17・きみを生んだ神さまへ感謝を
わたしには一つ、ずっと不思議に思っていることがあった。
わたしの父は組長、つまりは極道の親玉である。そんな父を前にしたら大抵の人が震え上がるのだが、
直央さんは父と一対一で話す時も、全くおびえる様子を見せない。ごく普通の落ち着いた態度なのだ。いつもの気弱で泣き虫な夫はどこにいってしまうのか?
夕食後、リビングで論文のチェックをしている直央さんにわたしは勇気を出して訊ねた。
「あの……直央さん。直央さんって、わたしの父が怖くないんですか?」
直央さんはタッチペンを持つ手を止め、目を丸くしてわたしを見た。
「怖くないよ。なんで?」
「なんでって……ヤクザの中のヤクザですよ? 怖くないわけないじゃないですか」
わたしがそう言うと、直央さんは苦笑いを浮かべる。
「正直に言うと、最初は怖かったよ。……でもね、
「春日井 春霞?」
春日井 春霞といえば超売れっ子のイケメン小説家であり、過剰なまでの愛妻家として知られている人だ。同時にその奇行ぶりも有名で、メディアでは奇人変人扱いされることも多い。とある雑誌のコラムはもはやただのノロケの場と化しているという。
直央さんは真面目な顔で頷き、春日井さんのコラムの内容を引用し始めた。
「彼はね、コラムで言っていたんだ。『妻の両親は創造神であり、崇め、尊ぶものだ』と。それはそうだよね。だってご両親がいなければ、きみは生まれてないんだから。これは論理的に見て最も正しい真実だよね」
……そうなの? わたしにはそれが正しい真実だとは思えないが、直央さんは感心したように深く頷いている。
どうやら彼の論理の世界では「組長」という肩書きよりも「妻を生み出した創造神」という役割の方が圧倒的に上位らしい。
「春日井 春霞は毎朝奥さんの実家の方角へ額づいて感謝を捧げるらしいよ」
なにそれこわい。それはなんの宗教なの??
困惑するわたしを尻目に、直央さんはまるで新しい研究テーマを見つけたかのように目を輝かせ言った。
「おれも感謝を捧げた方がいいかな? きみみたいな天使をこの世に創造してくれてありがとうって」
直央さんが家の中で土下座している姿を思わず想像してしまいぞっとする。直央さんもなかなか変わった感性を持っているが、これは流石に変──いや、ヤバ過ぎるのではないか?
「それは絶対にやめて下さい! 直央さん!」
思わず大声を出し、そのまま必死に訴えた。
「簡単に感化されないで下さい、それは春日井さんが変なんですから! 真似しないで下さいね! お願いしますよ!」
直央さんはキョトンとしている。彼は春日井さんを純粋に正しいと思っているようだ。
「そ、そんなに怒らなくても。……うーん。でも
直央さんは何やら小難しいことを言っているが、とりあえず「そうです!」と言って頷いておく。
「ならやめておこうかな」
素直に言うことを聞いてくれるのは嬉しいが、素直過ぎて不安になってしまう。
こんなにも純粋な夫を守れるのは、きっと妻である私だけだ。
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