第11話

 失踪事案と「うつせみ神社」との思わぬ繋がり。叔父はそのことを了解しているのだろうか?

 やがて正面鳥居までやってくる。久し振りだ。ここだけは何があっても変わらない風情と風格がある。境内へ足を踏み入れる。

 何だろう?

 私は違和感を覚える。足元が冷たく感じられる。立ち止まって下を見る。特に変わったところはない。敷き詰められた玉砂利があるだけだ。

「あれ、どうしたの?」

 すると従弟であり、今は義兄となった太一郎がひょっこり姿を現す。このところ少し太ったようだ。「珍しいね」

「たまにはお参りでもしようと思ってね」

 私は軽口を叩く。

「ああ、例の件か。親父に振られちゃったんだろ?」

「まあね。でも声掛けしてきたのは叔父さんの方なんだよ」

 あの日叔父は短い置き手紙を残していた。「買い物に出てくる。鍵は玄関マットの下」それだけの文面。

「あの人はいつも結論だけ。あとは『自分で考えろ』ってさ」太一郎。

「だから私はこうやって方々をうろついてるわけ」

「親父が言うならヤバいことには違いない。でもチーちゃんはその中身がどうしても知りたい。そんなところかな」

「おかしい?」

「ん。何だか今はチーちゃんが意地になってるふうにも思えてさ」

「私が?」

「僕の気のせいかも知れない。だけど他にももっと大切なことがあるんじゃないだろうか」

 太一郎はさらりと言う。脳裏に早苗の言葉が過る。

「大切なこと?」

「そう。何かに一所懸命になることは素晴らしい。でもその分視野は狭くなる。チーちゃんはどうだい?」

「私が何か大切なことを疎かにしていると?」

「いや。僕が言いたいのは時々立ち止まってみることも必要なんじゃないかと云うことさ」

 私は太一郎の真意を測りかねる。

「叔父さんはどうなの?」

「あの人は自由なんだよ。元々そう云う人だけど、今は規律とかしきたりの世界から解放されて、一気に本来の自分を取り戻した感だな」

「何それ?」

「知らないか?あの人、学生の頃は革命運動家だったんだぜ」

「?」

 これまた初耳だ。次の瞬間私の中で或る事が繋がる。叔父が言っていた「うつせみ山」での騒動。

「挫折したんだよ。内部抗争みたいなことが起きてさ。結果的に親父は自分の身の程を知ったってことだな」

「それは誰から聞いたの?」

「死んだ爺さんからだよ。よくある七十年後半の群像劇。でもそれがきっかけでそれまで頑なに拒んでいた神主修行を親父はやる気になったんだと」

 そうだったのか。

「叔父さんから直接聞いたことは?」

「全く。まあ自慢できる類でもなかろうし」

 太一郎は笑う。尤もだ。

「大切なことって何だろう?」私は改めて尋ねる。太一郎はにっこりとした表情をこちらに向ける。

「僕だったら先ず家族かな。この神社って言い切れるまではない」

「正直なのね」

 私も微笑んで返す。「私にとって大切なもの…か」

「大層なことじゃないよ。そうやって時々立ち止まる余裕が必要だってこと」

「ははあ、確かに苦手科目かも」

「チーちゃんは身内にもアンチ、多いからなあ」

 私たちは思わず苦笑する。こうして見ると普段はなんとなく頼りなげな太一郎にも案外「うつせみ神社」禰宜としての貫録を感じるから不思議だ。それとも私たちは普段から近過ぎる存在なのか。

 どちらにしても私の親戚からの評判はあまり芳しくないらしい。それは今に始まったことではないが、太一郎にこう正面切って言われるとさすがにこたえる。

「で、今日はどうしたの?」

「うん、単純に煮詰まってね。いろんな人に会っていろんな話を聞くけど、核心は私の近くをぐるぐるおどけて回るだけ。どうすればいいのかなって」

 そうだ。俯瞰できていないのは他でもない私自身なのだ。

「…」

 太一郎は急に沈黙する。辺りに神社本来の静けさが戻る。私は思い出す。小さい頃からずっと感じていたこと。此処は小さな宇宙だ。

「最近ささやかな異変を感じるんだ」

 太一郎が口を開く。「でもそれは仕方のないことだと思う。風が吹けば林が揺れるように、僕たちもしなやかさを持って生きなければならないと思う」

「しなやかさ?」

「そう。僕らには大切なものがそう多くあるわけじゃない。失いたくないものが溢れているだけだ」

「タイちゃん」

 私は慣れた呼び名を口にする。

「親父も多分そうなんだと思う。だからこそ神職に就いてから以降はとことん自分からいろんなものを削ぎ落としていった。それそのものを信仰と信じて」

「信仰?」

「そうさ。そうすることでいつも何かに研ぎ澄ませておくんだ。感覚をね」

 感覚を、研ぎ澄ます。

「異変ってどんな事?」私。

「時たまこの境内に緊張が走るんだ。何かが見えるわけじゃないけど」

「それは…」

「悪いものの気配じゃない。だけど空気がぶれる感があって、自然と気持ちがざわめく」

「いつから?」

「もう1年近くになるかな。親父も知ってるよ」

「叔父さん、それについては?」

「特には何も。変わった様子もなかった。だから僕もあまり気にしないでいたんだ」

 太一郎は応える。そうか。やはり叔父は知っていた。

「でもそれは今も続いている」私は問わず語る。

「そう。そして段々とそれが当たり前になってきてる」

「何だと思う?」さっきの足元の冷たさ。

「分からない。ただ闇雲に動いても仕方がないと思う。それよりも今の自分をしっかりと振り返っておくべきだ。僕らはすでに多くのものを持っている。そして体験もしている。今のうちにそれを点検しておくんだ。場合によってはそれらを投げ出さざるを得なくなるから」

「投げ出す?」

「ものの喩えだよ。でもちゃんと点検しておけばいざと云う時に慌てずに済む。そして未知なるものへ心を開くことだってできる」

「あなたも宗教家らしい事を言うのね」

「止せよ」

 太一郎は眉をひそめる。珍しい表情だ。「僕も親父と同じでこの仕事が好きでたまらないと云うわけじゃない。家を継ぐ上で仕方なくって感じさ」

「分かってるわよ。でもそれにもあなたなりの意味があるんでしょ?」

「そうだな。自分には自分の役割がある。それは居場所であり、僕の場合まさしくこの家だったってわけさ」

「…」

「失踪の話を聞くとさ、そのことを考えるんだ。その人たちは自分の居場所を見つけられなかったのかもって」

「そうかも知れない」

 私は応える。確かに、そうかも知れない。

「自分で見つけるしかないんだよ。そしてその方法は…」

 太一郎の話を聞きながら、私は昔いとこ同志で盆正月に集まってあれこれ話をしていたことを思い出す。そう云えばその頃の太一郎はどちらかと云うと寡黙な少年だった。今と違って一人で何を考えているか分からないことがあったほど。こちらが声を掛けるとはにかんでぼそぼそと冗談にもつかないことを口走っていた。私たちはそれぞれの立場を思い図って、それをいとこ同志で共有していたのだろう。そして無意識にその宿命(さだめ)の果てを探っていた。自分たちは一体何からこの宮前を守らなければならないのか。そしてそうさせたのは誰なのか。

「今の世の中、途轍もなく自由でいて、でもその自由を謳歌することは並大抵ではないから」私。

「そうだね。まるで大海原に浮かぶ小舟の如くだ。周りにばかり気を取られていると船が沈みかけていることにも気づかない」

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