くに転がっている化け物の死骸を認めれば、そう呟く。

 化け物の死骸は、プシュプシュと言いながら謎の白い煙のような物を発し、紫色の体液を傷口から垂れ流していた。


 もはやピクピクとすら動かなくなっている。到底生きてはおらず、後は腐り落ちていくだけだろう。


 男性はアングレカムへ向かって質問する。


「……なぁ、ガキ。あのバケモン、お前が倒したのか? 一人で?」


 コクリ、と頷けば、男性は驚きに目を見開いた。キョロキョロと辺りを見渡すが、付き添いの大人ですらいない事を理解すれば、やがてため息をつく。

 それは、感嘆のため息のようでもあり、どこかこの世界への呆れから来るため息のようにも取れた。


「いや、スゲェなお前。何歳だ?」

「……八」

「は、八ぃ!?」


 男性は改めて素っ頓狂なオウム返しをする。それだけ信じられなかったのだろう。

 しかし、アングレカムの姿を見て、嘘を言っているようには思えなかったらしい。やがて頭をボリボリと掻きながらこう聞く。


「……お前、早く家に帰れよ。マジで死ぬぞ」

「やだ」

「何でだ」

「アンね、リリーを探してるの。リリーに会うまで、帰れない」


 男性はその返答を聞けば「さっきまで泣いてたクセによ……」と、独り言のように呟き、やがて指を差して説教をし出した。


「あのなぁ、ここはお前みたいなガキンチョがお散歩して良いところじゃねぇ。つかお前、どうせ飯も水も持ってねぇだろ? そのままじゃ、リリーとやらに会う前に死ぬぞ」


 アングレカムはそれを聞いて、少し腹が立ったらしい。頬を膨らませ、ぷいっと顔を背ければこう言った。


「……別に、おじさんには関係ない」

「っこのガキぃ!! まだ二十八だわ!!」


 気にしているのか、男は過剰に反応したものの、再びため息を吐く。

 その間に、アングレカムはセーターを拾えば、化け物に投げつけたチョコの小袋のところまで行き、拭う。


 やがて、今度こそ用済みだとでも言わんばかりにセーターを遠くへ投げ捨てれば、チョコの小袋を男に見せつけるように掲げた。


「見て、ご飯あるもん」

「飯って言わねぇよ、チョコは」


 再び頬を膨らませて睨んでくるアングレカムに対し、男は何かを長考するように額に手を当てる。

 仲間の中で一番腕っぷしの強い男は、仲間の食料を調達する途中であった。


 そんな時、たまたま泣いていた一人の子供を見つけてしまう。そして見捨てられずに話しかけた事で、完全に情が湧いてしまったのだ。


 水筒すら持っておらず、小さなチョコの小袋だけでどうにかなると思っている、その無知な子供ながらの無計画さが、男の父性を煽った。


 やがて、男は手を差し伸べてくる。


「おいガキ、飯食わせてやる。来い」

「なんで? やだ」

「……はぁ〜〜、可愛くねぇ」


 男はそう悪態をつきながらも、アングレカムから無理やり手斧を奪うと、手首を掴んできた。かと思えば屈み、やがて背負ってしまう。案の定、アングレカムは嫌がっているのか、ポコポコと背中を叩かれれば「痛い痛い」と顔を顰める。


 が、言い放った。


「もういいからさっさと来い! そのままだと死ぬっての」

「おーろーしーてー!」


 極限状態の中、自分以外の大人に出会えて、本人は無自覚ながら、アングレカムは年相応の甘えを見せていた。

 施設の大人達にさえ、近頃はこんな甘え方をしていなかったので、よほど安心したのだろう。


 しばらく歩いていれば、やがて男が思い立ったように聞いてくる。


「ところでガキ、名前は? 俺はミモザ」


 背中を叩くのやめた代わりに、反抗するかのごとく沈黙が続く。

 やがて男ことミモザが「飯抜きにしてやろうか」と脅せば、空腹感に耐えかねて、答えた。


「……アングレカム。アンって呼ばれてる」


 ミモザは噛み締めるようにその名前を復唱すれば、やがて相槌を打つ。


「確かそういう花があったな。それが由来か?」

「……知らない」

「ふーん」


 そんなまるで本当の親子のような距離感の会話をしていけば、やがて白い太陽が沈んでいき、世界が青くなっていくのが見えた。

 これが、この赤い空における夕暮れなのだろう。


 どこまでも理想と違う世界に、アングレカムは失望を覚えながらも、今までの疲労のせいか、眠気に襲われる。

 男の背中の、度々揺らされる心地よさもあってか、やがて瞼を閉じてしまった。

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さようならアングレカム 死亡者リスト @anatahashigai

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