第二話
リリーと同じ、まだ齢8歳の子供のアングレカムは、堪えきれない涙を流しながら、食堂から出ていく。
大人達の間を掻い潜りながら、アングレカムは走っていった。小さな体にはあまりにも長過ぎる廊下を、一気に駆け抜けていく。
時間が経つにつれ、血の味が喉奥から登っていく。朝食も食べないでいたものだから、血の気すらすぐに引いて行っていたが、それでも走り続けた。
無論、シェルターの出入り口を目指して。
途中、異様な様子に気付いた一部の大人が、声を掛けたり、捕まえようとしたりしたが、結局止める事は誰にも出来なかった。
ふと、アングレカムは「管理人室」というプレートのぶら下がった扉の前に立ち止まる。いきなり立ち止まった事により、貧血のようなめまいを起こしたが、耐えきれない程ではなかった。
改めて、アングレカムは管理人室を注視する。大体は他の部屋との違いはない。金属が剝き出しにされていて、冷気を放っている。相違点といえば、認証台があり、他の大人達の持つような、カードキーのような物が必要な点であろう。
普段から大人達を観察していたアングレカムは、管理人が、シェルターに関わる全ての権限を持っている事を知っている。
その権限には、出入り口を開錠する権限が含まれる事も、予想していた。
要するに、この管理人室で、シェルターの出入り口を開錠しなければ、リリーを探しに行けないのである。
しかし、アングレカムはカードキーを持ってはいなかった。
どうしたものかと考え込んでいれば、突然、管理人室から女性が出てくる。
女性の顔には、深い皺が苦労と共に刻み込まれており、歳は恐らく50は超えているだろうと推測が出来た。
そう、この女性こそが、このシェルターの管理人である。そして、元々は道端に捨てられていたアングレカムを、シェルターに招き入れた張本人でもあった。
管理人は驚いたように目を見開かせると、尋常ではない様子のアングレカムに質問する。
「あら、アンちゃん……どうしたのかしら?」
「リリー、リリーが外に行ったから、探しに行きたいの。早くドアを開けて」
息切れによる酸欠で顔を青くしつつ、早口でそうまくし立てるアングレカム。その顔には誰が見ても焦燥感が浮かんでいた。
管理人は話を聞けば、「そう……」と、目を伏せる。アングレカムは、「どうせ叱られるのだろう」と予想し、ガックリと肩を落としていた。
しかし、しばらく間が空いた後、管理人は微笑んで答える。
「ええ、良いわよ」
「……え?」
アングレカムは顔を上げ、驚いたように目を見開く。
「良いの?」などとアングレカムが聞く前に、管理人は可愛らしい包装の小袋をアングレカムの手に握らせて来た。
自分の想定の遥か外の展開に固まるアングレカムの頭を、管理人は優しく撫でてくる。
「その袋には、アンちゃんの大好きなチョコレートが沢山入っているわ。持っていって、リリーちゃんと食べなさい」
「シェルターの扉は開けてあげるわ。ほら、行っておいで」
アングレカムは、涙を浮かべた。閉鎖的なシェルターでは、幼子のやることは逐一見張られ、今のように危険な行動を取れば、否定されるのが当然であったからだ。
涙をゴシゴシと少し荒く拭えば、感極まったような様子でコクリと頷く。そして、震えながらも、満面の笑みで感謝した。
「ありがとう、管理人さん……! アン、絶対、リリー、見つけてくるね!」
そして、アングレカムは、管理人に背を向けて、走り出す。
小さくなっていくアングレカムの背中を見ていた管理人の元に、ふと、男二人が辿り着いた。片方は眼鏡を、片方は猟銃を構えているアングレカムの先生二人である。
眼鏡の先生の方が、息を整えながら聞く。
「っはぁ、はぁ……管理人、アンちゃん、見ませんでしたか? 僕の担当の子で、赤い帽子で、紫色のマフラーを巻いた子」
管理人はいつも通りの笑顔で答えた。
「ええ、見たわよ」
「本当ですか!? 一体どこへ……」
そう猟銃の先生が喋ろうとしたのを遮り、管理人が続ける。
「出入り口よ、私が開けてあげたわ……今頃、もう外に出ているでしょうね」
その言葉を聞いた瞬間、先生二人が「は?」と間抜けな声を漏らす。
信じられない様子の二人に、管理人が再び同じ説明を繰り返せば、先に怒鳴ったのは猟銃の先生の方だった。
「どういう事ですか!? 何故あんな小さな子供を一人で!?」
続いた眼鏡の先生は、怒鳴りはしなかったものの、いつもより低い声色で管理人を睨みつけた。目つきには、汚物を見るような軽蔑さえ混ざっている事だろう。
「……説明を要しますね」
男二人に何を言われようと、管理人は澄んだ表情で言い放った。
「ちょうど、シェルターの子供を間引きしようかと思っていたの。どの子も思い入れがあるから、悩んでいたのだけれど、これであと二人選ぶ必要は無くなったわ」
理由を聞かれる前に、管理人は淡々と答えていく。やけに対応に慣れていないか、と先生二人は思った事だろう。
その眼には、軽蔑と、それ以上に化け物を見るような恐怖が籠っていた。普段の管理人は、とても穏やかで、子供好きな、まさに淑女といった人物であったからだ。
「食料がそろそろ足りないのよ。分かるでしょう?」
「それなら俺の食料を渡せば良いじゃないですか!」
そう猟銃の先生が叫べば、眼鏡の先生も同じような主張をする。しかし、管理人は主張を一蹴した。
「浅知恵ねぇ。貴方達みたいな働き盛りの食い扶持を減らす訳ないじゃない。それに、働かない子供を殺処分した方が、もっと食料が増えるわ」
先生二人は呆然とする。目の前の悪魔と、普段の穏やかな管理人が同一人物だとは、到底思えなかったからだ。
「それに……」
そんな二人へ向かって、管理人は至って常識だと言わんばかりに語った。表情には満足げな笑みが浮かべている。普段と同じような穏やかさが、とても不気味に感じられるだろう。
「それに……」
「あの不味いチョコレートも有効活用できたし、一石三鳥ぐらいよ」
先生二人は、「探しに行こうなんて、馬鹿な事はやめて頂戴ね」と言い残して立ち去っていく管理人の背中を、ただ茫然と眺めることしかできなかった。
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