第3話 大転移!行くぞ西へ!!

「なんでや!!」


 こみトレが終わり、わこたちが無事東京へ戻り、いつも通り仕事をしていた頃。

ディアベルはんを見殺しにしたことをキレているかの如く、わこは叫んだ。

 彼女の瞳からドバドバ流れている涙が、手元の液タブを浸す。


「ちょっ!ぶっ壊れますよ!」


 わこアシ(しんにまちわこのアシスタントの略称)はペンタブをなんとか避難させようとしたが、巨大な液晶を持ったそのタブレットは容易に持ち上がらなかった。

 だからわこアシはどうしたかというと……。


「ひでぶ!!」


 わこの首を強制的に反転させ、涙の軌道を変えた。


「痛い!!くび!!くびイった!」

「大丈夫です。首がイっても漫画は描けます」

「描けねえよ!!人間の生命線だぞ!」


閑話休題


「ところで、なんであのここのっていうやつは私の誘いを迷いなく断ったのだろうか……」


 わこが唸りながら呟いた。


「まぁ、普通考えて、いきなり知らん人に「サークル組も!」って言われても怖いだけですよね」

「……確かにそうかも」


 そして、わこは考える人のポーズをとった。


「では、もう最終手段だ」

「……なんですか?それ」


「物理的に攻める!」



そして、わこはペイントソフトのウィンドウをデスクトップの端へと追いやり、Webブラウザを開いた。


*****


 家に帰ったここのは天井を眺めながら、呆然としていた。


「なんだその間抜け顔は」


 視界の端からスバルの顔が出現する。


「なんだよ……勝手に人様の家入ってくるなよ」

「いいだろ、どうせ隣なんだし」

「そん時私がこれをオカズにしてオナニーしてたらどうするつもりだったんだよ!!」


 私はそう言いながら、エロ同人誌を示す。


「いや、もし喘いだったら聞こえるよ……ここの壁薄いし」

「欠陥住宅すぎる!」


 言い忘れていたが、ここのとスバルは隣人なのである。二階建てアパートの隣人同士。部屋番号はここのが203でスバルが202。

 しかし、このスバルとかいう女はなぜかずっとここのの部屋に入り浸っているのだ。いつの間にか合鍵も作っていたらしい。今の状況と言ったら、ほとんどここのとスバルのシェアハウスに等しい。よく泊ってもいくし。


「そういえば、お前、次のコミケはどうすんだ?」


 寝ころびながら、スバルは訊ねた。


「……さすがにもういいかな、冬コミで痛い目にあったし」

「えーせっかく人気同人作家にお褒めの言葉をいただいたのに……」

「いやでも、惨敗なのには変わりないから」


 そう話しながら、ここのはとあることを思い返す。

 それは苦いコミケットの記憶ではなく、先日のこみトレのことであった。


『私と……サークル組まない?!』


 人気同人作家・しんにまちわこ。

 そんな彼女と組んで同人誌なんか出してみようなら、彼女の人気に引っ張られ、ここのもかなり著名になれたことであろう。

 しかし、ここのは情景反射的にその誘いを断った。


 彼女にはすでに「創作をする」という勇気が消え失せていたのだ。

 そんな彼女にとってしんにまちわこと組むなんていう重責、到底背負えるはずもない。


ピンポーン


 玄関ベルが鳴り響く。


「ここの、なんか来たぞ。郵便じゃね?」

「うーん……なんか頼んでたっけな」


 ここのは気怠そうに玄関へと向かっていく。

 扉を開けると、そこには大家がいた。


「大家さん。どうしたんですか?家賃の取り立てにはまだ早い時期かと」


 ここのはそう言うと、おばちゃん大家は言った。


「いや、明日隣の部屋に一人新しい入居者が来るらしくてね。それについて知らせに来ただけよ」

「あ、つまり引っ越し業者が来るからうるさくなるっていうことですね。わーかりました」


 そんな簡単な会話をし、玄関扉を閉めた。


「ここのーなに届いたー?」

「いや、大家さんだった」


 それを聞いたスバルは顔をしかめた。


「あれ?家賃にはまだ早いだろ」

「同じような会話さっきやったよ……ストーリーのテンポが悪くなるから、似たようなこと文章に起こさせるな……どうやら、隣に新入居者が来るみたいなんだよ」

「ほー新入りー!」


 なんだ、その反応は。


「これは、このアパートの先輩として……しっかりせねばならんな」


 先輩風吹かせているだけでした。


───しかし、こんな時期に新入居者か……。

 私の隣だとすると、部屋番号は204か。


 その時、どことなくここのは嫌な予感がした。


*****


 ここのの嫌な予感は的中した。

 まだ瞼が重たい朝。外では引っ越し作業の音が聞こえていた。なかなかにやかましい。


「うう……うるさい」


 ここのはその音を塞ぐように、布団を自らの頭に被せる。


ピンポーン


 そして、玄関のベルが鳴り響いた。


ピンポーン


 また鳴り響く。音の方向からして、隣接部屋だろうか。まさかこの部屋ではないだろう。まさかね……。

 しかし、玄関ベルの音は鳴り続けた。

 そして、ついにここのの足は動き出す。

 この音は、やはりここのの部屋の玄関ベルだったようだ。


「……朝っぱらから」


 ここのは苛立ちながらもそう呟き、玄関扉を開けた。

 しかし、ここのの目線の直線に、人の姿はなかった。


「三上ここのさん!」


 「ここの」の名を呼ぶ声が聞こえた。どこからだ……?

 それは、ここのの下であった。


 そこにあったのは身長140センチ程度のどこかで見たことある女……。

 その者の姿を見た瞬間、彼女の目はキランと光っていた!


───これ!やばいかも!


「やっぱりいた……!」


 その女は自らの唇を舐め……ここのの元へ飛びつこうとした!

 ここのは反射的に扉を閉めた。施錠もすぐさま行う。扉からは「ドスッ!」と激しく鈍い音がした。


『いだぁっ!!!』


 奥から痛がっている声が聞こえる、

 というか、あの女……。なんでこんなところにいるんだ……!?


───私をまた同人の世界へと誘おうとする女……!

 人気同人作家・しんにまちわこ!!


*****


 どうしてこんなことになったのだろうか。

 底辺同人作家兼ただの大学生である私、三上ここのは今なぜか、目の前にいる人気同人作家しんにまちわこにものすごい形相で睨まれてしまっている。ちなみにそんな彼女の額は赤く腫れていた。


 とにかく、今がどんな状況なのか事細かに説明しておく必要がありそうだ。

 私が勢いよく扉を締め、わこが額を強打した後、

私は渋々その扉を開き、そこで額を押さえ、うずくまっているわこをとにかく自宅に入れようとしたのだ。最低限の応急手当てはしておかないと流石に人としてどうかと自分でも思うので……。


「じゃあ……失礼しますよ」


 私はわこの額にガーゼを貼り付ける。

 わこは「ん……」と声を漏らしながら、額を私に授けた。


「ところであなた、しんにまちわこさんですよね……?」


 ガーゼを貼り終わると、私は彼女にそう訊ねた。


「い、いかにも……私こそしんにまちわこだよ……」


 額に貼られたガーゼに違和感を覚えながら、わこは告げた。


「して、どうして大阪へ?確か東京住まいだったはずでは?」

「……移転だよ、移転。そしたら、偶然隣だっただけだよー(棒)」


 常にインドアな漫画家が突然の移転……?


「いやぁ、でもさぁ、こんなの運命中の運命だよね!ここまで来たら私ともう組むしかないわな!」

「……」


 私は彼女に疑いの目を向ける……。


「ま、まあ!ひとまず!一緒に同人道を歩もう!」

「しんにまちわこさん、言っときますけど、私もう同人誌描きませんからね……?」


 私がそう告げると、わこはまるで凍結魔法で凍らされてしまったかのように、固まって

しまった。


「はい?」


*****


「ここのよーい!今日も暇だから一緒に飲もうぜー」


 スバルがいつものごとくビール缶を持って私の宅へと訊ねてきた。しかし、スバルはいつもは感じない異様にどよんだ空気に違和感を覚える。

 その空気の発生源は誰から見ても明らかであった。


「ねぇ、ここの。その小さい女の子誰?誘拐してきた子?」

「私は誘拐犯じゃあねえよ。確かにクソ小さいけど、こいつ」


 そこにいたのは露骨に落ち込んだしんにまちわこ。人気同人作家であり、現在は私のストーカーでもある。

 彼女は昼からずっと、私の家に入り浸っては、隅っこで体育座りをしながら、重苦しい空気を分泌しているのだ。


「こんな空気じゃ気持ちよく酒も飲めやしねえな……しょうがない、外で飲むか」


 そう言って、スバルはトボトボと私の家を後にしようとする。


「あ、ちょっと、私も行くよ!」


 私もなんとなくお腹が空いてきたので、彼女についていくことにした。


*****


 私たちが訪れた店というのは、居酒屋「やーさーけ」

 ものすごくリーズナブルな地元に愛されている創業40年の老舗だ。

 安いといっても料理と酒はすこぶる美味く、私やスバルもよく飲み屋として愛用している。


「だが、なんでこいつもいるんだ……?」


 この居酒屋に来たメンバーはスバル、ここの、そしてわこの三人。

 私とスバルはわこのほうをじっとみた。


「そんなの決まってるじゃん……「飲みニケーション」だよ」

「飲みニケーション……?」


 飲みニケーションとは、仕事の仲間と酒を交わしてコミュニケーションを図り、チーム力と結束力を高める「飲み会」と「コミュニケーション」を合わせた言葉である。


「しかし、お前と私たちは別に仕事仲間なわけではないよな……?」

「……とにかく!」


 わこは水の入ったコップを机に叩きつける。

 机には少量の水が零れ落ちる。


「ここのさん……同人活動やめちゃうって正気なの?」

「正気……だよ?」


 料理も酒も全く来ていないのに、いきなり談話が始まってしまった。この会話が始まった瞬間、スバルはまさか自分にこの会話の矛先が向くとは思っていなかったようで、一人でお品書きを独占して、眺めていた。

 そんな中、わこはここのと会話しながら、にやついた。


「それは私が認めない……こんな作品が描けるというのに!ということで……この店で一番強い酒で耐久勝負しよう!私が勝ったらとにかく、今度の夏コミに参加してもらう!」


 私は顔をしかめながら言う。


「もし、私が勝ったら?」


 すると、わこは目を静かに閉じ。浮かせていたその腰をゆっくり椅子に下ろしながら、告げた。


「その場合、私は明日にでも東京に帰るよ……」

「「よし!やるか!!」」


 大阪住まいの二人の女が一気にやる気を出した。


「私、そんなに迷惑……?」


 わこはそんな二人のあからさまな反応に多少ショックを受けた。


「言ってくが、私とここのは酒が飲めるようになってから、何回も酔いに酔いに酔いつぶれてきた酒豪だぞ……?油断していたら痛い目あうぞ……?」


 スバルはその時、ものすごく邪心に満ちた顔をわこに見せつけた。


「へ?スバルも参加するの?」


 ちなみに、二人はまだ大学二年生、20歳である。


*****


「いや、流石に勝てるよ」


 結果はしんにまちわこの圧勝であった。

 ちなみにこの居酒屋、一番強い酒と言えばスピリタスであったのだが、そんなので勝負してしまったら両者死亡でこの小説が早くも完結を迎える!!となったわけで、結果、勝負酒はウイスキーとなった。

 しかし、我々、ここのとスバルは断じて酒豪などではなかった。

 二人がよく飲んでいる酒はストロング系チューハイ。アルコール度数9%程度の酒ばっかり飲んでいる彼女たちにウイスキーは強すぎて、たった数杯で参ってしまった。


「ぐ……まだ……行ける」


 スバルは負けず嫌いだ。顔を真っ赤にしてもまだこんなことを言っている。


「それ以上はやめとけ……急性アルコール中毒になって死ぬぞぉ」


 わこはそんな風な勝者の余裕を見せながら。日本酒を啜っていた。


「スバル……完全に負けだよ」


 この勝負の責任を取らなければならない私はもう完全に勝負を諦めてしまっていた。


「くそう……こんな見た目小学生な奴がこんなやべぇ酒飲みだとおもうか……?くそう、酒飲みとしてのプライドが……!」


 すると、わこは酒瓶をスバルに向けながら、高らかに告げた。


「お前のような情弱……!酒飲みをたかるなど100年早いわ!!」


 その時のわこの顔はぶん殴りたくなるようなむかつく顔であったが、顔色は涼しかった。


 かくして、私はまたあの苦い思いをした土地、もう、二度といきたくないあの土地。東京ビッグサイトで催される夏のコミックマーケットのサークル参加を余儀なくされた。

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我楽多な奴らは同人に没頭中! 〜拗らせ同人作家たちの日常創作譚〜 端谷 えむてー @shyunnou-hashitani

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