第7話

 その建物には個性がなかった。もちろん建物は建物だ。機能的であればいいと云う考え方もある。それにしても目の前の建物(それ)は、只の入れ物と云う自分の運命を黙って受け入れているかのように或る意味荘厳ですらある。

 受付に行くと特に愛想もない女性職員が「これにご記入を」とバインダー、そして消しゴム付き鉛筆を差し出す。まるでここは何かの入院施設のようだな。そう思いかけたところで私は今更ながらに気がつく。そうだ、ここは刑余者たちの入所施設、それもメンタル系疾患を抱えている者たちの謂わば監護施設なのだ。

 書いたものを返す時、受付の女性職員(二十歳前後?)はちらっと私を見る。その眼差しが思いがけなく鋭かったので私は一瞬たじろぐ。

「ああ、よく来たね」

 その声のした方を向くと、そこに富田君が白衣姿で立っている。

「今、受付をしてたところ」

「そう。じゃあ、行こうか」

 彼は今来たであろう廊下をさっさと歩いていく。ぺたぺたと彼のスリッパの音が辺りに響く。静かな圧迫感がある。私は自分が緊張していると思う。

「本当に見学だけでいいの?」

「うん、富田君の職場を見たくなっただけだから」

 それは半分本当で半分は嘘だ。彼からもらった名刺を眺めていたら、ふと私の中で犯罪者と失踪者の心理が重なり合うように思えたのは事実。だが今直接入所者の話を聞くことで逆に影響を受け過ぎてしまいそうにも思えた。なら富田君と云う仲介者を一先ず通してみよう。そう私は考えた。

「ここにいるのはどう云う人たちなの?」

 私は改めて尋ねる。

「半公半民の更生施設のようなものだからね。身寄りも行き場もない人たちが多いね」

「じゃあ、長くいる人も?」

「そうだね、今は平均して1、2年かな。就労支援もしてるから大体それぐらいで自立するよ」

「大変そう」

「最初はね。で、僕ら心理担当者の出番ってわけだよ」

 私たちは縦広い部屋に入る。どうやら応接スペースのようだ。中央のテーブルにはおそらく富田君が用意したであろう様々な資料が置かれている。私は座って早速それらに目を通す。

「ほら、見てごらん」

 富田君が奥にある窓の外を指差すと、そこには大きな中庭があり何人かの人が作業的なことをしているのが分かった。

「あれ何やってるの?」

「この施設の維持管理に入所者も関わってるんだよ。掃除をしたり、電気工事担当や中には看護師までいる」

「へえ」

 私はその話を聞いて逆に彼らの闇の深さを想像する。富田君の説明は続く。

「それでもやっぱり上手くいかない人も或る一定の割合でいるんだよね」

「そうなの?」

「うん。で、そう云う人はまた別の施設を利用することもできる」

「別の施設?」

「その話はまた今度。今日は僕も君の話をじっくり聞きたいと思って上役に許可を貰ったんだ」

「あ、そうか。でも私の話なんてそもそも富田君の役に立つの?」

「君はもう忘れたのかい?」

「何を?」

 私は問い返す。

「ちょっと待っててね」

 彼は置き電話で何処かに電話する。するとドア辺りで金属音がする。

「どうかしたの?」

「念の為にね」

「?」

「君はこの失踪事案が宮前の或る特性に基づくんじゃないかと思ってるんだよね」

「そうね。そうだと思う」

「何だと思ってる、それ?」

「え?」

 咄嗟の質問に私はまごつく。「どう云うこと?」

「皆んな忘れちゃったんだなあ、本当に」

 彼は哀しそうに苦笑する。

「どうしたの?」

「ん。いや、なんでもない」

 富田君は頭を振る。「君がここに来たいと思った理由は?」

「そうね。失踪することと罪を犯すことってどこか似ている気がしたの」

「なるほど」

「分かる?」

「何となく。どちらも不意に社会や日常からいなくなるんだ」

「そうとも云えるわね。それってどんな理由からだろうと思ってね」

 私は応える。

「繋がりが切れた。そう言う人もいるね。分からなくはない。しかし日常的に犯罪を犯す人間だって世間にはたくさんいる」

「そうね」

「そもそも法律自体絶対ではないからな。その時代で犯罪の構成要件だって変わる」

「確かに。でも繋がりが切れるって表現はしっくりくるわね」

 私は今頃になって鷺谷刑事の言葉が腑に落ちている。

「失踪のことだね」

「うん。だけど私がインタビューした限りでは少なくとも家族や知人たちは本人のことをとても心配していたわ。とても繋がりが切れているようには思えなかった」

「周りはね。問題はそれを本人がどう受け止めているかってことさ」

「本人にとっては違ったってこと?」

「そうじゃない?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る