4・夢の中にまでやってくるきみ


 目の前に立っている宵子よいこは、今まで一度だって見たことがない怖くて、冷たい表情をしていた。


「ネガティブで頼りない直央なおかさんなんて大嫌いです。わたしはもっと男らしい人と一緒になります!」


 そう大きな声で彼女は拒絶の言葉を吐くと、誰とも知れない、いかにも“頼りがいがありそう”な男と腕を組んでおれから遠ざかって行く。

 待ってくれ──そう声を上げたいのに、喉は張り付いたように動かない。体は重く、足が床に縫い付けられたかのように微動だにしない。

 小さくなっていく宵子の後ろ姿に手を伸ばした──ところでハッと目覚めた。


「はぁ……はぁ……、」


 体中が冷や汗でぐしょぐしょだ。呼吸は荒く、心臓が激しく脈打っている。

 ふと隣を見ると、愛しの妻がすやすやと寝息を立てて穏やかに眠っていた。


「……夢、か」


 妻の寝顔に安堵しつつ、先程の悪夢を思い出す。……強烈なリアリティを伴った夢だった。強烈過ぎて夢なのか現実なのか分からない程だ。

 少し迷ったが、意を決して宵子の肩を揺らす。


「……宵子、起きてくれ。宵子」


 宵子は微睡みの中うっすらと目を開けた。無理に起こしてしまったことを怒るだろうかと身構えたが、彼女はむしろほわほわとした空気を纏っている。


「……んん、なおかさん、どうかしましたかぁ?」


 舌足らずだが、優しい声色で問われたことで涙がぼろぼろと流れ落ちる。


​「……こ、怖い夢を見たんだ……っ! きみがおれの前からいなくなってしまう夢を。ネガティブで頼りないおれなんて大嫌いだって言って……。とてもリアルだったんだ、あれは本当に夢だよね? ねぇ、宵子」


 宵子は眠たそうに笑いながらおれの頬へ触れる。


「夢の話、ですか? ……つまり、わたしがあなたの夢に出てきたということですね?」


 彼女はどうやら寝ぼけているようで、会話が噛み合っていない。


「え? まぁそうだけど……。それどころじゃなくて──」


「うれしい」


 宵子はそんな奇妙なことを言うと、おれの涙で濡れた頬にちゅっと軽いキスをした。


「直央さんの夢の中にまで登場出来るなんて光栄です。わたし、きっとあなたのことが好き過ぎて夢の中にまで侵入したんですね」


 彼女のその言葉に涙が一瞬にして引っ込む。

 確かに最悪な夢だったが、宵子はおれの夢の中まで来てくれたんだ。それだけおれは彼女に満たされているということか……。──それはそれで、いいんじゃないか?


「そうだよな……。きみはおれの夢の中にまで来てくれるほど、おれのことを……」


 今度は嬉し涙がこぼれそうになったので、それをぐっと堪える。そう何度も泣いては本当に愛想を尽かされてしまう。

 だがしかし、一度芽生えてしまった恐怖は直ぐには消えない。心細さが胸をしめつける。


「……宵子、ごめん。まだ、ちょっと心細いんだ」


宵子の小さな体を布団の中で強く抱きしめ、その胸元に顔を埋める。


​「このままずっとこうしていたい。きみの傍にいたい。……きみが、本当にここにいるって確かめてからじゃないと眠れない」


 ​宵子はおれの大きな体が自分の上に乗っても、少しも嫌がらない。むしろそれが当然だというように、優しくポン、ポンとおれの背中を叩き始めた。


​「大丈夫ですよ、直央さん。夢なんか怖くありません。わたしがずっと、ここにいますからね」


 ​宵子の温かい体温と一定のリズムで背中を叩く優しい振動に包まれ、おれの意識は再び眠りの底へと沈んでいった。

 今度は幸せな夢が見られますように。勿論、その夢の中でも宵子が笑っていますように……。

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