第6話

「兄さん、再開発計画の担当者って会ったことある?」

 私は県会議員の兄、遼一郞に質問する。

「あ?ああ、知ってるよ。何だか薄気味悪い奴だな」

「薄気味?どんな風に?」

「腹の中でどす黒いことを考えてるヤツはいくらでもいる。しかしその安川って人間は或る意味普通の市役所職員だが、遠くで観察しててもまるで実体が掴めない。そもそも実体があるのかも分からない」

「何それ?」

「だからそう云う人間なんだよ」

 兄はそれ以上話したくなさそうだった。私はそれでかえって興味を持つ。

「再開発のこと、どう思う?」

「準備はしてたんだろう。以前から話には出てたからな。しかし県では今のところ再開発はタブーなんだ」

「どうして?」

「人手不足で建設業が回っていかない。それにこのところの自然災害で県も治水や建設基準を見直す時期に来てるんだ。そんな目新しいものに手を出す余裕はないってことさ」

「本来ならお祭り騒ぎが好きそうだけどね」

「別の妙案があるんだよ」

「?」

「例のオスプレイ配備計画。あれで某国と国から結構な補助が出る。県のお偉方はそっちの方が手堅いってさ」

「なるほどね」

 しかし、だとしたら市が行っていることは?

「まあ、市のことに口は出せないが、計画自体はかなり緻密らしい。無理もしていない。手回しも良い。まるでなるべくしてなるかのように」

「なるべくして?」

「奇妙な符合があるってことさ。大がかりな事業と云うものは途中で予期せぬ事案も持ち上がりやすい。そこで税金が無駄になる。進退さえ問われる。ところが宮前の再開発では今のところそう云った話は聞かない」

「情報操作とか?」

「あり得ないね。人の噂話は速い。特にこれだけの規模ならね」

 遼一郞は返す。「ところでお前は一体何を追っかけてるんだ?」

「そう来ると思った」

 私は苦笑する。「ミーハーな兄さんにはあんまり喋りたくないけど、今後の事もあるからね」

「そうそう」

 兄は嬉しそうに頷く。

「失踪事件が増えているのは話したわよね」

「雑誌の投稿だろ」

「タウン誌ね」

「ああ。でも信憑性に乏しいって言ってたじゃないか」

 兄とその話をしたのはもうふた月も前になる。

「フィールドワークを続けてたら、それが個々バラバラな現象ではないって自然に分かってきたの」

「何?じゃあ失踪がまるで集団ヒステリーみたいに起きてるってことか?」

「そうね。そうかも知れない」

 私は応える。兄は上手い表現をする。集団ヒステリーなら社会不安や潜在的恐怖が背景にあることが予想される。古今東西見られる現象だ。しかし規模的にはやはり変だ。宮前一帯で、と云うのはあまりにも現実から離れている。この地域にそれほどの凝集性があるとも思えない。

 ん?

 何かが私の中で繋がる。いや、何かが私に触れた感がある。もしかしたら何らかの影響でこの地域の凝集性が高まっているのかも知れない。かく云う私自身もその範疇でこの事案を追ってきたのではないか?

「おい、どうした?」

 兄が声を掛ける。「あんまり思い詰めるなよ。ミイラ取りがミイラになったら洒落にもならんだろ」

「分かってるわよ」

 私はそう応えて我が家の居間から自分の部屋へと戻る。そして改めて兄とのごく短い会話で思わぬ進展があったと感じる。

 では何の為の集団ヒステリーなのか?人が消えて、その後どうなると云うのか?

 私は頭を小さく振る。

 どうもなりはしない。突然想定外のパニックが起きて騒然となった状況は、波立った水面のように周囲へと伝播していく。やがてその流れは人心の表面張力に馴染みながら力を失い、そして遂には消えていく。

 消えていく?

 私の中にかすかな違和感がある。ではあの失踪から戻ってきた者たちは何だ?

 急に私の中で新たな興味関心が生まれる。

 彼らはただ帰ってきたわけではないのかも知れない。


 伝手を頼って私はその「帰ってきた者たち」にコンタクトを願い出た。だが彼らに会うことはそれまで以上に困難を極めた。何故ならそれは、既に彼らが「再び失踪」していたからだ。しかも今回は最初の時と明らかに様子が違った。迎えが来たのだ。家族でそれを見た者はいなかった。職場や学校、そして外出中に彼らは声を掛けられ誘われるままに何処へかと姿を消したらしい。

 もちろん警察にも問い合わせた。しかし彼らの消息は杳と知れないまま、そして私の疑問もまたもや宙に放り出される形となった。

「言い訳するわけじゃないが、防犯カメラを見る限り彼らは無理矢理拉致されたわけではなさそうだ。警察としても現状では行方不明で捜索するしかないんだよ」

 鷺谷刑事は私に言う。「それにな」

「はい」

「ロクでもないことにあまり首を突っ込まない方がいい。私も知らん仲ではなくてな、あんたの親父さん」

「そうなんですか」

 初耳だ。私は相手の顔を見る。「でも、それとこれとは…」

「勘だ。今回のはヤバいと思う。そして危険この上ない。意図的に状況を操作している奴がいる」

「そうなんです。私もそう思うんです」

「残念ながら到底私の手に負える気がしない。教えてくれないか。一体何がこの宮前で起きてるんだ?」鷺谷刑事は憎々しげに問う。

 その時私は急に疲労感に見舞われる。何だろう?軽く眩暈すら覚える。

「おい、大丈夫か。顔色が悪いぞ」

「ええ、平気です」

 私は席を立つ。周りの警察職員もこちらの方を窺っている。

「どうもお邪魔しました。またお話を聞きに来ます」

 鷺谷刑事はそんな私を少し眩しそうな表情で見送る。私はそれに会釈しながら考える。そもそもこの地域の凝集性って何だ?

 思いがけず外は快晴だ。駐車場に並ぶパトカーの窓ガラスにも抜けるような青空が映り込んでいる。

「お久し振り」

 表通りに出たところで私は声を掛けられる。咄嗟の事で相手が誰か一瞬分からない。

「どなたでしたっけ?」

「富田だよ。高校で一緒だった」

「あ~」

 私はなんとなく思い出す。今日は一方的な知り合いによく会う日だ。「どうして?」

「いや、君がタウン誌を作ってると聞いてね」

「うん」

「ちょっとその辺でお茶しないか?」

 そうして私は同級生と場所を移す。


「僕の研究室でも話題になっててね、その失踪事案」

「そうなの?」

「そりゃそうさ。人ひとりが消えるんだよ。周りが騒然となるのは当然だし、それが頻発してるとなるとね」

「えっと、富田君は何の研究をしてるんだっけ?」

「犯罪心理学」

「へえ、面白そう」

 どうやら同級生は今や大学の心理学教室で働いているらしい。

「特に発生プロセスを研究してる。防犯心理学と云ってもいいかな」

「なるほどね。じゃあ、富田君的にはこの事案をどう考えるの?」

「まだそこまで行き着いてないよ。だから君に会いに来たんだ。情報をもらいに」

「いいけど話せない事もあるよ。個人情報に係る事案だし」私。

「僕が知りたいのはあくまで君の見解だよ」

「私の?」

 私は富田君の顔を見つめる。何とも取り留めのない、不思議な顔だ。それに少年の頃の面影がない。男子ってこんなに変わってしまうんだ。いや、もしかしたらそれは女子だって同じかも知れないが。

 私は加藤嘉子の手紙を思い出す。「最近昔のことを思い出してたの」

「昔?失踪事案と何か関係があるの?」

「分からない。でもいつの頃からかそんな気がずっとしててね」

「それで君はあちこちいろんなところに出没する」

「知ってるの?」

「タウン誌の編集部に連絡してもなかなか繋がらないからさ。今日はたまたまラッキーだった」

 富田君はにっこりと笑う。つられて私も笑う。

「確かに色んなところで色んな人に話を聞いたけど、結局コレって云うものには私も行き着いてないわ。ただ…」

「ただ?」

「大きなうねりとそれを見越して何かを画策している者たちを感じるの」

「…」

「途方もない話って思うでしょうけど、これは多分確かなことだと思う」

 私は応える。

「研究室の仲間が聞いたら少なからず妄想って言うだろうけど、僕は一応信じてみるよ。何より君がこの事案をどう受け止めているか興味があるからね」

「どうして?」私は同級生のその拘りが引っ掛かる。

「犯罪と云うのは個人の認知と社会モラルの狭間にある。君の言う何事かを画策している連中の考えてることと今の社会にどんな隔たりがあるのか、僕はそれを知りたいんだよ」

「富田君、君ってすっかり研究者なのね」

 私は感心して言う。

「食べる為さ。今は押しつけられて大学付属の施設顧問までやってるよ」

「すごいじゃない」

「だから仕方なしだって。そこには所謂社会内処遇を言い渡された人たちが入所しててね、まあ色んな話が聞けるんだな」

「面白そう」

「一度君も見学に来てみたらいい。最初は不思議な気持ちになるかもだね」

「そうなんだ。でも、どんな風に?」

「フワフワした感覚になる。怖くもあるし、慣れると興も乗ってくる」

 そう言うと富田君はおもむろに席を立つ。「じゃあ、そろそろ時間だから行くね。これからピンチヒッターの講義が入ってるんだ」

 そして私の分までお金を払い喫茶店を出ていく。

 彼は私に訊きたい事が訊けたのだろうか?私も立ち上がろうとするが、その時テーブルに名刺が一枚置いてあるのに気がつく。富田君の名刺。

 抜け目はないな。私はそれをそっと財布のケースに仕舞う。

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