第14話

 叔父はそう言うと大きな溜め息をつく。「連中が本気になったらこんなものじゃ済まない。お陰で気が振れた者だっているんだ」

「?」

「まんまと飛ばされたんだよ」

 叔父は憎々しげに応える。

「飛ばされた?」

「そうとしか表現のしようがない。気がついたらお前は消えてた。だから俺はここまで戻ってきたんだ」

 そう言われて周りを見ると、そこは車を停めた場所からそう遠くない「うつせみ公園」から伸びる遊歩道だ。

「何も覚えてないのか?」叔父。

「それが…急に目の前が真っ暗になって…それから今度は目が開けられないほどの光が」

「随分苦しそうにしてたからな。声を掛けなかったらそのまま死ぬかと思ったぞ」

「それは私もです」

 私はそこでようやく上体を起こす。一体どれくらいの時間が経ったのだろう。

「これで今日の予定はオジャンだ。どうする?一旦戻るか」

「済みません」

 私は一応謝る。

 仕方なく私たちは再び車に乗り込み帰路につく。辺りはまだ明るいが太陽は確実に傾いている。私は疲労と虚無感の残る身体をシートに埋めてその輝きを見る。

「心配をするな。初めはみんなそうだ」

「叔父さんも?」

「まあ、そうだな」

 叔父はさして面白くもなさそうに言う。「私のことは聞いてるだろう?」

「え?ああ、はい」

「不思議なものだな。時間だけが経ってもう四十年か」

 叔父はフロントガラスの向こうを見る。

「叔父さんは革命運動に参加されてたとか」

 私は訊く。

「そうだ。時代はもうとっくにピークを過ぎてたがな」

「公園建設前にも騒動があったんでしょう?」

「記憶には二種類ある。風化するものと、かえって先鋭化するもの。私の場合その両方だ」

「…」

「若い頃なんて皆どうしようもないもんだが、我々はその最たるものだった。何より自分たちを〝この世の救世主〟と言わんばかりの体たらくぶりだったからな。しかし世間も誰一人それを問い質そうとはしなかった。そうすることが怖かったし、大仰に構えることで真実から目を逸らしたかったんだな。今なら良く分かるよ。変わるべきは自分たちそのものだったんだ」

「一体何があったんですか?」

 そろそろ林道を抜けて人家が見えてくるはずだ。遥か向こうの真っ黒い山際には黄金色(こがねいろ)の太陽が今にも沈もうとしている。それはまるで何かの終わりを予言するかのように。

「キャンプをしていた。同じ仲間で」

 そして叔父は一人嗤う。「そう言うと格好もつきそうだが、実際は組織に追われて身を隠してたんだ。人目を避けての野宿ってのが真相だな」

「でもわざわざ地元に?」

「その辺が間抜けなところだ。後で気づいて山に籠る羽目になった」

「どれくらい?」

「ひと月ぐらいか。最初は楽しかったよ。命からがらってのがあったから、それまで口にできなかった組織の悪口を言い合ったりしてな。でもそんな生活がいつまでも続くわけがない。そんな事はよほどの馬鹿じゃない限り分かる」

 車はようやく人通りのある地域に戻ってくる。

「或る日麓の町まで買い出しに出掛けると妙な連中を見掛けた。連中は帰りのバスの中でも一緒だった。俺は連中を巻いて逆にその後をつけた」

「やりますね」私。

「そんな事ばかりやってたからな。初めはてっきり追手だと思ったんだ。組織が遂に自分たちを嗅ぎつけたんだとな」

「違ったんですか?」

「ああ、連中はうつせみ山を目指してたんだ」

 うつせみ山?確か当時は山林しかなかったはず。何故?

「そもそもどうして叔父さんはその人たちが妙だと感じたんですか?」

「生活感の無さだ。尤もそれは俺たちも同じだったがな」

 叔父は苦笑しながら応える。「日常生活の物腰って奴はそう簡単にはごまかせんものだ。どんなにそれっぽく見せてもな。要するに浮いて見えるんだよ」

 なるほど、そう云うものかも知れない。

「こう話してると思い出す。あいつらはうつせみ山を調べてたんだ。そして俺たちは遂に連中と相対することとなった」

「それが騒動へと繋がっていくんですね」

「まあ、そう云うことだ」

 街はすっかり暗くなっている。

「それにしてもその連中の目的は何だったんですか?」

「最初は分からなかった。なにせ山中を歩き回ってただ探し物をしているだけだったからな。慌てていた俺たちもやがて連中の行動そのものに興味を持つようになった」

 叔父は自宅に向かってハンドルを切る。「今もその詳細は分からん。ただ一つだけはっきりしている事がある。連中は何かの入口を探してたんだ」

 まもなく車は目的地に到着する。私は叔父の云う「入口」について考える。

 入口…それは青旗神社のことではないのか?それともまた別の?

「今日はどうする?少し話すか?」

 叔父は尋ねる。

「いえ、出直します」

「そうか。うん、それが良いかもな」

 叔父は少し考えてから頷く。「続きはその時だ」

「はい。叔父さん」

「何だ?」

「今日は思わず失敗しましたが、叔父さんの話が聞けて逆に良かったです」

 私は言う。

「修業が足りないんだよ。そんな奴を山に入れた自分の到らなさを今痛感しているところだ」

 そう言うと叔父はニカッと笑う。その笑顔はこれまで通りの、いつもの叔父の笑顔だった。


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