第5話

 私がまず連絡したのはやはり教育委員会だった。つまり同級生の消息を知る手掛かりについて。しかし個人情報保護の兼ね合いで開示は不可能と云う返答。確かに嘉子の探索は公益性としては極めて低い。本来なら「個人間で好きにやってくれ」の範疇だ。しかし友達がいなかった嘉子についてはその筋も最初から切れている。私は考えあぐねた末、同窓会幹事をしている男の子(!)に電話してみる。

「ああ、覚えてるよ。何度か元の住所を頼りに探してみたことがあったよ。結局返事は来なかったけどね」

「え?じゃあ本人の住所に行き着いたの?」

「うん、元の住所近くに親戚が住んでたんだよ。ほら、あそこの親って問題ばかり起してただろ。地域でも相当肩身が狭かったみたいよ」

 なるほど、そう云うことか。

「じゃあ、その親戚を尋ねたら彼女の居場所分かるかしら?」

「どうだろうね。でもどうして今更その子のこと探したいの?」

「彼女に確かめたいことがあって。あの子じゃないと分からないの」

「ふ~ん」

 男の子は気のない返事をする。「居場所が分かったら教えてよ。また同窓会の案内送るって」

「分かった」

 電話を切りながら私は奇妙な感慨を抱く。男子って不思議だ。親切なのか、ただの鈍チンなのか、まるで分からない。小学生の頃も私は男の子を全く別種の生き物のように感じていたが、この歳になっても印象はあまり変わらないものなのか。

 ともかく私は加藤嘉子の元家の周りで彼女の親戚を探してみる。地域自体がだいぶ様変わりしているが、聞き込みをしてなんとか相手を探し当てることができた。

「ええ、従兄ですよ。彼女は今大阪だと思います。やり取りがないんでそれ以上のことは分かりませんけどね」

 男は最初自宅玄関から顔をのぞかせ、私が用件を言うと表に出てきた。悪い人ではなさそうだ。「あの、一つお伺いしたいことが」

「はい」

「彼女、小学生の時に急に転校しましたよね。どうしてですか?」

「両親が失踪したんですよ。それで弟と一緒に県内の施設に預けられたみたいですよ」

 失踪?ここでも…。

「彼女、弟さんがいたんですか?」

「当時まだ小さかったと思いますけどね」

従兄の男は溜め息と一緒に苦笑を漏らす。「同情するつもりはありませんが、この歳になると彼女も大変だったんだなと思います。親戚からはすっかり嫌われて誰も味方がいなかったんですからね。尚且つ弟の面倒も見なければならない。よっぽど施設に行ってからの方がマシだったと思いますよ」

 そう云ういきさつだったのか。私は少なからず衝撃を受ける。

「あの、それからもう一つ」

「ええ」

「彼女、うつせみ公園のことで何か言ってませんでしたか?例えば遺跡発掘の話とか」

「さあ。とにかく私も彼女とはほとんど付き合いはありませんでしたから。遺跡発掘って何のことですか?」

 私は事のあらましを話して聞かせる。

「知らなかったなあ。でもその頃はまだ親の方も学生だったろうし、彼女が何か知ってるとは思えませんがね」

 男は応える。「とにかく住所は教えますから後は自己責任でお願いしますよ。もうとっくに引っ越してるかも知れませんけどね」

 私は礼を言ってその従兄と別れる。正直割り切れない気持ちも残るが、とにかく収穫はあった。一先ず良しとしよう。

 大阪か…。私は歩きながら良く晴れた空を仰ぎ見る。あれからもう二十年。行き交う人も街も移ろい、お互いかつての面影さえ見失いそうだ。彼女は私のこと、そしてこの宮前のことをどれくらい覚えているのだろうか。私は思う。生きていく為に人は忘れる。忘れることで前を向くことができる。人生には忘れることでしか救いを見い出せない場合があるのだ。本当の哀しさとは、そうしてでも人はその先を生かざるを得ないと云うこと。或る意味人の歴史とはその延々たる積み重ねに他ならない。


 うつせみ山公園で都司さんから言われたことが、頭の中で小さく鈴の音を鳴らす。加藤嘉子の転校、「サキガケ」、宮前の失踪事案…それらは私の中では同じ地平で今なお存在している。それは元々私が意図していたものではない。不思議な引力でお互いを引き寄せ合った形だ。もちろんそこに因果関係までは特定できない。ただその背景にはまだ私の知らない世界が荒涼と続いている気がしてならない。

 逆にその全てが因果関係を含めて明解になったらどうするのか?私は考える。因果関係が分かったところで、その後自分に対応できるものなのかどうか。いや、フィールドワークの印象では、むしろ留めようのない奔流のような力さえ感じる。にもかかわらず私はたとえ近い将来残された力が尽き果てようとも、その流れを遡ろうと一人思い定め始めている。私はそこに自分の宿命を感じる。


 私は加藤嘉子に手紙を書いた。最初から返事は期待できないし、用件をどう伝えれば良いのかも最後まで迷った。現在の彼女に対して個人的な思いははっきり云って無い。あるのは「サキガケ」の情報についてだけだ。そのことは彼女を心底怒らせるかも知れない。しかし私は嘘をつきたくはない。もし素直に用件を伝え、それに彼女が応えてくれないなら、それはそれで致し方ない。そう観念して投函した。

 意外にも返事は早く来た。それも当然ながら嘉子本人から。

「驚きました」

 文章の最初はそう始められていたが、先ず私自身が彼女の端正な筆跡に驚かされた。まさに隔世の感だ。

「驚きました。まさか森川さんからあのようなお手紙を頂くとは想いもよりませんでした。とてもお元気そうで、そして何より懐かしく読まさせて頂きました。急に転校してしまってから私は私なりに目の前のことで精一杯でしたから、まるで童謡にある『椰子の実』を見つけた時のような、そんな蒼茫たる気持ちになっています。

 さて『サキガケ』の件ですが、実は忘却の彼方に長く退けていた内容でした。お手紙で不意に当時について思い出し、一瞬身体が震えました。私にとって子ども時代の思い出はそのように深く痛みを伴うものだったのです。でも改めて考えてみると、私の屈折した幼少期の中で或いはまだマシな方の思い出なのかも知れないと考え直すようになりました。

 私が『サキガケ』を知ったのは父親からの影響です。あの人は高校生の頃に友人たちと一緒に発掘作業に参加したそうです。そして不思議な石を見つけた。それがおそらく『サキガケ』と呼ばれるものだったのだと思います。実は私もその実物を見たことはありません。私が小学生の頃あなたにお話ししたのは父親からの受け売りと云いますか、めずらしく機嫌良く思い出話をする父親の印象から自分なりに想像を膨らませたものだったのだと思います。一つお断りしておきたいのは、あの人=私の父親は、それに限っては嘘をついていないと云うことです。多分何か珍しい石を見つけたのは事実だと思います。このお手紙を書きながら改めてそう感じました。

 私がお伝えできるのは以上です。このことがあなたにとって何かのお役に立つとは正直思えませんが、どうか同級生のよしみでご勘弁下さい。何よりあなたが私のことを覚えていて下さったことを嬉しく感じます。これからもどうかお元気で。私はもうそちらには帰れないと思いますが、故郷の面影は私の心から消えることはないと思います。

 さようなら」


 私は感動している。そして何度か手紙を読み返す。どうやら加藤嘉子は自分の境遇を乗り越え善良な大人になったようだ。私はいささか恥入る気持ちにすらなる。彼女は今の生活について詳しい内容を書いてないが、文面からは彼女が充足した日常を過ごしていることが窺える。これ以上尊いことがあるだろうか?

 しかしこれで「サキガケ」についての線はまた細くなった。どうやら遺跡物の中に不思議なものが含まれていたと云うことだが、当時の高校生からすれば何に対しても珍しいと感じられても不自然ではない。特に宝物(ほうぶつ)のようなものに関しては。

 そろそろ軌道修正の時期なのかも知れない。私は思う。そもそも「サキガケ」が失踪事案と関連している証拠は今のところ何もない。あくまで私の想像、錯誤相関、論理飛躍に過ぎないのだ。しかし一方で「サキガケ」と云うフレーズが執拗にも私の心を掴んで離さない。何故?

 自分でも分からない。まるで自分の一部が切除され無理矢理別の部品に取り換えられたかのように、これに関しては自分でも異質な感性が働いていると感じる。

 呼ばれているのか?

 私はふと思う。何に?

 ダメだ。思考力が落ちている。普通に考えがまとまらない。

 いや、違う。ここが私の橋頭保。じっと堪えて思索を維持するのだ。

 失踪事案…「サキガケ」…宮前…うつせみ…。

 ん?何だ?

 古代の遺跡…聞こえてくる声…宝玉…調査の打ち切り、そして封印…公園開発と、発掘…失踪事案と私の今。

 ひょっとして私は…何かを掘り当ててしまったのか?

 今、宮前で行われていること…。私はふと身近にあった新聞を見る。

 そうか、これだ。

 そこには宮前市役所が発表した再開発計画の記事が大きく載っている。どうやら市はこの発表に先駆け水面下で計画を進めてきたらしい。もしかしたら以前にも同じようなことがあったのではないか?私のもう一つの感性が問う。つまり40年前にも開発の裏で人知れぬ不穏事案が。それを大急ぎでもみ消そうとした。

 誰が?何の目的で?

 私はもう一度新聞記事に目を落とす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る