第12話
「タイちゃんの言いたいことは分かった。でも私は商売としてそれだけでは困るんだよね」
「何もするなと云うことじゃない。それにチーちゃんはこれまでも好きに生きてきたんだ。僕は言うほど心配はしてないよ」
私は太一郎のその言葉に思いがけず救われる。
「喜んでいいのかしら、それ」
「もちろん」
太一郎は応える。「謎は謎として、僕らは立ち向かわなければならない。もしかしたら…」
「?」
「案外チーちゃんは、その先鋒なのかも知れない」
私は歩みを止めてもう一度太一郎の顔を見る。
声。
私は都司さんから聞いた、発掘現場での話を思い返す。
一体どんな声がしたんだろう?
声はその場にいた人たちに何かを囁きかけた。それは決して怖いものではなく、静かに挨拶を交わすようであったと云う。それで云えば辰宮が怖れているものとは何か本質的に違うと感じる。
私は想像する。遺跡の住民たちが永い眠りから覚め、今のこの世の中を見たらどう感じるのか?驚きと懐かしさ、それと「何故自分たちは目覚めたのか」…。
やはり叔父とはもう少し突っ込んだ話をする必要がある。今更ながらだが叔父が何を考えているのか私は分かりかねている。先ずはそこからだ。
深夜の自室。パソコンの前に座って一時間以上になるがいっこうに文章が浮かんでこない。どう云うこと?私は考える。結局自分は状況に呑み込まれ、独り翻弄されているに過ぎないのではないか?そんな虚しさが俄かに湧き起こり負の感情が闇へと連鎖していく。これは〝呪い〟だ。
むしろこのまま何もしないのが一番良いのかも。そうも考える。しかし現に失踪事案は増え続けている。まさに水面下の流行り病のように。辰宮を擁護するわけではないが、ジャーナリストとしてこの状況を追わないわけにはいかない。私はずっとそう考え走り続けてきた。闇雲に、そしてひたむきに。
それなのに何故?私は停止したままのパソコンカーソルの点滅を眺める。
世界では今「コンプライアンス」が大流行りだ。誰もかれもがその名の下に断罪者になろうとしている。そのくせ力のある者には目を背け、諦めと云う保身を体裁良く決め込む。私には大義をカタカナにすることで本当に目を向けなければならないものを自らぼかしているとしか思えない。特徴的なのは皆が「謝り下手」と云うこと。すると当然「失敗」を怖れ「有能」な自分を演出しようとする。たとえそれがより本質的な「失敗」を遅かれ早かれ招き入れることになろうとも。
何の為に?生活の為と云うのならまだ可愛い。しかしどうやらそんな健気さは感じられない。むしろもう充分過ぎるほど金銭豊かな者たちにこそその傾向は強い。彼らは忘れている。平凡で日常的であることがいかに貴重で、かつ発展的であるか。ところが彼らは「成功」と云う一時的なスローガンに救いを求め、かえって精神の砂地獄に嵌りあえいでいる。そして更なる「成功」にすがろうと無限にもがくのだ。
狂っている。この国、或いはこの世界の趨勢は間違った方向に進もうとしている。このままでは社会全体が個々人に実体を見失うような生き方を要求しかねない。そしてその勢いは個々人が到底せき止めきれるものでもない。その事が私を今この上なく憂うつにさせる。失踪事案=人々が次々と姿を消しているのは、その忌わしき未来へのささやかな抵抗ではないのか。ならば私がこうして躍起になっていることにどんな意味があるのか。それどころか邪魔立て以外の何ものでもないのかも知れない…。
私の頭が音を立てて軋む。血流が逆巻き出す。次第に意識すら遠のくようだ。
いや、ちょっと待て。私はそこではたと思い当たる。
そうか。俯瞰できていない自分。少なくとも私はそれには気づいている。
むしろ私の役割はその社会の行末を見届けることなのだ。一部始終をこの目で捉える。そう、私にとって大事なことは「森川家として何かをする」ことではない。「一個人として観察し続ける」ことなのだ。
どうしてそんな簡単なことに気づかなかったのだろう。私は自分を可笑しく思う。
その当事者たちの傍らで私が自ら在り続けること。それは自由でいることに他ならない。とらわれなくその場に居ること。そして眼前の光景に相対しながら自分らしく、人間らしく関与していく。
言い換えれば、空っぽの自分。それだけのことではないか。
「叔父さんの事?いやあ、あんまり聞いたことないなあ」
いささかお疲れ気味の兄は応える。「何だ。うつせみ神社絡みか?」
「それが分からないのよ」
私は頬杖をつく。兄は困ったような表情で笑い、自分で用意したこぶ茶を啜る。
「ウチと神社は付かず離れずの関係だけど、お互いの事はほとんどノータッチだからな」
「叔父さんが革命運動家だったってことは?」
「へえ、初耳だな。血は争えないってことか」
「どう云うこと?」
「だってあそこの血の半分はウチと同じだからな。世直し気質が混じっててもおかしくないだろう?」
世直し気質か…。私は複雑な気持ちになる。
「じゃあ、私はどっちの方なんだろう?」
「さあ、そんなこと考えたこともなかったな。だけど血の呪いだ、これは」
「呪い?」呪い。
「お前考えたことないか?この家に生まれると否が応でも人生を制限されると」
「それは…」
「違うか?」
兄はもう一度お茶を啜る。「小さい頃からの刷り込み。でも時々ふっと過るだろ?もっと普通の家に生まれてたらって」
私はその何気ない問いにかえって狼狽する。兄もやはりそんなことを考えていたのか。
「でも今更そんな事言ったって」
「その通り。だから俺たちは小さい頃から半ばそれを暗黙のうちに受け入れた。いや、受け入れたフリをしていた。それがこの家で生きていく者の当然としてだな」
「…」
「だけど精神は自由だ。現実から離れた想像もする。そして俺はそれでも構わないと思う」
「何それ」
「叔父さんは何かを見て、そうして悟ったんだろうな」
「何を?」
「自分が対峙しなければならないもの。向き合うべきもの」
「それって…」私は兄の顔を見る。
「あとは直接聞いてみろよ。俺からも頼んでみる」
兄はそう言うと席を立とうとする。「それからな、俺に子どもが生まれたら」
「?」
「お前ももう叔母さんだ。自分の背中を追う人間が身近にできるってことだぞ」
私は黙ってその不意打ちを受け取るしかない。
「昔あんたの父親から釘を刺された。『子どもらを巻き込むな』って」
「父から?」
「色々迷惑を掛けたからな。その約束だけは守ろうと思った。しかし結局あんたは自分で嗅ぎつけてきた」
「叔父さん、今宮前全体で怖ろしい事が起きようとしているの。良からぬ事を企てる者の存在も」
私は投げかける。「叔父さんは何を感じ取ってるの?」
「キワだ。それが揺るぎかけてる」
「どう云うことです?」キワ?
「お前が見ているのはそれからの反射、防衛みたいなものだ。本当の懸案は別にある」
「?」
「確かに良からぬ事を考えている者の気配は感じる。しかし実際の脅威はそれじゃない」
「では何なんです、それは?」
「侵攻だ。一旦そのキワが破られればマズいことになる」
私は思わず次の言葉を呑み込む。侵攻?キワが破られる?
「何が、来るんです?」
「一言で云えば亡者の類だ。しかし本当のところはよく分からん。何しろ実体のない連中だ」
「ちょっと待って下さい。それは…」
「どうだ。あんたの頭には収まりが効かんだろう。あんただけじゃない。何かと結論を急ぐ現代人には受け入れようがないんだ。私も親から引き継いだ時は何かの冗談かと思った」
叔父は苦笑する。「しかしこれはまぎれもない現実だ。どんな人間の心にもどす黒い闇があるのと同じにな」
「ではどうすればいいんですか?それに対して」
「だから先を急ぐな。その心の隙こそがキワを脆くする」
叔父は私をじっと見据える。「形勢は良くない。お前の言う良からぬ事を考えてる人間はその点実に辛抱強い。おそらくもう何十年もこのタイミングを狙ってたんだろう」
「もしかして…」
私の頭を或る事柄が占め始める。宮前の再開発計画。
「既にこちらは負け戦の態だ。慌てたところで仕方ないぞ」
叔父は私の考えを見透かしたように言う。「お前、青紙の事は知ってるだろう」
「あ、はい」
意外だった。叔父は失踪者のインタビューで頻出する「青いチケット」のことを言っているのだ。「それが?」
「うちの社には一棹の御旗が奉納されている。その御旗の色が正しく〝青〟なんだ」
「ええ?」
「随分古い代物らしい。だが見た目はそうでもない。それどころか時によってはその色が鮮やかに移ろう。北の大海原のように」
「…」
「世の中の状況に即応することもあれば、微妙にズレることもある。最近その変化に変調が見られてな。だから私はいつも山を見ている」
「山?うつせみ山ですか?」
「そうだ」
叔父は静かに応える。「もう良い頃合いかも知れんな」
「はい」
「うつせみ神社には別に本殿がある」
「え?本殿」初めて聞く。
「ただそこは永く秘匿されてきた。息子にもまだその事は告げていない」
「どうして?」
「あいつにはまだ無理だ。今できるのはまずうつせみ神社を守ること。それだけに専念させる。なにより俺より上の世代が残してきた問題だからな」
「それを何故今私に?」
「お前さんが望んだんだろ?だからこうやって俺ん家まで来た。現当主の言伝まで持って」
叔父は兄がしたためた短い手紙を私にかざす。「まあ、いい。時代はもうとっくにお前たちのものだ。年寄は発(た)ち跡(あと)を汚(けが)さんようにするだけさ」
叔父の顔はそんな言葉とは裏腹にまだまだ若々しい。おそらくこの人も自分の真の仕事の為にそれこそ長い時間をかけてきたのだろう。私はそう考える。
「本殿とは?」
「青旗神社と云う。おそらくその名を知る者はほとんどいないだろう。不思議なことにこの社は誰でも辿り着ける場所ではない。よって誰も知らない。だからその秘密も保持されてきた」
「秘密?」
私は問う。どう云うことだ。何故今になって叔父はそこまで触れようとしている?
「敢えて云えば、其処(そこ)は恨みつらみを封印した場所だ。それもここ数百年のレベルではない。下手したら数千年、古代史以前まで遡る可能性もある」
古代史。私はその言葉に反応する。
「叔父さんはそこで何を?」
「単純に管理だ。それは先祖たちによってこれまでも細々と続けられてきた。しかし今は明らかに様相が違う」
「違う?」
「霊力が弱まってきている。おまけに社自体の老朽化。このままでは近い将来倒壊は免れんだろう」
「じゃあ、叔父さんはそれを独りで?」
「役が回ってきたと云うだけだ。ようやく時間と労力を割ける身分になった。案外気分転換にもなる」
そう言って叔父は低く笑う。
「今度私も連れていって下さい」
「社がどう思うかだ。招かれざる客はこれまでもいたが碌な事にはならなかった」
「それは比喩的な意味ではなくて?」
「いかにも今時の人間の言い草だ。世の中にはな、不思議は早々転がっていない。だが自分の見聞だけでは測れんものも数多くあると云うことだ」
「でもちょっと信じられません」
「それはお前の自由だ。信仰と同じでな」
すると叔父はすっくと立ち上がる。「付いてくるのは構わんが責任は持てんぞ」
その言葉に私は慌てて出発の準備に取り掛かる。
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