スピリチュアルに傾倒するヒト

古 散太

スピリチュアルに傾倒するヒト

 「ぼくはスピリチュアリストです」と、胸を張って言えない。どちらかと言えば禅の思想によっていろいろ学び、体験してきたことが、今のぼくの思想や行動の指針をを作っていると考えているからだ。

 禅の思想を学んでいる中で、不思議な体験をしたのは事実。悟りと思しき体験や、瞑想の中で天使やアセンデッドマスターたちと会話できたことは、スピリチュアル的な体験ではないかと思っている。

 もちろんそれらはぼくの見た幻覚や錯覚、思い込みなのかもしれない。それでも、ぼくの知らない視点や気がついていなかった思考や行動のクセなど、現実的な面で、ぼくの人生にプラスに働くのであれば、それが幻覚であれ思い込みであれ、それでいいと考えている。そもそもぼくが気づいていないことを知らされる時点で、とても不思議な体験ではあるが。

 スピリチュアルにかぎらず、占いや風水などでもそうだが、こういう体験を求めるヒトたちは、人生のつまづきや挫折、トラブルの只中にある場合が多いだろう。経済的、人間関係、恋愛、希望など、「生きる」とは何かを知らないまま生きていれば、理由はヒトそれぞれだが、人生はさまざまな面倒が姿を見せる。

 そのせいで、そういったすこし不思議なものに目を向けるときというのは、最初から依存に近い状態になっている。

 どんなジャンルであれ、目に見えない世界や存在を扱うものには、リスクがある。

 スピリチュアル、占い、風水、信仰など、それ自体にも多かれ少なかれ問題がないわけではない。個人的には、ヒトが作り上げたものに関しては、どこかに不完全な部分があると考えている。

 スピリチュアルで言えば、すべての人が、誰かや何かの指示通りに行動したとしても、同じ結果が得られるとはかぎらない。人生と同じように、体験もヒトそれぞれだからだ。しかし指示通りにすれば、何かがうまくいくように説明されていたりすることが多い。

 占いでも同じような点がある。占星術でも簡易的なものは、それほどの精度は期待できない。いて座に生まれたヒトのすべてが同じ体験をするというのは考えにくい。あくまでも傾向が示されているだけで、それは可能性が高いという話だ。タロットなどになれば、占い師の直観力やそれを表現するボキャブラリーが必要になる。それが足りなければ、占い師はわかっていても、その答えを求める側には伝わらない。

 風水は過去何千年というデータを基にした良い住まいのための指針であり、西に黄色いものを置いたとして、お金持ちになるヒトはなるだろうし、ならないヒトはならない。普通のことと言える。

 信仰は根本的に、誰もきちんと神仏とコミュニケーションをとったわけではないのに信じられている、という面があり、宗教内でヒトに階級をつけている時点で、全知全能の存在が創造したものとは考えられない。

 このように、ヒトが作り上げた不思議なことは、かなり不完全なものなのだ。

 さらに、ヒトが作り上げたものはヒトによって取り扱われるが、取り扱うヒトがどういうヒトかによっても話は変わっていく。その最悪なパターンが霊感商法だ。

 

 なぜぼくが禅の思想から今に至っているかと言えば、完全な自力本願だからだ。神も仏も関係なく、自分の思考や行動を常にチェックしながら、より良い人生を生きられる自分に変化させていく方法を取ってきた結果、それなりに幸せなので、この世から宗教やスピリチュアルがなくなったとしても、ずっとほんのり幸せに生きているだろう。禅も宗教だが、信仰というより自分への教育であるような気がする。

 どんな生きかたでも物質に依存するものはいつか破綻する。目に見えないものはもちろんだが、お金という物質的なシンボルでさえも、アフリカなどで札束がただの紙くずになるというニュースは過去に何度もあった。物質は破綻するのだ。

 それが目に見えないものとなれば、さらに不安定なことは考えなくてもわかることだろう。

 何ひとつ証拠は用意できないし、証明もできない。しかし、ヒトは追い込まれると視界が狭まり、そんなことも思考に含めることができなくなってしまうものだ。

 スピリチュアルや占いなどを人生に取り込むことは、そのヒトの判断であり、誰もが好きにすればいいことである。それで本質的な人生や生きることが幸せならば、それに勝るものはないのだから。

 しかしそのときは、思考も心も余裕のある時にすべきだと、ぼくは考えている。

 ヒトは余裕があれば、物理的にも精神的にも周囲を見ることができる。視界は広く維持されていて、さまざまなアイデアやひらめきを生みだすことができる。

 言わば、冷静な判断ができるときに、目に見えないものについて知っておくことができればいい。さらに言うなら、もうすこしだけ踏み込んで、誰もが日常的にそういった体験をしているということに、気づける視点を持てれば、目に見えないもののリスクもすぐにわかるはずだ。

 結局、何よりも傾倒すべき、信じるべきは自分自身、その本質である。

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