13・きみのおでかけはおれの試練


 ある日の休日。

 今日は大切な友人である冴花さえかちゃんとカフェで会う約束をしている。お茶をした後にショッピングを楽しむ予定だ。

 ​家を出る際、直央なおかさんはいつものように不安に苛まれていた。


​「宵子よいこ、本当に5時には帰るんだろうね? 絶対に、絶対にだよ。電話は……電話は出られなくてもいいから、メッセージだけは必ず……」


 ​わたしは泣きつく彼を優しく抱きしめ、おでこにキスを落とした。


​「大丈夫ですよ、直央さん。今日は冴花ちゃんと会うだけです。午後5時には必ず戻って、あなたの好きなえびグラタンを作ります。そしてマッサージもしてさしあげますね」


 そう言うと彼は渋々といった風に頷いて、やっと納得してくれたようだ。 

 ​彼の不安を鎮めるには、具体的な約束と行動を提示するのが一番だとわたしにはもう分かっている。


 ​カフェで冴花ちゃんと穏やな時間過ごす。

 冴花ちゃんはわたしの特殊な背景を知っている数少ない友人の一人だ。彼女との時間はわたしが“ただの宵子”として過ごせる貴重な時間なのだ。

 互いに近況報告を交わし、話はやがて配偶者の話となる。


​「宵ちゃん、神代先生とは相変わらずラブラブなのね。先生、あなたに夢中すぎでしょ」


​「冴花ちゃんだって旦那さんとよくおでかけしてますよね? SNS、見ていますよ」


 こうやってノロケ合うのは本当に楽しい。直央さんの話を聞いてくれるのは冴花ちゃんだけだ。

​ 微笑みながら紅茶に口をつけたその時だった。


​ピロン、ピロン、ピロン! 


 ​鞄に入れているスマホが連続してメッセージの着信音を鳴らし始めた。


ピロン、ピロン、ピロン!

プルルルル! プルルルル!


 無視しても直ぐに次の通知音に着信音。まるで雨霰あめあられのように通知が止まらないので、テーブルの上にスマホを置く。


​「え、ちょ、宵ちゃん、な、何事? 何か事件?」


 ​冴花ちゃんがドン引きした顔でわたしのスマホを見る。

 スマホはまるで火を噴いたように震え続けている。着信履歴には直央さんからの不在着信がすでに20件を超え、メッセージ通知はわずか1分間で40件以上に膨れ上がっていた。


“今どこにいるんだい?”

“なんで電話にでないんだ?”

“きみがいないと不安だ”

“さみしいよ”

“もしきみが誰かに連れ去られたらどうしよう……”

“このままどこかへ行ってしまわないよね?”

“……本当に友達と一緒にいるの?”

“きみがいないとおれは何も出来ないよ”

“声が聞きたい”

“お願い、どこにも行かないで”

“お願い、お願いだから!”


 それらのメッセージを見て冴花ちゃんは顔を引きつらせる。


​「宵ちゃん、これ尋常じゃないよ? 神代先生、ストーカー化してない? もしかしてこれが普通とか??」


 ​わたしは驚く冴花ちゃんににこりと笑いかける。


​「ええ、普通ですよ。直央さんにとってはこのくらいが安堵のラインなんです」


 ​スマホを手に取り、直央さんへ音声メッセージを録音する。冷静に、しかしたくさんの愛情を込めて。


​「大丈夫ですよ、直央さん。わたしは今、冴花ちゃんとかわいいケーキを食べています。5時には必ず戻って、直央さんとたくさんイチャイチャしますからね。あとメッセージは5分に1通にしてください。公衆の場では少々響きすぎて困りますので」


 ​音声メッセージを送ると、着信音はぴたりと止まった。しかしメッセージはすぐに返ってきた。


“……わかった。ごめん、愛している”


 ​冴花ちゃんはわたしとスマホの画面を交互に見比べ、まるで奇妙な生き物を見ているような目でこちらを見た。


​「宵ちゃん、慣れすぎてるよ。あなた、神代先生に監視されながらも逆に先生を管理してるみたい」


 ​わたしはカップに残った紅茶を飲み干した。


​「ふふ、そうかもしれませんね。でもわたし達はこれでいいんです。……いえ、これがいいんです」


 ​わたしは窓の外を見る。この世界はわたしにとって常に不安定な場所だ。

 けれど、直央さんと築いたこのどこか歪な均衡だけはわたしを裏切らない。

 優しさでも常識でも測れない、奇妙で、脆くて、そして確かに温かい絆。

 誰かに理解されなくてもかまわない。冴花ちゃんが心配そうに眉を寄せても、わたしは揺らがない。

 この“愛”はわたし達にしか保てないかたちなのだから。

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