第17話

「俺は失踪に本人の意図とは違う、別の背景があるような気がしてならない」

「例えばどんな?」

「神隠しって聞いたことがあるだろ?」

「ええ、名前だけは」

「俺はこの宮前で起きている事はその神隠しじゃないかと思っている」

「でも失踪事案はすでに全国で起こり始めてるんですよ」

 私は辰宮からの情報を伝える。

「そうなのか。だとしたら尚更だ。何か途轍もなく大きな災いが近づきつつあるのかも知れない。もしかしたら人類の大半が滅亡してしまうくらいの」

 ハーメルンに神隠し、そして今度は人類滅亡か…。

「それと神隠しに何の繋がりが?」

「分からないのか?」

「…」

 私には答えが浮かんでこない。

「古(いにしえ)からの言い伝えに共通して見られる神話がある。『復活神』伝説だ」

「復活…神?」

「そうだ。この世界に破滅的な厄災が訪れる前に神隠しに遭い、その後帰還し残された世界の滅亡と復活に寄与する者たち。彼らは通常では考えられない能力を持ち得たとされ、民からはうつつ神と畏れられた」

 それは…。私は思い出す。神話体系における「再生する神々」…。

「滅亡と復活?でも一体どうやって?」

「さあな。古来厄災と云うヤツはいつも唐突で理不尽だ。だが一方で、その中でも生き延び群れを復活させてきた者たちは、その厄災を絶対神の仕業とばかりに崇め奉ってきたと云うことだ」

「人間の奇異なるところですね」

「だが俺はこうも思う。その者たちは見たんじゃないか、と云うことだ。揺らぎ沈みゆく現世と隔世(かくりよ)の狭間を」

「ものの喩えですか?」

「いや、記憶だ。この土地の記憶。元々此処はそう云った土地だったんじゃないか。つまり全てが無に帰するところ。全ての者が終焉を迎えるところ」

「一体どう云うことですか?」

「分からないのか?此処は大いなる墓所と云うことさ。つまり俺たちはその墓守の役を負っていると云うことだ」

「…」

「云い得て妙。だが只の墓所ではない」

「封印された土地…と云うことですか?」

 私は返す。「でも何故?」

「都合が悪かったんだろうさ。なにぶん大昔の話だし、ご丁寧に文献にもほとんど記載がない」

 確かに。叔父の言葉に私は頷く。でなければ私はもうとっくの昔にこの土地の真実に行き着いていただろう。

「そこまでして隠したかったこと…」

「キワが揺るげば人も社会もまた魔物に変わる」

「それはどう云う意味なんですか。教えて下さい」

「…」

「四十年前、叔父さんの身に何が起きたんですか?」

 若かりし頃の叔父を襲った存在、そして亡者の類とは?

「自分の目と耳で調べろ。元々これは頭で理解する領域ではない」

 叔父は言い切る。

「叔父さん、私」

 私は先日自分が昏睡した時に聞いた声について語ろうとするが思い直して止める。何故?「今度警察の当時の担当者と会ってみようと思います」

「何か掴めそうなのか?」

「分かりませんが、情報はあるに越したことはないですから」

 私はふと気になる。「そう云えば叔父さん、前に言ってた社に辿り着いた一人って何者だったんですか?」

「子どもだよ」

「子ども?」

「お前も薄気味悪い子どもに会ったら気をつけろ」

 叔父はそう不機嫌そうに言った。


 私は水泳を始める。少なくとも基礎体力は付けなければならない。そして余分なものを削ぎ落とす。

 その話はまた別にするとしよう。


「今更何だね」

 神永と云う老人はあからさまに不愉快そうな表情で私に問う。仕方なく私は掻い摘んで事情を話す。老人は介護施設のテーブル前に座り、どこか所在無げにしている。歳の頃は八十代半ばと云ったところか。

 私はこう云うところへはほとんど足を踏み入れたことがない。当たり前だが周囲には様々な老人たちがいる。独特のにおいもする。介護スタッフは皆ほのかに心身の奥から来る疲れと苛立ちをその笑顔の下に漂わせている。所謂「感情労働」の実態だ。

「何を見たかって?」

「ええ」

「トチ狂った学生が暴れたってだけさ。こっちも機動隊の協力を得てフン掴まえてやったがな」

 瞬間老人の目に凶暴さが宿る。私は敢えて気に留めない。

「調書は随分簡易なものでしたが?」

「それだけの値打ちしかなかったって事だろ。それとも何かい?あんたはそんな大昔の事件に何か他の意味があるとでも云うのかい?」

 私にはそう言う老人の顔がまるで片擦れした靴底のように感じられる。

「いえ、意味づけは私の仕事ではありません。ただ事実を拾っていくだけです」

「ふん」老人は私に不敵な笑みを向ける。「私はブンヤってのが嫌いでね。妙にインテリぶってたかと思うと、ネタの為なら過激で傍迷惑な取材もお構いなし。まるでヤクザかチンピラだ」

 ひどいな。しかし挑発に乗るわけにはいかない。私も介護スタッフを見習おう。

「あの、どこかお具合でも?」

「全く…碌なもんじゃねえ」

 すると神永老人は横を向き、何やら独り事を呟き始める。その眼差しには既に別の世界が映っているようだ。これ以上は無理か?

「ではあと一つだけ」

「…」

「あの事件は神永さんにとって本当につまらないものでしたか?」

「つまらん。ああ、この世はみんなつまらんゴミだらけだ」

 老人は急にこちらを向いて満面の笑みでそう応える。

 あ、ダメだな、これは…。

 私は取材を切り上げることにする。事前に認知症の疑いについて聞かされていなかったが、どうやらコミュニケーションに難があるのは間違いなさそうだ。記憶と感情に決定的な偏りがある。

「分かりました。どうも貴重なお時間を有難うございました」

「くたばれ」

「ええ、それでは」

 面会終了。

 やれやれ。淡いリノリウムの廊下を歩きながら私はひどく気が滅入り始める。老人の最後の言葉にではない。では何に対して?

 自分の影がやけに濃く感じられる。

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