第18話

 さて、こうしているうちにも今日は一体何人の失踪者が出たのだろう。まるでこれは戦争だ。姿なき敵との果てしのない戦い。しかもその背景さえ全く不透明な。

 電車の車窓から見える風景はいつもの長閑な田舎の在り様だ。このままこの宮前は、そして日本は人々が消えていくのを見過ごすしかないのだろうか?

 何故?そして何の為にこんな事態になるのだろう?世界はかくも美しいのに。

 不意に睡魔が私に忍び寄る。このところ急に運動を始めたので気づかぬうちに疲労が溜まっていたのかも知れない。大丈夫。まだ目当ての駅までには余裕がある。

 こうやって何かに身を委ねていると、普段味わうことのない安心感を手に入れた錯覚を覚える。いや、束の間でも良い。人間にはやはりそんな穏やかな時間が必要なのだ。

 キート。私はそう呼ばれたことを思い出す。それもまた私の中では謎そのものだが、今はただその憧憬にも似た感覚に身を任せたい。当然例の声は聞こえない。印象も薄れつつある。私は夢の中で太古の風景に思いを馳せる。それは叔父の言うような墓所のイメージではなく、むしろ生命が生まれ出ずる処のそれだ。しかし実際は今の暮らしとさほど変わりはないのだろう。その中で人は普通に生まれ、そして普通に老いて死んでいく。その宿命からは誰一人逃れられないはず。

 徒労感が再び私の意識にまとわりつく。馬鹿げた妄想だ。太古に憧憬を求めること自体がファンタジーに過ぎない。理想郷を追い求める新興宗教や過激派集団などと精神的ルーツは変わらない。いつの時代にも蔓延(はびこ)る今を生きられない者たち。過去と未来に囚われ、今を踏み違える生き方。

 だが…。

 私は目を開く。そしてもう一度車窓から見える田園風景を眺める。ただ一つだけ明白な事がある。何としても今在るこの故郷を守らなければならない。いや、守っていきたい。それだけだ。


「それは君、とんだ未来予想だ」

 同級生はもろ手を挙げ呆れた表情を見せる。心理学教室の教授補佐、富田は言う。

「まあ、個人的に嫌いじゃないけどね」

「分かってる。だから来たのよ」私。

「と云うと?」

「可能性として大きな厄災と云えば自然災害、もしくは核関連よ。他には今も話題のウイルス事案」

「確かに。今度のウイルスはすでにヨーロッパでも猛威を奮いつつある。だがそれと君の言う厄災とは少し違和感を覚えるな」

「そうなの。だから私としては巨大地震かと」

 私は応える。「どう?」

「どうって…」

 富田は苦笑する。「全くの専門外を持ってこられても答えようがないよ。君こそどう云うつもりなんだい?」

「富田君は犯罪予防を研究してるんでしょ。それも云ってみれば未来予想の一つなんじゃないかと思ってね」

「自由だなあ」

 富田はまた笑う。「研究者がやるのはあくまでデータからの予測だよ。更に云わせてもらうと、その予測手段も過去の試行錯誤の積み重ね。君のように全く裏付けのない仮説から未来を予想するなんてほとんどオカルトだよ」

「オカルトかあ」

 私はそのキーワードに思わず感嘆する。「云われてみればそうだね。でもね、富田君」

「何だい?」

「あなただってこの失踪事案に興味があるんでしょ。この先何が起きるのかとか考えない?」

「そりゃ考えるよ。でもさ、考えるからって必ず答えが見つかるとは限らない。自分の運命と同じ。答えのない問いには労力をかけないか、そもそも近づかないと云うのが鉄則なんだよ」

「どうして?」

「研究者人生を踏み誤る」

 富田の目は笑っていない。なるほど、それも道理だ。

「じゃあ、私の戯言と思って聞いて頂戴。いい?」

「どうぞ」

「今宮前で起きている事はこれからやってくる大きな厄災への防衛反応。でもこの流れが完了する前におそらく厄災は起きる」

「ん。それで?」

「これだけの規模の失踪事件が起きている以上、その厄災は私たちの想像をはるかに超える可能性が高いのではないかと、そう思うの。だったら今のうちその危機感をより多くの人と共有しないと」

「一ついいかい?」

 富田は言う。

「ええ」

「そう云う君は、まるで卑弥呼だな」

「?」

「いつからシャーマンになったんだい?」

 富田はひどく冷めた表情をしている。「僕は心理学者だから人の心と精神に興味がある。今の君はいささかアンバランスな状態だと思うよ」

「そうね。自分でもそう思う」

 私は頷く。そして一瞬神永老人のことを思い出す。「だから色んな立場からのアプローチが必要だと思うの。現にあなただってこの失踪事案に興味を感じている」

「そうだよ。でもそれは逸脱行為の一つとしてだ。もちろん逸脱行為そのものは犯罪ではない。しかし逸脱行為どうしに関連が見られるのは確かだ」

「じゃあ、現時点でのあなたの見解はどうなの?」

 私は訊く。「こんな集団的逸脱行為が今まであったと云うの?」

「…」

 富田は応えない。

「いいのよ。あなたに何かを無理強いするつもりはないわ。私だって今のこの状況で『大地震が来る』って叫んだって狂人扱いされるのがオチなのは分かってる」

「このところ日本は天災続きだ。南海トラフ地震だってすでに自明の事だしね」

「確かに」

 私は少し冷静になる。そうだ。今現在想定されている巨大地震サイズでも、日本は十分に壊滅的な被害を被る。

「君がどうして失踪事案とそれらを結びつけるのかは分からないけど、もしそうだとしても人々は怖れだけで日常を捨てるわけにはいかない。備えると云っても場所も規模も分からない以上、万が一の場合は相応の被害が出るのは自然な事だ。むしろそれを前提に社会は対策を講じるべきだろう。それとも君にはもっと良いアイデアがあるとでも云うのかい?」

「もしかしたら富田君の言う通りなのかも知れない。でも私が今感じてることは天気予報や地震速報とは似て非なるものなの。もちろん根拠はないわ。在るのは私の中の確信」

「言い切るんだね」

「うん。多分失踪事案はこれからも続く。そして今、その事で密かに動き出してる者たちがいる」

「それは君の叔父さんからの情報?」

「そうよ。私も知らなかったけど、叔父はずっと若い頃にその者たちと会っているの」

 もうそろそろ昼だ。私は時間を確かめる。

「だったら…」

 富田は口を開きかけて止める。

「何?」

「…いや」

 富田は応える。「君はその叔父さんに感化され過ぎている。とにかく冷静になることだ」

「それは分かってるわ」

「果たしてどうかな」

 富田は真剣な表情で私を見る。その時私は周囲にほのかな異質感を覚える。まるで自分たちだけが別次元に入り込んでしまったかのような。

「じゃあ、富田君ならこの状況でどうすれば良いと思うの?私たちにできることは何もないの?」

「そんな事はないさ。もちろん君の努力は認める。意気込みもね。ただもう一度考えてごらん。ものの生命には皆限りがある。ならば闇雲な不安の中で生きるより、今在るものを大事にして生きていく方が理に適っていると思う。違うかい?」

「それはそうよ。でも私が言ってるのはそんな事じゃないの」

「まあ聞きなよ」

 富田は片手を挙げて制する。「君はなんとかしたいと云う気持ちが空回りして余裕が無くなってるんだ。不透明な事が多くて」

「迫りくる巨大隕石みたいに目に見えれば案外気が楽かもね」

「本当にそうだとしたら?」

「どう云うこと?」

「少なくともこれは〝個人偏重〟社会の問題(タスク)レベルではないんだよ。もっと云えば生物の種の問題だ」

「?」

 種の問題?

「見える者には見えてるんだよ。天上の巨大隕石がね」

「富田君」

「そして本当の生きる意味についても」

 そこで昼のチャイムが鳴る。富田も一瞬時計を確かめる。「それでも生き方は最後まで自分で決めることができる。それは歴史が証明していることだ」

 正直その言葉に私はピンと来ない。と云うより富田の云わんとすることがよく分からない。これも異質感の一つなのか。

「今日はこれでお暇するわ。少し自分でも考えてみたいから」

「そうか。じゃあ、またな」

 その言葉とは裏腹に富田の眼差しはまだ何かを訴えかける。その真意を受け止めきれずに私は一人研究室を後にする。

 富田の言うことは至極尤もだ。筋も通っているし情も窺える。だが私にはどこか納得できないところがある。それよりもまだ叔父の脈絡に乏しい話の方が真実に近い気がしてならない。

 やっぱり狂ってるのかな、私?

 いつになくきつい日差しの真下で私は考える。今や自然環境そのものが変容してしまった。その中に暮らす私たちも影響を受けないわけがない。

 とにかくもう一度山に登らなければならない。青旗神社と云う古から続く聖域で、私は叔父の云うキワを目にする必要がある。

 キワが揺らぐ時、人もまた魔物に変わる。

 もしそれが本当なら、青旗神社は今どうなっているのか?

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