第3話 どこに行ってもお金


ケイが街道を進むと、やがて巨大な石造りの壁と、重厚な木製の門が見えてきた。

(あれが、街……)


ようやく文明の恩恵に預かれる。だが、関門は目前にある。門番の存在だ。身分証も何もない俺がどうやって入ればいいのか。


「……遠い村から、一山越えて来たとでも言えばいいか。」


俺は心臓の鼓動を抑え、列に並んだ。自分の番が回ってくる。門番は、ひどく眠そう

な目で俺を上から下まで眺めた。


「次。身分証はあるか?」


「いえ、田舎から出てきたばかりで持っていません。商売の真似事でもできればと思いまして。」


俺はもっともらしい言い訳を口にする。内心では「捕まるか、賄賂を要求されるか」とヒヤヒヤしていた。だが、門番は一つ大きなあくびをすると、投げやりな手つきで通行を許可した。


「……ああ、いい。最近は物騒だからな。怪しい真似すんなよ。」


 拍子抜けするほど「ざる」な審査だった。俺の見た目が弱そうだったからか、それとも門番の仕事が適当だったからか。あるいは、あの適当神が何かしたのか。


(運が良かった、と思うことにしよう。ありがとう、神様)


 門をくぐると、そこには活気あふれる異世界の日常が広がっていた。石畳の道を、獣人が荷車を引いて通り過ぎ、露店からは焼きたてのパンや肉の香ばしい匂いが漂ってくる。


 だが、今の俺には一文の金もない。

「まずはギルドだ。あんな冒険者がいたんだから、間違いなくこの街にもあるはずだ。」


 ギルド――ファンタジーの定番。そこに行けば仕事があり、金が手に入り、寝床も確保できるはずだ。そんな淡い期待を抱き、俺は人波をかき分けて進んだ。



辿り着いたギルドの建物は、酒場を併設した荒々しい雰囲気の場所だった。

中に入ると、まず突き当たったのは「人の多さ」への不快感だった。前世から人混みは苦手だ。だが、今はそれどころではない問題に直面した。


「……文字が、一文字も読めない」


壁に貼られた大量の依頼書らしき紙。そこには、ミミズがのたくったような、あるいは幾何学模様を崩したような奇妙な記号が並んでいた。


考えてみれば当然だ。ここは異世界であり、地球ではない。日本語や英語が通じるのは会話だけで、文字まで神が自動翻訳してくれるほど親切ではなかったらしい。


「義務教育がない世界、か。文字が読めるだけで特権階級なんだろうな……」


 溜息をついても始まらない。俺は意を決して、受付のカウンターへと向かった。そこには、事務的な微笑みを浮かべた女性が立っていた。


「いらっしゃいませ。依頼の受注ですか? それとも登録の申し込みでしょうか?」


「いや、まだ登録をしていないんだ。それをお願いしたい」


「承知いたしました。では、こちらの用紙に、お名前とご職業をご記入ください」

 女性――名札にはナタリーとある――が、一枚の紙を差し出してきた。

 俺は、その紙とペンを見つめ、正直に白旗を上げた。


「すまない……文字の読み書きができないんだ」


「そうですか。」

 ナタリーは、特に驚いた様子もなく頷いた。


「よくあることです。では、私が代筆いたしますね。あなたのお名前を教えてください。」


「ケイだ。」


「ケイ様ですね。では、冒険者における職業は何になりますか? 得意なことや、これまで使ってきた武器などから判断しますが」

 魔術師、と言うべきか。だが、あの草原で出した巨大な火の玉を思い出す。あまりに大げさな名前を名乗ると、期待値が上がって面倒なことになりそうだ。


「魔法が使える。……といっても、簡単なものだけだが。」


「魔法使い、あるいは魔導士見習いといったところでしょうか。承知いたしました。」


 ナタリーのペンが、さらさらと紙の上を滑る。


「では、ケイさん。登録にあたってギルドの規約を説明いたします。大切なことですので、聞き逃さないでくださいね」

 彼女は、まるで学校の先生のような口調で説明を始めた。

・ランクはFからSまで。現在、最高ランクのSは引退者を除けば実質不在であること。

・冒険者同士の私闘は禁止。ただし、立ち会い人がいる場での『決闘』は認められるが、受ける義務はないこと。

・ギルドへの虚偽報告、および依頼の破棄は、厳重な処罰対象となること。

・降格、あるいは最悪の場合は追放処分となること。


「……そして、それら以外のトラブルに関しては、すべて自己責任となります。よろしいですか?」


「ああ、問題ない」


まさにファンタジーのテンプレートだ。前世でかじったゲーム知識が、まさかこんなところで役立つとは思わなかった。だが、俺がかつてプレイしたRPGと違うのは、ここが現実で、死ねばゲームオーバーだということだ。



「説明は以上です。ご質問はありますか?」


「特にない。」


「では、こちらがあなたのギルドカードです。中央の水晶部分に、魔力を少しだけ通してください。それで登録が完了します」


 渡されたカードは、金属と石を組み合わせた不思議な質感をしていた。俺が意識して魔力を送ると、カードは一瞬淡く光り、名前らしき模様が浮かび上がった。


「これで完了です。ケイさん。最後になりますが、登録料として銀貨一枚を頂戴します。」


 ……あ?

 一瞬、思考が停止した。


「……登録料?」


「はい。施設の維持管理と事務手数料として、銀貨一枚となっております。ギルドカードは身分証としても使えますから、決して高くはないはずですが……」

 ナタリーの視線が、俺の空っぽの腰元に向けられる。

 まずい。比喩ではなく、俺の所持金は本当に「ゼロ」なのだ。


「……すまん。今、金がまったくないんだ」

 羞恥心を押し殺し、俺は正直に打ち明けた。ナタリーの目が、スッと冷ややかになったのを、俺は見逃さなかった。

(ああ、メンタルに来る……。前世でもこういう『手続きで詰む』状況が一番嫌いだったんだ)


「……宿代もない、ということですね?」


「その通りだ。だから、登録料を払うための仕事を、今すぐここで受けられないか?」

 俺の必死な言葉に、ナタリーは「困った人ね」と言いたげな溜息をついた。だが、彼女はギルド職員としての職務を全うし、分厚いバインダーをめくり始めた。


「……仕方ありませんね。通常、登録前の受注は認められませんが、今回だけ特別で

す。こちらの依頼はどうですか?」


 ナタリーが提示したのは、数枚の紙だった。

「……ごめん。文字が読めないんだ。読み上げてくれるか?」


 本日二度目の屈辱。だが、ナタリーは嫌な顔をせず、淡々と内容を読み上げた。


「スライム退治。報酬は銀貨三枚。場所は街を出て右へまっすぐ行ったところにある農場です」


「ん? 随分と条件がいいように見えるが……罠か何かか?」


 登録料の一枚を払っても、手元に二枚残る計算だ。初心者向けの依頼にしては出来過ぎている気がする。


「いえ、正当な報酬ですよ。ただ、スライムは倒すのに手間がかかる割に、この依頼は丸一日拘束されます。手慣れた冒険者なら、同じ時間でもっと効率のいい魔物を狩りに行くんです。だから、誰も受けたがらない残り物というわけです」


「なるほど。時間だけはたっぷりある。それを受けよう」


「わかりました。達成の証明として、依頼主の農場主からサインを貰ってきてください。場所はわかりますね?」


「ああ。ありがとう」


「……ケイさん。一つ聞いても?」


「なんだ?」


「あなた、妙に礼儀正しいんですね。冒険者なんて、もっと荒っぽくて不躾な人が多いものですが。」


「……これが普通だと思っていたが。」

 二十年以上、日本社会で培われた「常識」が、ここでは異質に映るらしい。


「その『当たり前』ができる人は、この街では貴重ですよ。……精々、頑張ってくださいね。」


 ナタリーの少しだけ柔らかくなった声に見送られ、俺はギルドを後にした。

 腰に武器はない。持っているのは、神から授かった、自分でもまだ制御しきれてい

ない強大な魔力だけ。


(スライムか。最弱の魔物の代名詞だが、俺の魔法なら一瞬で終わるはずだ。……たぶん)


 空腹を抱えた俺は、重い足取りを少しだけ速め、街の東にある農場へと向かった。異世界での初仕事。それが、俺の運命をどう変えていくのか、この時の俺にはまだ知る由もなかった。

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2026年1月17日 19:00 毎日 19:00

最強魔法使いと小さな連れ道 ころすけ @Korokoroo

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