第16話

「そうか。そんな別人に見えたか」

 叔父は苦笑いする。「みっともないところを見せちまったな」

「でもまさか叔父さんがそんなことになってたとは思いませんでした」

「隠してたわけじゃないが…、いや、もうそんな事はどうでもいい。で、お前の目から見た事件の概要はどうだ?」

「正直違和感がありました。警察は中途半端にしか事件を取り上げなかったと思います」私は応える。

「まあ仕方ない面もある。なにせ頭デッカチの学生の言うことだ。しかも警官と乱闘騒ぎまで起こしたって、後で身内からも大目玉だ」

「叔父さんは覚えてたんですか?」

「なんとなく、だな。半透明で大きな膜が自分を覆って意識と記憶を混濁させるんだよ。その膜は何かにとても怒っている。苛ついている。そして身体は俺とは関係なくその膜の思うがままに動き回った。だがそんな事を誰が信じる?一緒にいた仲間たちでさえ、俺の様子に慄いていたってのに」

「それからどうしたんです?」

「遂には俺の意識が完全にぶっ飛んだ。次に気がついたのはうつせみ神社の境内だ。パッと霧が晴れるように俺はそこに立っていた」

 叔父はいつものようにグラスに酒を注ぎながら、過ぎた時間の彼方を懐かしんでいるようだ。

「仲間たちとはそれっきりだ。俺の中でも騒動と共に革命への情熱はすっかり消え失せてしまった。今でも思い出すよ。自分たちは何か時代の坩堝にいたんだなと。そして気づかぬ内に時代は変わっていた。季節が夏から秋へとそっくり入れ替わるように」

「誰だって若い時期はそんなものではありませんか?」

 私は言う。

「ふふっ、そうだな」

 そして叔父は急に真面目な顔になる。「多分俺たちは罠を掛けられたんだ」

「罠?」

「生贄みたいなものだな。そしてたまたま居合わせた俺はその恰好だったわけだ。連中はおそらく青旗神社に入り込もうとしていた」

 青旗神社、やはりか…。

「入り込んでどうするんです?」

「穢すんだよ。長年神社が祀ってきたものを」

「何故?」

「そこが俺も疑問だった。そんな事をするメリットが理解できなかったんだ。だがここにきて俺は大きな勘違いをしていたんじゃないかと思う」

「勘違い?」

「連中は何かを解放しようとしてたんじゃないかってな」

 解放?私は考えを巡らす。

「それが亡者の類、と云うことですか?」

 すると叔父はグラスをテーブルに置く。「青旗神社は何かを祀っていたのではなく、何かを封印していた。そう考えれば辻褄は合う。俺が被ってしまったのもな」

「ハーメルンの笛吹き男。叔父さんは以前そうも仰いましたよね。そして私には『近づくな』と」

 私は叔父に問いかける。「封印されていたのはそのハーメルンの男だと?」

「現にそうだろ。人々は何処(いずこ)へかと誘(いざな)われてる。それは多分何かの呪いだ。連中は既に封印を解いたのかも知れんぞ」

「でも戻ってきた人はいます。叔父さんだって」

「ふん」

 叔父は苦笑する。「確かにそいつらと俺は同類だ。何者かに便乗した挙句、キワを見た途端踵を返して戻ってきた。それで一生どっちつかずの無様な人生を送る」

「…」

 私は叔父のそんな独白に思わず言葉を失くす。

「或いは連中こそハーメルンの一族なのかも知れん。だからこそ俺はこの役を継ぐことを決めたんだ」

 なるほど。私は思わず納得する。

「じいさんの口は堅かったよ。青旗神社の話は一切出てこなかった。しかしそのうち山登りに連れて行かれるようになった。じいさんも歳だったからな」

「何か分かりましたか?」

 すると叔父は頭を振る。

「俺が考えあぐねたのはその祭祀/封印されているものが何であるか、だ。そうなるとむしろその連中の事が気になり始めた。だってそうだろう?連中は関係者さえ知らない『陰社』の存在を知っていたことになる。だったらそっちを探った方が話は早い。俺に残された術(すべ)はうつせみ山のパトロールだったと云うわけだ」

「もしかしてそれで?」

 私は咄嗟に思い出す。子どもの頃、叔父にうつせみ山登山を反対されたことを。

「しかしそれ以後連中の姿は消えた。理由は分からない。時期があるのかも知れない。おそらく連中もそれなりの組織体で、歴史さえ持っているのだろう」

「…」どう云うこと?

「だが俺は気づいた。どうやら例の青旗が反応していると」

 青旗、青いチケット、藍札、青紙…。

「そしてお前の云う失踪事案だ。最初は結びつけていなかったが、お前の話を聞くうちになんとなく気になり始めた。そして今、俺の中で奇妙な符合を見せ始めている」

「符号?」

「人々が次々と姿を消し、青旗は色を鮮やかに移ろわせつつある。そして再開発計画。俺たちの騒動直後にもうつせみ山公園の計画が発表された。お前が調べたサキガケの発掘現場だ」

「え?」

「だから例の発掘現場だ。サキガケの」

 叔父は当然と云う顔をする。

「あの、サキガケって何なんですか?」

 私は乾いた喉を詰まらせながら問う。自分が十年以上追い続けてきたもの。

「先欠け、と書く」

 叔父は指で字を描く。「当初は勾玉の一種かと思われたが、武具と混ざって発掘されたことからやはりその類だろうと推断された。ところが矢じりにしては先端がどれも欠けている理由からサキガケと呼ばれるようになった」

 先が欠けているからサキガケ…。

「何しろそんなものが出てくるとは思わなかったから当時の行政は戸惑ったと思うよ。考古学的に価値あるものだったらぞんざいにも扱えんしな」

「でも結果としてはそうなった」

「まあな。そこにどんな意図があったのかは分からない。興味もなかった。大事なのは連中がそれで何かを為したのか、或いは為し得なかったのか」

 叔父は私を見る。「そして今、俺はお前を青旗神社に誘おうとしている」

「いけない事なんですか?」

「お前が森川家の人間だと云うこと。それに女だ」

「女?」

「正直謂れは分からん。だがこれまで社に入れるのは男の禰宜だけだった」

「叔父さんは何が言いたいんですか?」

「覚悟が要ると云うことだ。あらゆる意味で」

「それは…」

 今更言うことか?私は怪訝に思う。

「もしかしたら俺たちこそが、開けてはならないフタを解いてしまうのかも知れんな」

「選択を間違っていると?」

「失踪の意味を考えたことがあるか?」叔父は私を見る。

「意味?意味とはどう云うことです?」

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