2・きみの成功はおれの終わり



「ただいま」


 玄関でそう言うと、リビングからひょっこりと愛しの妻が顔をだす。

 彼女の顔を見るだけで俺の心は洗われるようで、自然と表情筋が緩んでしまう。


「お帰りなさい、直央なおかさん。今日もおつかれさまでした!」


 出迎えにやって来た彼女はパタパタとスリッパを鳴らし、どこか興奮した様子だ。

 いつもならおれのコートと鞄を受け取ってくれるのだが、今日の妻はおれの腕を持ってぐいぐいと引っ張る。

 引きずられるままリビングに入り、ソファへとたどり着く。彼女はいつもよりにこにことしておれを見ていた。


「……宵子よいこ、どうしたんだい? その、何かいいことでもあったのかい?」


 妻のいつもと違う様子に、早くもおれの胸の中で不安が疼き始める。

 すると彼女はエプロンのポケットから自身のスマホを取り出して、自信満々そうにこちらに突きつけてきた。

 画面には彼女が利用している小説投稿サイト──のコンテストの結果ページが表示されている。


「見て下さい、直央さん! わたしが投稿した作品が見事、準大賞を頂いたんです! これは快挙ですよ!」


 確かに準大賞の作品としておれもこっそりと目を通してた彼女の小説が紹介されていた。ペンネームも妻のものだ。

 目をキラキラと輝かせる宵子と画面を見比べていて、ふと気がつく。

 “賞金3万円”と小さな文字だがはっきりとそう記載されていることに。


「それに3万円も頂けるんですよ? 初めての賞金です。入金されたら何か美味しいものでも一緒に食べに行きましょうね、直央さん」


 彼女の屈託ない満面の笑みがおれのこころを深く切り裂く。

 たった3万……だがこれは彼女がおれの力なしで、自力で得た最初の成功だと言える。

 体中の血がさっと引いて、体が震え始める。目頭が熱くなり、鼻の奥がツーンと痛い。

 たまらず宵子の手からスマホを奪い取り、彼女に奪い返されないようぎゅっとそれを抱きしめる。


「……こ、この成功を足掛かりに、きみはいずれ超売れっ子作家になるんだ! きみの小説はきっと世間に認められる……っ! そうなったら、きみは……おれよりも稼げるようになる、」


 頭の中が最悪な妄想でいっぱいになる。そんなこと考えなくていいのに、どうしても考えることをやめられない。


「そうしたらもうおれはお払い箱さ。どうせおれなんかきみの人生の重荷にしかならない。……この無能で情けないおれを、きみが支え続ける理由なんてどこにもない! ……どうせおれは、きみに捨てられるんだ……っ!」


 頬に熱い液体が伝い、自分が泣いていることを自覚する。

 泣き顔を宵子に見せたくなくて、ソファへと突っ伏す。

 すると、背中に柔らかく、そして温かい感触を感じる。宵子がおれを抱きしめてくれているのだ。


「どうしてそんな恐ろしい話に飛躍するんですか。そんな想像力を持つ直央さんの方が小説家に向いていますよ」


 彼女はくすくすとおかしそうに笑っている。

 泣いているおれを笑うだなんて酷い、そう思って顔を上げ彼女をしょんぼりと睨みつける。

 すると宵子は自身の両手でおれの両頬を優しく包み込むと、真っ直ぐにおれを見据えた。その目には深い愛情が満ちている。


「それに捨てるだなんてありえません。心配しないで下さい、わたしも直央さんと一緒じゃなきゃもう生きていけないんですから」


 そう言って彼女は俺の唇にちゅっと軽いキスをする。

 頭の中の最悪な妄想が晴れ、心が軽くなる。


「そう、だよな……。きみも、おれが必要なんだもんな……」


 体を起こし、妻の小さな体を抱きしめる。


「宵子、好きだ。いつまでも一緒にいよう」


「はい、勿論です」


 おれはこの出来事で再確認した。

 おれに必要なのは宵子の成功なんかじゃない、宵子のおれへの絶対的依存なのだと。

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