第3話

 僕は貧乏だ。死ぬほど貧乏だ。銀行にはいくらかの纏まった金があるが、それは全て借金でしかなくて、僕が一生をかけて──多分、この肉体が滅んだ後も意識を電気信号に変えて新しいソーシャルゲームのデバック作業などをさせられるのだろう。父さんはそれを知って自殺したから間違いではないと思う──そして今、金と親指を失って、間違いなく死んだ。今度こそ死んだ。母さんと父さんと一緒に逝こうとした時は、あんなにも嫌な気分になったのに。やっぱり人は死ぬのなら孤独でなくてはいけないのだ。もっと大切な部分で、人は常に孤独なんだ。だから僕は今まで生きてこれた。それは筆を執っていたからだ。筆を執ると心の形が分かる。心の形が分かると世界の形が分かる。世界の形はつまり僕の形だ。つまり、僕はただ生きたいがために今まで生きて来たのである。文章を、書いて来たのである。


 だから僕は両親が嫌いだった。あいつらは弱いんだ。一人で死ぬ勇気がないから僕を殺そうとした、最も唾棄すべき弱者だった。


 けれども僕も、今は弱者だ。自分の支えを──支えてなどいなかったのかもしれない。それはもしかして僕自身でありしかして絶対的に僕には成り得ない、ただ一つの要素だったのかもしれないが、僕はそれを──失くした。亡くした。


 死ぬことを亡くなると表した人間を僕は許さない。


 死ぬなんていうのは予感であり、また未来でもあり、漠然でもある。つまりは虚構だ。概念的なもの、僕たちを納得させる言葉という現実に貶められた、嘘八百なのである。


 僕が生きていることが、その考えの証明に、死なんてものの不吉なことは全て空想なることと知らしめることが出来ると思っていた。

 死なんてものは無いのだと、そう証明できると思っていた。


 けれども僕は死んだ。こんなツマラナイことばかりが思いついては消えていくのだから、確かに死んでいる。


 心が死んでいるのだから、やはり死んでいるのだ。


 ずうんと頭蓋の中身が重たくなって、おでこの部分がきゅっきゅと何本もの輪ゴムで絞められている。


 寒い。体は半分死んでいる。衣服は五歳の頃に着ていたものしかないので、長袖のシャツもズボンも短パンとなってしまっているのだから仕方ない。家に帰って暖房をつける気にはなれなかった。だってそれには金がかかるのだ。そしてもう金は無いのである。


 金を払って僕は死んだのだ。ふざけている、と激高しそうになったものの──僕は昨日まで、金は命よりも大事だとすら思っていたのだから、それを使い果たして死ぬのは、重力のようにとても道理のような気がした。


 僕はあまりにもおかしくって、生まれて初めて心からの笑みを世界に放った。


 すなわち爆笑。


 これを小説にすればさぞかし面白いだろうに。ナノマシンだったか、それだけは本当に残念ダ。テキストデータのように平面化された僕の心に喜と無念があることに驚きながら、僕は目を閉じ嗚呼、残念、無念、また来世で──。


「声が聞こえると、貴方は思った」


 声が聞こえた。そして僕はとても間抜けで愚鈍なことに、聞こえて来たその声の通りのことを思った。


 そちらの方を向く。

 僕の座る二人掛けのベンチ。

 空いていた一人分のスペースに、見知らぬ女性が腰掛けていた。


 空は曇りで、時刻は五時を回った頃だろうか。分厚い雲の向こうでは、太陽光線はすっかりと昼間のなりを潜めていて、月が昇ろうとしているのだろう。

 そして、僕の周りに街灯らしきものはない。


 言葉が要領を得ないのは、僕が無意識と意識で感じている精神的ショックに寄るところが大きい。もしくは先ほど医者に無理やり飲まされた薬か、または気分が駄馬の如くコントロール不可能なことも影響しているのかもしれないが──などグダグダ五月蠅くまどろっこしい思考回路を僕は遮断して、つまり至極単純に僕の今言いたいことを伝えると、この辺りには光源と呼べる様なものが無いということである。


 だから今、僕の真隣に座っている彼女の金髪が──大きな大きなツインテールが発光しているのが、僕には不思議で奇妙で仕方なく。


 そしてとても──それを美しいと感じたのである。

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