第13話

 私と叔父はオフロードカーで「うつせみ山」の駐車場に走り込む。山歩きなどほとんどしたことがない私を気にせず、叔父はどんどん先へと登っていく。健脚だ。仕方なく私はその背中だけを見落とさぬよう必死に歩を進める。

「心配するな。お前が邪心を抱えぬためだ。社は人心を読む。邪まな心の人間に社は道を開かない。集中して付いてこい」

 叔父が背中越しにはっきりとした声で言う。まるで山全体がそんな私たちを試しているようだ。言われなくてもひたすら付いていくしかない。私の耳には自分の間断ない呼吸音が人ごとのように響く。しかし不思議と耐えきれぬレベルではない。むしろ爽快感すら感じられるほどだ。

「叔父さん」

「何だ?」

 そこで叔父ははじめて私の方を振り返る。「まだまだ先だぞ」

「もしかしてこの辺り一帯が青旗神社の境内にあたるんじゃないですか?」

 私は歩きながら尋ねる。

「ほう、あながちお前も赤の他人ではないようだな」叔父。

「はい」

 私は叔父のすぐ近くまで追いつく。「この道は参道ですね」

「そうだ。だからこそ油断するな。気を抜くと違うところに連れてかれるぞ」

 その時私の脳裏にあの辰宮のことが思い出される。「やはり侵入者もいるんでしょうか?」

「蛇の道は蛇だ。何処ぞから嗅ぎつけてくる連中もたまにいる。しかし今のところ社に辿り着いたのは一人だけだ」

「一人だけ?」

「その話は今はいい。行くぞ」

 叔父は再び先頭を切って山を登り始める。私も後に続く。この道が参道だと思うと、私の足は更に軽くなるようだ。

 ザザッ。

 その時私の耳に障るものがある。

「気に留めるな。一歩一歩だけに集中するんだ」

 叔父の声が飛ぶ。「邪気の類だ」

 私は尚も進む。さすがに疲れが出てきた。しかしとにかく今は足を前に動かすしかない。時折目の前に陽のかげりのようなものがちらつく。これが叔父の言う邪気なのか?

 もうすぐだ…。

 叔父の声がすぐ近くで聞こえる。私は思わず歩みを緩めそうになる。

「まだだ。まだ歩みを止めるな」

 次に遠くから叔父の怒声が聞こえてきて私はハッとする。しまった。私は何かに気を盗られようとしている。慌ててまた叔父の背中を追う。

「叔父さん、これは?」

「邪気もお前に反応して強くなっている。とにかく今は前だけを見ていろ」

 そう言うと叔父は自分が羽織っている上装束を脱ぎ捨てる。するとそれが落ちた周辺の草がザザッと波立つ。「連中もまだ滅多な事はできない。急ぐぞ」

「はい」

 私たち二人は再び歩き出す。叔父はもうほとんど小走りだ。仕方なく私もそれに倣う。その背後から幾つもの気配が猛スピードで迫ってくる。私の身体は総毛立つ。

 待って…。オイラたちも連れてけ…。

 いくつもの声が私の耳元で囁く。妖怪?いや、まさか。そんなはずはない。

 社に入ろう…。皆で社に入ればきっと…。コイツの背中に取り付け。

 瞬間首の後ろに重い熱を感じる。眩暈が視野を狭くする。

 何なの、これは?私はもうほとんど声を上げそうになる。

 バンッ。

 突然何か壁のようなものに身体をぶつけ目の前が真っ暗になる。それと同時に胸を強力な力で圧迫され自分の足がもつれ出すのを感じる。

 しまった。

 私の脳裏に「奈落」の二文字が浮かぶ。その時、闇の底が抜けた。


「まんまとやられたな」

 低い声が近くで聞こえる。叔父ではない。私は目を開けようとしてその眩しさに思わず呻き声を上げる。「あなたは…?」

「横になってなさい。どうやら鍛え方が足らないようだ」

 声は私を見下ろして言う。私は仕方なくその指示に従う。

「ヴァラマは足を狙う。油断するとそうなる」

「ここは…」

「ははは。夢でも見たのか、キート」

 はははは…。

 笑いが頭の中で木霊する。それは草原を走る風のように、私を見知らぬ場所まで運ぶかのよう。

 キート?一体誰の名前だろう?知らないはずなのに何故か懐かしい。

 私はじっと耳を澄ます。そうしているとまた別の笑い声や風のそよぎ、水のせせらぎまでが感じられるようだ。ここは一体何処だ?私は目を開けようとするが、どうしてもその輝きに耐えきれない。

 起きろ。

 その時、また聞き慣れた声がする。しかし私はどうすることもできない。身体を動かそうとするが何かに縛られたかのように身動きが取れない。

 起きろ。

 また声がする。困った。今は声すら上手く出せない。

 すると次の瞬間私の口を何者かが力づくで塞ぐ。私は咄嗟のことでパニックになる。誰か助けて。このままでは私は…。

「起きろ!」

 その声で私は跳ね起きる。目の前にはいささか取り乱した様子の叔父がいる。何やら聞き慣れないお経のようなものを小さく唱えている。

「叔父さん。私は…ここは?」

「…やれやれだ。まあ初めてじゃ仕方ないけどな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る