第2話
第二章「監視の眼差し」
――王宮・監査室配属棟、ブリジット私室
扉を閉め、静かに鍵をかける。カチリ、と金属音がして、外の喧騒がすっと遠のいた。
「……はぁー……」
ブリジットは思わず大きく息を吐いた。先ほどまでのマルセロとの対面の緊張が、ようやくほどけていく。
「マジで胃がキリキリする……あんなに整ってて無駄のない人、初めて見たよ……」
脱力するようにベッドに腰を下ろすと、制服の袖をくるくると巻き上げ、手のひらを天井に向けてかざす。
「さてと、念のため……」
彼女は軽く詠唱を唱えると、空気がひたりと動いた。音もなく、視界に薄い靄のような魔力の幕が張られていく。
《結界術式:第三階層。範囲限定・認識遮断・音響遮断》
部屋全体が、外界から完全に切り離されたような静寂に包まれる。
「うん、よし。これなら監査室の連中でも感知できないはず」
ブリジットの口元が、ようやくほんの少し緩んだ。
彼女の手元には、先ほど渡された一通の封筒がある。重く、無地で、差出人の名すら記されていない。ただ、裏面に王印と、それを横切るように朱の封蝋がひとつ――この国で最上級の機密文書に使われる形式。
(王印の上に、さらに補助封印まで……本気じゃん)
指先に魔力を集めると、蝋の封がふっと音もなく霧散した。簡易封印の解除はお手のものだ。けれど、これは簡単な任務じゃないと知っている。
彼女の中で、軽口のような思考はすっと影を潜める。
封を切り、ゆっくりと中身を取り出す。
一枚の手紙。そして、見慣れぬ黒い薄型の結晶媒体。
手紙の筆跡は細く、美しい。だがそれ以上に、そこに書かれていた一文が、彼女の目を射抜いた。
文章を追いながら、ブリジットの表情が次第に引き締まっていく。
彼女の瞳が細められ、口元がきゅっと一文字に結ばれた。軽口も、気の抜けた独り言もない。ただ、静かな緊張と、強い意志の光だけが残る。
「……了解しました、陛下」
ひとこと、小さく呟く。
その声には、年齢に似つかわしくない重さがあった。
文書を再び封筒に戻すと、結晶媒体を小さな専用の収納具に収め、制服の内ポケットにしまい込む。
結界を解くと、空気が一気に元の世界に引き戻されたような錯覚に包まれる。壁の向こうに誰かの足音、窓の外から聞こえる鳥の声、微かな風の音。それらを感覚に受け止めながら、ブリジットはゆっくりと立ち上がった。
監査室。
国家の中枢にありながら、どの局にも属さず。
その存在意義は、**「誰の味方でもないこと」**にある。
ゆえに、王がその力を動かすときは――それは国家の深部で、何かが動き出した証でもある。
(アビュッソス――その関係者に接触せよ、か)
心の中で一度だけその名を反芻し、彼女は部屋を出た。
表情には、もう先ほどのような緊張や疲れはない。
あるのは――
ただ、職務に臨む者の、冷静で揺るぎない眼差しだった。
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